第18話 目的の一致

「前回の火竜襲来の時、我々は当初は結界にこもってやり過ごす方針だった。土台にヒビが確認されてから数十年、結界が揺らぐことなど一度もなかった。超級魔獣であろうと一体なら十分に耐えられるはずだった。だが、それは文字通り表面的な判断だったことをすぐに思い知った」


 王は亀裂を指さした。天を焼いた火竜の炎を思い出す。数百年で劣化が進んでいた結界器が超級魔獣の攻撃という大きな負担により一気に表面化したということだろう。


 前に結界越しの空の色がおかしいと感じたことがあった。考えてみれば昔は結界越しの空の色が揺らいだという記憶はない。魔術も何も知らなかったから意識しなかっただけと思っていたが違ったらしい。


「火竜があきらめて去るのが早いか結界が壊れるのが早いかの賭けをするわけにはいかなかった。無論、撃退に失敗すればそれこそ終わりだ。火竜の魔力の消耗と結界の亀裂の進行を見ながら、ぎりぎりのタイミングで私たちは出撃した。それでも、あれだけの犠牲が出た」


 淡々と語る王、その失われた片手を前に俺は沈黙する。


 こちらに来てずっと疑問だったことがある。平民の命など騎士にとっては数に入らない。火竜が去るまで結界内にこもっていれば騎士の犠牲者は出なかったはずだ。


「それから七年間、私は不安定化した結界に掛かりきりだった。王家の昔の記録に当たり、東西の他の都市の情報を集めた。分かったことは遺産は我々の知識では手が出せないことだ」


 「さすがに調整は多少は上手くなったが」と付け加えた言葉には自嘲の色が濃く出ている。理由は明らかだ。七年前でも耐えられたか分からなかったのだ。


 七年前の火竜襲来の真実、現在の都市がどれだけ脆弱な基盤の上にあるか、何よりこれから来る脅威の本当の深刻さ。王女様が言っていた王家の責務が重い。


「今回は結界に守られるんじゃなくて、結界を守らないといけないってことですか……」

「実際にはさらに厳しい。結界の出力は一色でも不安定になれば全体が落ちる。地下からくみ上げる魔脈の魔力が漏れるということなのだ。火竜が都市に来るのはこの場所に強い魔脈の噴出があるからだ」

「…………結界の劣化が進めば火竜がリューゼリオンに来る可能性も上がっていくってことですか」

 最悪の悪循環だ。だが、それならば……。


「結界のことをデュースターは知ってるんですか」

「知らないだろうな」

「なら知らせて協力を求めるべきじゃないんですか」

「それは出来ない」

「何でですか。今は争っている場合じゃないはずでしょ」


 騎士院のことなど分からない。だけどデュースター家がリューゼリオン全てを手に入れようとしているなら、リューゼリオンが滅びては意味がないはずだ。リューゼリオンを守る必要があるという点では立場が一致しているはずなのだ。


 まさかこの期に及んで王家の面子とか……。


「最大の理由はデュースター家の背後に国外の勢力がいると考えざるを得ないからだ」

「国外の勢力?」


 非難の目を向けていた俺は意外な言葉に虚を突かれた。今、猟地の外に何の関係があるんだ?


「根拠は二つある。一つはデュースター家がいち早く火竜の接近を把握したことだ。結界が不安定化した七年前より、我々は火竜の動向には気を配っている。通常の狩りを犠牲にしてもな。デュースターはそんな我々よりも早く火竜の接近を報告した。まるで事前に来ることを知っていたように」


 デュースター家は最近、普段は近づかない猟地の西端に頻繁に狩りに出ていたらしい。冬の宴が近いのに、大した獲物が得られない場所に自派の狩猟団を張り付けた。


「第二はアントニウス・デュースターが手にしていた狩猟器だ。火竜を撃退するために用意されたような狩猟器だ。あのような特殊な物はリューゼリオン内には存在しない。結界の修復のために情報を集めた時に、西方の帝国では二色の狩猟器が発見されたという情報があった。デュースター家には帝国の商人が頻繁に出入りしている。火竜の情報と狩猟器はそれを通じてもたらされたのだろう。特に狩猟器だ。きわめて特殊で貴重な狩猟器を単なる商人が持ち込めるはずがない」


 火竜も狩猟器も猟地の外から来た、それも最適のタイミングで。確かに偶然とは思えない。


 王家の復権を恐れていたデュースター家に帝国が火竜の情報と対抗できる狩猟器をセットで提供した。結界のことを知らないデュースター家はそれに飛びついた。


 そういえば、外国の商人が目に付くようになったのと、デュースター家のせいで職人街が苦しみ始めた時期って一緒じゃないか?


