第49話 悪役令嬢の忠告

王都の空には暗雲が立ち込め、厚い雲が太陽の光を遮りあたりを薄暗くさせている。


王太子妃教育……という名の王妃様とのお茶会の時間が終わり、次の予定へと向かうため渡り廊下を侍女と護衛に伴われゆっくりゆっくりと足を進める。


この渡り廊下は時間帯によって月や夕暮れなどが拝める絶景スポットにもなるのだが、残念ながら今日は拝めそうにもない。


柱には繊細な彫刻があしらわれ、天井には神話を模した絵画で彩られ宝石も埋め込まれている。

渡り廊下と外を仕切るものは無く、開放感と歴史の重厚感を感じる場所である。

なので、強い雨風の時は横から雨が吹き込み大変なのだ。


もちろん、ここを使用せず王宮内を行き来することは可能だけれど近道なので雨が降っていないのならば積極的に使っていきたい。あと、侍女から『触れると幸運が訪れる星形の宝石が埋まっている』という噂を聞いたものだから通るたびに壁や天井、床までも確認しているのは内緒である。


しかし。


普段ならば足取りは若鹿のように軽く、意気込みは止まることをしらない猪のようなのに。

最近の私はおかしい。


まるで心の中にずぶ濡れの野良猫がいるみたいに、なんだかぼんやり、じっとりとしてしまうのだ。

自分の心が自分のものではないような、己の舵を見失ってしまったかのような気分だ。


惰性で動かしていた足もピタリと止まる。

護衛騎士も侍女たちも、こちらを気遣わし気に伺っている。


私につけられた護衛騎士は常時二人、侍女は三人となっている。


侍女たちの中でも一番年長の栗色の髪の侍女”モネ”と、黒髪の護衛騎士の方は侯爵家からついてきてくれた者達だ。

幼い頃から私のそばにいてくれた二人だからこそ、最近の私の不調に気付いているのだろう。


王宮に来てから私にあてがわれた、もう一人の護衛騎士は近衛騎士団の中から選ばれている。

近衛騎士団とは見目と家柄、そして実力を求められ、平たく言えば貴族の子息たちなのだ。

また、侍女たちも同じく貴族の娘が選ばれている。


護衛騎士も侍女も実際の働きを見て、気に入った者を専任にして良いとは言われているが、現状決めかねている。どの方も素晴らしいお仕事っぷりだからである。しかしそれは”王太子殿下の婚約者”という立場に対するもので……。


どうせなら私の悪役令嬢という活動をより向上するような”No2”的な立ち位置の方が欲しいところである。

強い悪役には、強い右腕がいるのである。どの本でもだいたいそう。


それはそうとして、王宮に来て新しく護衛・侍女として配属された彼・彼女たちは時に貴族たちの目となり耳となる。


王宮内で見聞きしたことは秘匿契約を結んでいる限り他言無用ではあるものの、やはり人の口には戸が立てられないものだとも思っている。もちろん、秘匿契約を破った者には相応の罰が下されるが。


だから彼らと一日のほとんどを共に過ごすようになり、無意識に気を張っていたのかもしれない。きっと環境に慣れてきて、ようやく疲れを感じるようになっていたのだわ。


そう自分を納得させた。


「少し休憩を挟みたいのだけれど。遅れる旨を伝えてもらえるかしら」


気遣う侍女の勧めで一旦、私室へ戻ろうとした時。

渡り廊下の反対側からサーラ様と付き添いのメイドたちが歩いてくるのが見えた。メイドの人数が増えているわ。


距離もあったものだから、気が付かなかったことにして立ち去ろうとしたが。


「あら、ごきげんよう。こんな日にどちらに行かれるのかしら」


初めて呼び留められてしまった。

先日はツンツンとそっけなかったはずなのに、ようやく心の扉を開け私と交流する気になったのだろうか。


サーラ様のツンツンしているところが高飛車な猫のようで可愛らしいと思うのだけれど、リチャード様に向けるあの瞳のことを思い出すと、とたんに私の心の中のずぶ濡れの野良猫ちゃんが心の壁をカリカリと引っ掻き存在を主張するのだ。例え話である。


その野良猫ちゃんは、信じられるのは己のみと孤独を背負っているの。

愛を知らない哀れな野良猫にあるのは狩るか、狩られるか……悲しい背景ね。そういう設定の物語を読んだことがあるわ。


そんな気分だから、今だけはあまりお話ししたくなかったのだけれど仕方ないわね。


視線を流し侍女たちを後ろに控えさせ、表情を作る。


「サーラ様、ごきげんよう。これからお部屋に戻るところですの。最近の空は曇ってばかりですね。今にも雨が降ってしまいそう……いつ晴れるのかしら」


当たり障りのない話題と言えば天気と相場は決まっている。とても無難な会話だわ。誰も傷つかず、誰しも答えやすい話題。それが天気。


そういえば、先日の迷路ではサーラ様が言った通りに雨が降った。

まるで神の意志がわかっていたかのようで。


────これが聖女の力なのでしょうか。


「今日の風は雨だけじゃなくて……いえ。天気の話はどうでもいいわ」


そうね。サーラ様は私を呼び止め、何か言いたいことがあったのですものね。


貼り付けた笑みを作る私をサーラ様はゆっくりと、視線を上へ下へと動かす。

値踏みするような不躾な視線だ。これはかなり失礼な行為である。

その遠慮の無い視線に侍女の一人がピクリと体を揺らしたが、それを視線で止める。


礼を失した行為にも表情を崩さない私を馬鹿にしたような視線をこちらに向け『やっぱりね』というようにフンッと勝ち誇ったように鼻で笑った。


「なんだか王太子様の婚約者って言っても大したことないのね。お子様すぎて相手にもならないわ」


サーラ様の後ろに控えていたメイドたちがハッと顔を上げ、おろおろと困っている。

私の後ろにいる侍女たちや護衛騎士たちの雰囲気も悪くなってきた。


背後から……殺気を感じるわ……!!

