千種優宅に来訪者
駅から徒歩10分ほど先にあるアパートの1室。
気づけば一人暮らしを始めて早1年と数ヶ月が経っている。
小学生の頃実家で使っていない部屋を自室としてもらった経験然り、自分だけのプライベート空間……いや、そんな洒落た考えじゃない。秘密基地を得たかのような興奮は既に失われている。
小中学校は地元の学校に通っていたため高校で初めて経験した電車通学だけでも最初は疲労が大きかった上、洗濯や料理、部屋の掃除といった実家では母さんに任せっきりになっていた家事の重労働さを痛感し、加えて学生の本分である勉強も中学から倍以上に教科が細分化されたことで授業についていくのもやっとだった。
「…………っし、終わった」
本格的に授業が開始されて早々に出された古典の課題を終え、オレは伸びをした。
課題の内容は授業で取り扱う作品から抜粋された語句を辞書で調べ意味を配布されたプリントに書き写すというもの。
こんな課題ネットで検索すれば早く簡単にこなすことができるのだが、後日紙の辞書を使い同じ問題形式で小テストをするといわれては今のうち使い慣れとかないと困る。電子辞書すら使用禁止なんて古典の教師のやり方は古いと悪態の1つも吐きたい。
「もうこんな時間か」
壁に掛けた時計を見やれば課題を始めてから1時間経っていた。
続いてベランダへの方へと視線を移せば外も暗い。そろそろ夕飯の支度をしないとな。
小テーブルに広げていた勉強道具を片付け立ち上がり台所へと向かう。課題を始める前にスイッチを入れていた炊飯器は既に役目を果たしていた。
あとは軽くおかずを拵えるだけなのだが……いくら一人暮らしに馴れても料理だけは毎回億劫になってしまう。
家にある食材と親からの仕送りでもらっているお金と相談し献立を考えた上で、調理を開始。食べ終わった後の片付けまで考えるとどうしても面倒くさい。
よし、今日は適当な総菜買ってくるか! と一瞬思案するも月末に遊びに行った際、予定以上に金を使ってしまったのでできれば自炊で節約したい……。
「家にあるのはもやしと卵半パックだろ。これでなんとか夕飯と明日の弁当を――」
その時だった。
ピーンポーン!
と、インタホーンが鳴らされた。
「おや、誰か来たようだ……」
なんて一人ごちる。一人暮らしを始めてから静寂を紛らわすためか独り言が増えた気がする。気を付けないと。
さて、宅配は頼んでないしこんな遅くに誰だろうか。
そんなことを考えてる間に2度目のインターホンが鳴らされる。どうやら扉の先にいるのは相当短気な奴らしい。
「はいはい今出ます」
3度鳴ったインタホーンに返事をして玄関の扉を開けると、そこにいたのは1人の女だった。
軽くパーマのかかった明るい茶髪をポニーテールでまとめ、化粧はケバくはないがナチュラルかというと首を悩ますくらいにはしている。つり目気味の瞳はカラコンなのか少し青みがかっている。端的に言って文句なしの美人。
痩せ型の身体は170センチ近くあろうかという高身長で手足は長く俗に言うモデルというやつか。
幼稚な表現になるがキラキラした女性というイメージを与えられる。
まっ、女性というのは盛っているか。
「こんばんはユー」
「なんだ翔子か……いや、あんなインタホーン連打する奴お前しか知らねぇけど」
「ふっふっふ、そんなにユーがアタシのこと理解してくれているとはね。え? せっかく来たんだからゆっくりしていけ? そんな悪いよー。でもご厚意を無碍にするのも失礼だよね。じゃあお言葉に甘えてお邪魔しまーす」
「勝手に話進めんな!? 不法侵入で訴えるぞ!」
来人の正体は同級生の翔子という女子だった。
中学は別々だったが互いに知らない仲でもなく、偶に一緒に出掛けることもあるくらいには良好な関係だ。
「つか、お前汗臭いぞ」
すれ違う瞬間鼻孔をくすぐったのは女子特有の甘い香りだとか柑橘系といったお決まりの香りではなく、がっつり運動したあとの世辞にも良い匂いとは言えないものだった。身も蓋もない言い方をすれば臭い。
指摘すると振り返った翔子は着ている体操服の袖を鼻に寄せクンクンと嗅ぐ仕草をする。
「今日は体育の体力測定で長距離走ったから仕方ないじゃん。てかユー、女子に臭いとか普通ありえないから」
