魔女は空を飛べない
秋生 字連
一章 少女と女の子
1話
蒼く広がる空のなか、白い雲に彩りをつけるように鳥たちが羽ばたいている。優雅に空を楽しんでいる後ろから彼らとは正反対に慌ただしく空を駆けていく黒いモノがいた。凄いスピードで鳥の群れを器用に避けている。鳥たちも迷惑そうに羽根を広げて飛行ルートを変えてスピードの主に無き道を譲る。
「ごめんよ! 急いでるもんでね!」
黒い飛行物の正体は箒に乗った一人の少女だった。黒い服を着た彼女は振り返りながら謝るが、既に鳥は雲の模様のように小さく遠くになっていた。
少女は森の上空を越え、ポニーテールを風になびかせながら木々が少なくなっていく地点に見えた小さな家を確認すると、勢いはそのままに角度だけを変えて急降下していく。地面の近くまで行きやっと速度を落として箒をふんわりと浮かせるようにして動きを止める。対して少女自身はジャンパースカートの中身が見えてしまいそうなぐらいがさつに足をあげて箒から降りると、まじまじとツタが生い茂る古い小屋のような家を見る。
「いいねぇ。魔女の修行にはぴったりな家じゃないか」
家の周りには使い古された道具が置かれている。薪を割るための斧、水を汲むための井戸。景色は奥に山、後ろは森の入り口、後は草原が広がるほかになにもない自然溢れる田舎だった。
「こりゃしばらくは慣れるのに大変そうさね。こういうのも修行の一部ってことかい」
周りを確認し終わると玄関を開けて家のなかに入る。日の光を久しぶりに浴びた部屋はホコリが舞い上がり、光のなかで新しい主人を迎えるように宙を踊っている。思わず少女は咳き込むとすぐに扉を閉めて歓迎のしるしを手で払う。
「やれやれ。まずは掃除からか。明るいうちにゃ終わりそうにないな」
箒に巻き付けておいた布を取り、口に覆いマスク代わりにして、宙に浮いたまま待機していた箒を持つと彼女はまた家の中へ戻っていった。
ホコリの舞いをまた手で払いながらも今度はちゃんと部屋のなかを確認できた。家具は全て木製で灯りのランプは灯油式。台所は石を使っていてガスを使うコンロなどはなく、全て薪を使用して点く火を利用するタイプのものだ。古い田舎の家そのものだった。
「まったく。おばあちゃまが使っていた家ってのも納得がいくさね。火の扱いだけは気を付けないといけないなこれは」
ぶつくさと文句を呟きながらも、これから始まる暮らしに胸の高鳴りを隠せない様子で張り切って掃除を始める。
時間はあっという間に過ぎていき、蒼い空は赤く染まりきっていた。少女はくたびれた顔をしながらため息をついたが、掃除を一通り終えた達成感を得ながら外に出てのびをした。
「ふぃ~。終わったぁ」
夕日を浴びながら天を仰ぐとカラスが飛んでいるのが見えた。これから料理や風呂に使う焚き木を用意するために斧を拾いに行こうとしたとき、ふとさきほど見上げた光景に違和を感じた少女はまた空を眺めてみた。カラスたちの他に飛んでいるものがかすかに見えた。目をこらして見てみると誰かが箒に乗って飛んでいるようだった。ここではそんなことは珍しくはないのだが、やけに前傾姿勢で乗っていることに注視した。
「ん? あんな体勢の割にはスピードが出てないな。そのくせにあんな高いところを飛んで・・・・・・」
などと言っているうちに、箒に乗っている人間の姿勢がぐらりと転がるように箒からずり落ちてたのが見えた。
「えっ!? ちょ、ちょっと待て!」
少女は驚いたのと同時に持とうとしていた斧を離すと、全力で森のなかへと走り出した。予測される落下地点まで距離はあるが落ちてくる人間の高さも相当なものだった。だが落下する速度には追いつかない。そもそも間に合ったとしても受け止めることなど不可能だ。しかも木々のせいで彼女の姿を見失ってしまった。
「ダメだ見失った! 仕方ない、この距離で届くか?」
少女は足を止め地面に手をかざす。そして集中。全霊の魔力を込めて彼女が詠唱する。
「クジョンメッシン!」