「でも、どうして帝国がデュースター家に肩入れするんですか?」

「わからん。帝国は東へ東へと領域を拡大している。ダルムオン滅亡後、東西の中間に存在する都市はリューゼリオンだけだが、中央から離れすぎている。だが、帝国の思惑が分からぬ以上、リューゼリオンの弱みを知られるわけにはいかない。帝国だけではない。リューゼリオンに将来がないと判断すればデュースター家は一族を上げてリューゼリオンを離れかねない。そうなれば、街の維持は不可能になる」


 騎士としての最大勢力のデュースターが出て行けば、リューゼリオンが猟地から得られる食糧その他が半減しかねない。つまり、平民の半分以上が飢え死にするか、危険を承知で森に出ることになる。


「これが現在王家の抱えている問題だ。そして、君を呼んだ理由だが……」


 余りに深刻な話にすっかり頭から飛んでいた。考えてみれば平民出身者になんでこんなことを話しているんだ。


「根本的な解決の為には結界の安定化が不可欠だ。だが、グランドギルドが滅びた後、残された魔術を保つことだけに汲々としてきた我々には手が出せない。そこに現れたのが君なのだ。我々が知る最高の色媒と術式を超えて見せた君ならば、結界に対しても何か有効な手が打てるのではないか」


 反射的に首を振りそうになる。できるわけがない。俺がやったのはあくまで有色魔術の改良であって白魔術ではないのだ。


 だが、ここまで聞いてしまっては断ることは出来ない。何より、結界が壊れたらすべてが終わってしまう。


 俺は促されるままに結界器に続く階段に向かった。ギイギイと木の軋む音が鳴る。数百年前の魔術の精華、白銀の結界器に取り付けられた現代の木階段の落差に、上に上る前に心がなえそうになる。


 初めて真正面から見る結界の術式。その規模と複雑さに圧倒される。理解しようとすることすらおこがましいと言われているようだ。


 術式を見た。


 文字の形式が全く違う。文字の並びも違う。文字一つ一つに流れる魔力の流れが全くなじみがない。文字一つすら理解できないのではこの複雑な術式が理解できるはずがない。


「念のため聞きますが。教科書の原本の二巻以降が王家には残っていたりは……」

「教科書の原本……『魔力原理』のことか。あれは一巻しか現存しない。二巻以降はグランドギルドから持ち出しを禁止されていた。仮に持ち出しても所定の手続きを踏まない限り文字が見えないという言い伝えがあるくらいだ」


 万が一にもと聞いてみたが答えは否。結界の管理者である王家がダメならリューゼリオンのどこにもないだろう。


 まさか存在していても読めないようにまでなってるとは……。


 グランドギルドの魔術士が植民都市の猟士をどう扱っていたのか改めて思い知る。俺たちは偉大なる魔術士が作り出した魔術、その初歩を与えられただけの存在ということだ。その結果、自分たちの生存そのものを支える目の前のこれを全く理解できない。


 …………思わず奥歯を噛みしめた。

 

 つまりこういうことか? グランドギルドが一夜にして滅んだ時点で、俺達の将来の滅亡が決まっていたということか。この数百年間は約束された滅びに向かって生きているに過ぎない存在だった。


 それを悔しいと感じても、目の前の現実は変わらない。


「…………現時点では私にできることはありません」

「最初から無茶な話だということは分かっている。時間がかかっても構わないから、協力を頼みたい」

「それは……。分かりました。できることはしたいと思います」


 どれだけ時間をかけてもこれを理解できるとは思えなかった。だが、かかっているのが都市の未来そのものだ。断れるわけがない。


 親方からダルムオンが滅びた時の話を聞いたことがある。騎士達は真っ先に逃げ出し、残された平民は河の流れに船を乗せてただ流されるままに、着の身着のままで逃れた。リューゼリオンに来るまでに大半の船が魔獣により沈められたらしい。


 そしてダルムオンがない今、リューゼリオンの平民には逃げる場所すらないのだ。


「ただし、今はやらなければならないことがありますから、そちらを優先します」

「そうだな。そちらもよろしく頼む。では、今後はここに入れるようにしておく」

「はい」


 俺は王に頭を下げて結界室を出た。ドアの外で待っていた王女様とご令嬢がこちらに来た。


「…………事情は分かりました。色媒の精製と魔脈の調査を急ぎます」

「ありがとう」


 お礼を言う彼女から目を反らす。


 今はとにかく火竜の襲撃を止めなければいけない。つまり、彼女を止めることは出来ないのだ。死地に送り出すとしても俺はそれを手伝うしかない。そうしないとみんな死んでしまう。


 俺たちの目的は一致したのだ。

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