「オレの知ってる女子はいきなり同級生の家に上がり込んでベッドに胡坐かかないんだけどな」
「ソレはソレ。アタシとユーの仲なんだからいいじゃん」
ニャハハと独特な笑い声をあげた翔子に嘆息を1つ。
見た目からは女性という印象を受けても実際は女子なんだよなぁ……なんなら男子といってもいいくらい雑だし。
無理矢理追い返そうとしたところでどうせ大人しく帰ってくれないだろう。開いたまま扉を閉め我が物顔でオレのベッドの上で漫画を読みだしている翔子に問いかける。
「いきなりうちに来るって何の用だ?」
「もう、ユーはせっかちなんだから。来客にはまず冷たい麦茶とお茶菓子でしょ」
「生憎家主の許可もとらずに部屋に入ってくる不届き者をもてなすほど寛大じゃないんでね。それにこっちは夕飯もまだなんだ」
「え、ユーご飯まだってマジ? じゃあグッドタイミングじゃん」
「なにがグッドタイミングだよ。まさか……お前、オレん
「違う違う。今日はそーいうんじゃなくて」
1年……いや1ヶ月ほど前にも同じことがあったの思い出し、身構えるが翔子はヤダなー、と笑って否定した。
「いや実はね
「そういえば昼に居残らなくちゃいけねーって昼に愚痴ってたな」
「そーなんだよねー。だから仕方なくユーの家で時間潰そうってきたわけ」
「仕方なくでオレの予定無視して
まぁ翔子の話を聞いてある程度の合点がいった。
努もオレと同じくこのアパートで1人暮らしをしている。部屋はオレの部屋の対角線上にある1階の角。その努との夕飯ついでにオレも一緒に行かねいか? ということらしい。
翔子とは1年の時同じクラスで図書委員を担っていたもあり努と同じく、オレと親しい数少ない女子だった。もちろん翔子は友達が多く、基本的にはそっち優先であったが。
しかし2年になってからは特に顔を合わすこともなかったので、久しぶりに一緒に飯食いにいくのもいいかもしれない。
が……。
「悪いけどパス。努帰って来たら2人で行ってこいよ」
「え、なんで? もうご飯炊けたから?」
「それもあるっちゃあるんだが……その、な」
「その?」
駄目だ。
非常に情けなさすぎる理由で一息に言えない。何度か言葉を濁らせどもらせ、ようやく口にする。
「この前、金使い過ぎて持ち合わせがないんだ」
「お金ないがない?」
「うん」
「どれくらい?」
「今月はもやしとタイムセールの総菜狙い続けなくちゃならんくらい」
「だっさ! ユー、だっさ!! ファミレス行くお金もないとかそんなことってあるの!? ははははは!」
「くっ……」
翔子はオレへ憂いも同情もなくおもいいきり嗤った。だから言いたくなかったんだ。
金欠の人をよくそんなに笑えるな、とひとしきり笑い物にした翔子にバンバンと肩を叩かれる。
「あーそう、ユーお金ないんだ。じゃあ仕方ないね」
「そうだよ。だから夕飯は努と2人で――」
「仕方ないからアタシが奢ってあげよう」
「……マジで?」
「マジマジ大マジ」
願ってもない申し出に浅ましいと思いつつも食いついてしまう。
同級生、しかも女子に奢ってもらうというのも情けない話ではあるが、背に腹は代えられん。
「た・だ・し――アタシに勝ったらね」
と言って翔子が部屋にある引き出しから勝手に取り出したのは、テレビに繋げて最大4人まで遊ぶことができる据え置きのゲームだった。ちなみに5本ほどあるソフトの中で翔子が選んだのは、以前水無瀬とゲーセンで対戦したゲームの1つ、その家庭用バージョン。
これならただ奢ってもらうだけではなく、あくまで賭けに勝ったからおごってもらえるという大義名分ができる。かなり魅力的な誘いだ。
テレビにケーブルを挿して2人分のコントローラーを準備した翔子が再びベッドの上に腰を下ろした。
「さぁ、どうする?」
「翔子……お前、はなから
「ふっふっふ。どうだろうね」
「まぁいいぜ。久しぶりにやってやる。ただ肩ぶつけたり足で首絞めたりすんのはなしな」
「ニャハハハハー。それは保証できないなぁ」
それから翔子と数戦。学校から帰ってきた努も交えてまた数戦。
そのあと努と翔子に貸し1つとして奢ってもらい、オレはこの日の飢えを凌ぐことができた。
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