地面に波紋が広がるようにしてたゆんでいく。動物や虫たちがざわついて森が動いたような錯覚を起こす。
森が静かになった数瞬後、葉っぱがこすれる音が聞こえたと思うと地面から衝動が伝わってくる。
「・・・・・・届いたみたいさね」
少女は冷や汗を手で拭うと、衝動がした方向へと歩いていく。彼女の足元の土はクッションのように柔らかくなっていた。
しばらく歩くと、土の上で横になっている女の子を見つけることができた。足早に近寄ると、気を失っているだけで彼女には傷一つ付いていなかった。
「やれやれ、居眠り運転でもしてたのかい? そんな奴は初めて見たよ」
横になっている女の子は少女と同じぐらいの年齢に見えた。見慣れないピンク色の服を着ている。胸のところには見たこともない紋章も描かれていた。
声をかけても反応がない。このまま放っておくわけにもいかず、少女は女の子を背負った。そのとき、彼女の背中に柔らかい感触が伝わってくる。どうやら下着を着けていないようだ。
「・・・・・・なんだってノーブラで空を飛んでたんだ? しかも眠ってたのか気絶してたのか分からないけど、箒から落ちるなんてさ」
なにやら面倒ごとになりそうな予感が少女を襲ったが、かといってやはり放置していくわけにはいかなかった。同じ年頃の女の子を森のなかで寝かせたままじゃ、自分が寝れなくなってしまいそうで。
「まさかこれも魔女の修行の一部、なんてことじゃないだろうね」
引っ越し初日でとんでもない拾い物をした少女は、疲れた体にむち打ちながら家へと戻っていった。
女の子を一つしかないベッドに寝かせると、少女は椅子に座って息を整えた。少しばかり疲れを癒やすと、すぐに立ち上がって外に出てさきほどやりかけた薪を割り始める。割り終わった薪を家のなかへ運ぶと、かまどのなかへ入れて手をかざす。すると薪から勢いよく火が立ち上がる。
「おっと、意外と制御が難しいな」
もう一度手をかざして集中を高めると、火が徐々に小さくなっていき、良い具合に火が点きはじめた。
火が安定しはじめると、かばんに用意しておいた野菜や肉を取り出して、それらを切り料理を始める。
包丁の音と立ちこめる良い匂いで女の子が目を覚ます。
「んん・・・・・・」
ぼやけている視界がハッキリとしはじめるころ、彼女は悪夢から覚めたかのようにガバッと身を起こす。
「わぁ!」
汗をかきながら自分の身になにも起きていないことに安堵する。
「・・・・・・なんだぁ・・・・・・夢だったの・・・・・・あれ?」
周りの風景が見慣れないことに気付くと、誰かが料理をしているのが見えた。栗色がかったブルネットのポニーテールの少女だ。知らない部屋で寝ていただけでなく、同じ部屋で知らない少女が料理をしている状況を全く理解できなかった。
「ん? 目覚めたかい?」
目をぱちくりと開けて困惑している女の子に気付いて少女が声をかけるが、女の子には彼女の言葉が通じなかった。聞いたこともない言語だったからだ。少女の青い瞳を見て、少女を外国人だと判断した。
「もし目覚めなかったらどうしようかと思ったよ」
少女がマグカップを持って近寄るが、女の子は言葉も状況も理解できないままで怯えきっていた。
「あ、あの、すみません。ここはどこでしょうか。あ、あなたは誰なんですか?」
女の子が質問するが、少女も彼女の言語に聞き覚えがなかった。話が通じないまま、少女はベッドに腰掛ける。
「なんだいアンタ。異国人かい? それにしても言語魔法を受けてないなんて、今の時代にそんな人間が残ってるなんて信じられないね」
少女がマグカップを近くの机に置いて体をさらに寄せていく。女の子は赤面しながら座ったまま後ろずさる。
「ちょ、ちょっとあの。わ、私そういう趣味は・・・・・・」
少女は逃げようとする彼女の顔を優しく両手の指で触れる。女の子の顔がますます赤くなる。
「ひゃっ! ちょ、ちょっとまだこころのじゅんびが」
「ホヤバコトンク」
