第55話 悪役令嬢の旗印 1

───彼女の黒曜石のような瞳をのぞき込む。


「サーラ様は気になりません? レイノルドお兄様が何を考え、何をなそうとしているのか」


指で小ぶりな唇をなぞり、ゆっくりと手を放す。


「ご自分を──サーラ様をどのように使おうとしているのか」


わかるでしょう?と微笑んで、サーラ様の次のお仕事を教えて差し上げることとする。


「次のお茶会までに、サーラ様から見た”レイノルドお兄様”のお話しを聞けることを楽しみにしているわ」


戦いの基本は”敵を知ること”ですからね。



前回のサーラ様を厳しく! 激しく! 追い詰め! 華麗に問いただした一件から数日後。


今日も今日とて王宮の一室で弦楽器の腕慣らし中にサーラ様が現れた。

これは良い機会だと講師の方にお願いし、サーラ様も一緒に授業を受けることとなったのだ。


弦楽器を扱う手つきには使い慣れた様子は無かったけれど、音階の知識はあるようだった。


一生懸命なご様子が大変お可愛らしい、という含みがしっかり通じたのか「笛ならば右に出るものはいない」とキャンキャンと悔しそうにしていた。

ぜひ次回は笛を用意することにしましょう。


サーラ様のとっさの言動や、この大陸の貴族子女の嗜みとして広く知られている弦楽器の経験があまり無さそうなところを見る限りでは、高位貴族の娘という線は怪しく感じる。


しかし、発音に様々な国のイントネーションが混ざっているが、この国の言語を理解し貴族の言い回しまで使いこなしていることや、音階の知識があること、教養がある部分と無い部分でムラがあるようだ。


まったく。この黒猫ちゃんはどこから来たのかしらね。

次回、講師は笛に造詣の深い者も連れてくると約束し退出した。



現金なもので、現在の私の心の内は夏の爽やかな青空のように晴れ天高く澄み渡っている。

私の心に住み着いていた、ずぶ濡れの長毛種の猫ちゃんもこれにはフワフワのモフモフでお腹を出してゴロニャーンである。


それもこれも、サーラ様の心の内を知れたことが要因だろう。


一戦交えた私とサーラ様の間には、まるでちょっとしたすれ違いからお互いを勘違いしてしまったまま衝突した少年たちが、夕日を背に拳に想いを乗せ本心をぶつけ合った後のある種の連帯感が流れている。


そのような描写のある本を読んだだけなので、想像だけなのだけれど。

本心を拳に乗せて曝け出す、という経験を一度はしてみたいものである。


そして講師が出ていくと同時にサーラ様は私に一枚の紙を差し出したのだ。

これを渡すために私の元までやって来たらしい。貴人に対し訪ねる前に連絡が要るのだと、ちゃんと教えなければならないわね。



この紙の内容について、時を先日の東屋まで戻す───


「それにしても、サーラ様はレイノルドお兄様のことを。ふふふ」

「もう! 何度も言わないでよ!」


黒猫ちゃんは毛を逆立てながらモジモジと照れている。

こうして見ればツンツンした態度も可愛いものである。ふっふっふ。


「わたくしはてっきり、サーラ様の目的はリチャード様の寵愛なのかと思っていましたの」


音も無く持ち上げたカップから、ぬるくなってしまった紅茶をまた一口いただく。

さながら祝杯である。


「……まぁ、そうね」

「んなッ……!? 油断させて懐に入り込み、寝首を掻くなんてやり方が卑怯ですわ!」

「ネクビ、を……?」


今度はサーラ様がキョトン顔である。

白々しいわ! スコーンを返しなさい!

サーラ様の近くに寄せていたスコーンの皿を引き戻そうと手をかける一拍前に、サーラ様の卵色の手が片割れのスコーンをひょいと持ち上げた。


「──渡しておいて後からやっぱりナシは、よくないわよ。ねぇ?」


艶っぽい表情を浮かべ、もったいぶった仕草でスコーンを一口かじる姿は

さながら勝気な悪女である。キャラ被りですわ。


そのスコーンのようにリチャード様もかじられてしまうのでは無いかと、胃のあたりがギュッと縮まり、私の心の中のずぶ濡れの猫ちゃんの爪と目がギラリと光った。

この猫ちゃんはどうやら血の気が多いようだわ。


私の心情を知ってか知らずか、ゆっくりと時間をかけ咀嚼し終わった彼女は、残りのスコーンを皿の上に戻すと「冗談よ」と呟きプイと顔を背けた。


「……サーラ様はその寵愛を得て、何をなさりたいのかしら?」


私の問いに不意を突かれたように「何って、それは……」と呟いたまま、思考がまとまらないのか、黒猫ちゃんはうつむいてしまった。


「……レイノルドが、王太子様の側室になれっていうから。助けてくれるんですって」

「それは、追われているという件から?」


迷子の黒猫ちゃんはどこまで話して良いものか迷っているらしく、瞳をウロウロさせている。

あまり強く問いただしては逃げてしまいそうね。


わざと、あまり興味はないけれど、という顔をつくり言葉を待った。

猫というものは構い倒せば逃げてしまうものなのだ。


すると、狙い通り黒猫ちゃんは恐る恐るといった様子で口を開いた。


「……実は、私、結婚を迫られているの。父親より年上で、5人目の子供を妊娠中の奥様がいる方よ。信じられない」


ポツリ、ポツリと消えそうな声が堕ちる。


「それは別に不満じゃなかったし、そうするべきだと理解してた。でも、どこかで私の人生ってこんなもんなんだって、疲れてた。そんな時にレイノルドと会って、色々あって……逃げちゃった」


黒猫ちゃんは初めて見る、困ったような顔でへにょりと笑った。

なんともかわいらしい一面を見れたわ……ってなんですって。


「それは……レイノルドお兄様が強引に連れ出したのではなく……?」


レイノルドお兄様にたぶらかされてない?

それってつまりレイノルドお兄様は花嫁を略奪してきったってことではなくて???

国際問題にならないといいのだけれど!?


ちがうちがうとサーラ様は苦笑いしながら、懐かしい思い出の箱を覗くような顔を見せた。


「レイノルドはきっかけだけど、”仲間”が後押ししてくれたの。『鳥籠にいてわかるわけがない。海は広いんだ。風に乗って前進しろ』って」


本当かしら。

レイノルドお兄様の捨てられた子犬顔にお友達ごと騙されて動かされてはいないかしら。心配だわ。


「レイノルドは私の救いだったの。だから、彼が王太子様の側室になれと言うなら従うわ」

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