少女がそう呟くと、女の子はじんわりと触れた指から暖かさを感じた。熱が頭に入り込むような感触がしたかと思えば、少女は指を離してからしゃべり始める。
「どうだい。うまくいったかい?」
「えっ? な、なにがですか?」
と答えたところで女の子は少女の言葉が理解できていることに気がついた。というより彼女が自国の言語を喋っているのだ。
「うまくいったみたいだな」
少女がにっこりと笑って、机に置いたマグカップを取り差し出した。
「ほら、とりあえずこれでも飲みなよ。暖まるぜ」
女の子はまだ戸惑っている様子で、素直に飲み物を受け取ろうとしない。それを察した少女はまず自分が一口飲んでから安全な飲み物であることを証明してからもう一度差し出した。
「ただのホットミルクさね」
ホットミルクという聞き慣れた名称を聞いたのと、少女が飲んだのを確認した女の子は、ようやくマグカップを受け取ると、濃厚なミルクの匂いが鼻を刺激すると、自分の体が冷え切っていることに気付いてゆっくりと飲み始める。
「あっ、美味しい・・・・・・」
やっと自分に馴染みのあるものに触れることができて、冷静になった女の子は変な勘ぐりをしたことを少し恥じた。
後ろで鍋の蓋がコトコトと音が鳴りはじめたので少女はキッチンに戻って調理を再開した。
「まあ事情はあとで聞くけどさ」
鍋から吹きこぼれそうなスープを皿に取り分けると、机に二人分の料理を並べる。
「とりあえず飯を食おうじゃないか。腹減っただろ? アタシはペコペコだよ」
スープの良い匂いのせいか、ホットミルクを飲んだことで刺激されたせいか、女の子のおなかが鳴る。今度は恥ずかしさで女の子が赤面する。
「ハハハ。正直な腹だぜ」
少女はからかいながら笑っている。女の子は頬を染め顔を伏せながら食卓に向かい椅子に座る。
「初めての一人暮らしでの初めての食事。まさかいきなり女の子を誘い込んで二人で食事をするなんてね。モテて困るよ」
少女が冗談を一つこぼすと、女の子は皮肉と受け取ったのか申し訳なさそうに謝る。
「ごめんなさい」
「おいおい勘違いするなって。アタシは誰かと食事するの、好きなんだ」
そういうと少女は料理を食べ始める。本当におなかが減っていたらしくがっつくようにしてスープ、そしてパンといった感じで勢いよく食べている。女の子は少し唖然としながらも遅れて食べ始める。しばらくは二人とも黙々と食べていたが、少女の食事が一段落終えると声をかける。
「そういえばまだアンタの名前、聞いてなかったね」
女の子が食事する手を止めて口を開けようとすると、すぐに手のひらを見せて少女が彼女の発言を制止する。
「おっと、そういえば人に名前を聞くときは自分から、だったぜ」
そう言ってから少女は自分の胸に手をかざした。
「アタシはルチカってんだ」
青い瞳、ポニーテールの少女はルチカと名乗った。それを聞いて女の子は答えた。
「わたしは
茶色い瞳、黒いショートボブの女の子は如月華という名だ。これを聞いてルチカは首をかしげた。
「キサラギハンナ? 長い名前だな」
今度は華が首をかしげる。
「い、いえ。如月、華、です」
「キサラギハンナ」
どうしても名字と名前をくっつけて呼ばれてしまうし、ルチカは華と言えずにハンナと言ってしまっている。
「えっと、名字が如月で、名前が華です」
「ミョージ? なんだいそれ?」
華はこの言葉になぜか不安を感じた。名字を知らないということはどういうことか。名字が存在しない国などあったのだろうか。単純に言葉がうまく伝わっていないだけかもしれない。それにしては彼女は日本語が堪能だ。
「とにかくキサラギハンナじゃ長すぎる。ハンナって呼んでもいいかい?」
「・・・・・・はい。大丈夫です」
説明のしようが思いつかなくて、結局彼女はハンナということにされてしまった。
「ところで、ハンナはさ。どうして箒に乗ってあんなに高く飛んでたんだい?」
「えっ?」
ふいにされた質問が理解できなかった。箒に乗っていたというのは一体どういう意味なのか。
「なんだい。覚えてないのかい? 箒に乗ってすごーく高いところを飛んでてさ。そっから落ちちゃったんだぜ」
「えっ? えっ?」
だんだんとハンナの顔色が悪くなる。
「いやさ。言いたくないなら言わなくても・・・・・・」
「あの、ルチカさん」
逆にハンナが質問を始める。
「気になってたんですけど、ルチカさんって、どこの国のお方なんですか?」
「国? 国はここだぜ」
「ここって、どこなんでしょうか?」
「ジャンウォルクに決まってるじゃないか」
ルチカは当たり前のように答えた。だがハンナにとっては聞き覚えもない国名。
「それで、ハンナはどこの国の出身なんだい?」
「あの、日本です」
「ニホン? 聞いたことないな」
「でもルチカさん。日本語上手ですけど」
「ニホンゴ?」
会話がかみ合わなくなってきている。
「さっきから日本語で話してくれるので」
「ああ、言語魔法のことかい?」
「ま、魔法?」
「そりゃ言語魔法を使えば誰だってある程度の会話はできるじゃないか。常識だろ?」
もはやハンナは食事どころでは無くなっていた。箒、知らない国名、そして魔法。徐々にハンナが夢だと思っていた記憶が蘇ってくる。
「そんな、まさか。いや、でも。だって」
突然パニック状態になりはじめるハンナ。ルチカはそんな彼女の言動に困惑し始めた。
「魔法なんて、あり得ないよ」
持っていたスプーンを机の上に落とすハンナ。それでも彼女はずっとぼやき続けている。
「おいおい、どうしたんだ。落ち着きなよ」
そう言ってルチカが軽く指を振ると、ハンナの落としたスプーンが宙に浮かび上がる。そして彼女のスープを一口すくう。ハンナはそれを目をまん丸くして口を半開きにして言葉もだせないほど驚いて眺める。
「ほら、口開けて。あーん」
言われずともマヌケのように口を開けているハンナの口にスプーンがルチカの指の動きと連動して優しくスープを飲ませる。
「魔法なんて珍しくもないだろ? とにかく腹を満たそうぜ」
ごくりとスープを飲み干したハンナは、スプーンを咥えながら今起きたことが信じられないといった様子だったが、目を潤わせはじめ、嗚咽を漏らしたかと思えば。
「うわーーーーーん!」
声を上げて泣き始めてしまった。
もちろんルチカは驚いた。目の前の女の子にスープを飲ませただけで泣かれてしまったのだから。赤ん坊扱いされて怒ったのか、それともイヤなことでも思い出したのか、あるいは精神的に不安定な子なんだろうか。様々な原因を思案したが当の本人が泣いたままでは答え合わせができるはずもなく、とにかく彼女を落ち着かせることに注力することにした。
「どうしたってんだよ。アタシで良ければ話を聞いてやるからさ。とりあえず泣き止んでくれよ。なっ?」
席を立ち机越しにハンナの肩を優しく叩く。顔を突っ伏したまま泣き崩れた彼女をそうして見つめることしかルチカにはできなかった。
しばらくして泣き止んだハンナは真っ赤になった目を軽くこすりながら顔をあげた。やっと落ち着いた彼女に安堵したルチカはハンナの残ったスープを小鍋に戻して温め直すと、彼女に渡した。
「すっきりしたかい?」
「ごめんなさい・・・・・・」
「謝ることはないさ」
ゆっくりとスープを飲み始めるハンナ。どうやら食欲は無くなっていないらしいとルチカは判断して食事を終えるまで質問をすることなく待った。もしまた変なことを聞いて泣かれたらいつまで経っても片付けができないと考えたのだ。
ようやく食事が終わりルチカが食器を片付けていたころには、もう外は薄暗くなっていた。
ハンナはじっと申し訳なさそうに座っている。ルチカが洗い物を終えると、椅子に座り直して事情を聞き始める。
「話してくれるかい? なにがあったのか」
「はい、まだちょっと曖昧なところがあるんですけど」
ハンナは頭のなかを整理して順序立てて覚えていることを話し始めた。
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