そう、彼らは最近配置された人員とはいえ、己の役目に誇りをもって私を主人とし尽くしてくれている。主人を侮辱されては黙っていられないのだ。


サーラ様はこの雰囲気に気付いていないのか、まだ続けるようだ。


「王太子様もレイノルドも大変ね。こんな”お嬢さん”のお守りをしなければならないなんて」


お守り……と言われ、なんだか私の心の中のずぶ濡れの野良猫がゆらりと立ち上がる気配がした。


「ピヨピヨピヨピヨ、親鳥の後にくっついて隠れて守られて……守られるだけの女の子って感じね。拍子抜け」


未だ反応を返さない私の様子を見て、ハッと高笑う。


「何も言い返せないの? あぁ、後で保護者に泣きつくのね。王太子様もこういう弱い子がお好みなのかしら。自分がいなきゃって思わせるような。男って”そういうの”好きよね。でもね、”そういうの”はすぐ飽きるのよ。受け身ばっかりでお人形さんみたいでね。まあ、あなたがそういう人柄なら珍しさで私をおもしろがって通ってくださるかもしれないわね」


どこに、とは明言されなかったが、聞く者が聞いたらわかる。

これは暗に『リチャード様の側室になる可能性がある』と婚約者である私に宣戦布告したのだ。


空に広がる暗雲から低く地を鳴らす轟音の気配がする。

生暖かい風が渡り廊下にゆるりと流れ、サーラ様の黒い髪を揺らした。


「さっさと自覚して親鳥から巣立つ準備でもしたら……」

「──サーラ様は何か勘違いされているわ」


ピカリと辺りが光った。

私の言葉にが耳に届き、状況が変わったことやっと気づいたのだろう。


これはいけないわ。

今まで客人であるサーラ様に何か忠告したことはないけれど、これは放っておけないわ。


先ほどまでの勝ち誇ったような表情が崩れ、何が始まるのかとこちらを警戒している。

サーラ様は無意識に私の次の言葉を待っていた。


お話を聞く姿勢が出来ているなんて良い子ね、というように微笑みを返すと遠くの方で雷が落ちる。

サーラ様の後ろに立っていたメイドたちから引き攣れるような小さな悲鳴が聞こえた。


よくお聞きなさい。


「わたくし達がサーラ様の目に余る言動を目溢しして差し上げているのは、あなたがレイノルドお兄様のお客様だからですわ。ただのお客様である、あなたがそのように強気で……”かわいらしい”態度でお過ごし出来るのはレイノルドお兄様……我が国の王族という大きな後ろ盾があるからですわ。


……そして」


一歩、サーラ様の方へ足を進める。

サーラ様の靴から床を下がる音がした。


また空から地へ落ちた雷鳴が聞こえた。


「あなたの王宮内での振舞いに関して、何か……そうですわね。王侯貴族に対し侮辱ととられるような言動があった時に責任をとるのは、あなたを王宮に招いたレイノルドお兄様なのです。それはご理解されていまして?

あなたはお客様であり、我が国の民ではありませんもの。あなたはご自身の自由な振舞いの結果を、他国の王族に……、わたくしの親愛なるレイノルドお兄様にとらせる自覚がおありでしょうか」


言葉を重ねるように、一歩、また一歩とサーラ様との距離を縮める。


貴族の派閥の中には王族を神格化し熱烈な過激派も存在する。

もし、まだ何の繋がりも無い、レイノルドお兄様の客人というだけのサーラ様が王太子殿下の側室になるだなんて噂が先に流れてしまえばどうなるかなんて火を見るより明らかだ。


その派閥に睨まれたら、この国で身分もないお客様が一人”行方不明”になる可能性だって出てきてしまう。


王宮とは猛獣、魔獣の住処なのだ。

狩られる隙を見せてはいけない。


それを、サーラ様にはわかってほしい。


彼女は柱に後退を阻まれ、固まった。

黒曜石の瞳が、私に捕まっている。


「そして、わたくしはこの国の侯爵家の娘。王太子殿下の婚約者です。わたくし自身で築き上げた肩書きではないけれど、わたくしはその身分や立場に誇りを持ち、その名に恥じぬ行いを心がけておりますの。"お客様"に侮辱される覚えはないわ」


瞳の中を覗き込むように顔を近づけ、そう告げる。


王宮内にいる貴族たちが全員、私のように我慢強いわけでもサーラ様側の事情を知っている訳では無い。

そして、サーラ様の印象はそのままレイノルドお兄様へと還る。

帰国したばかりのレイノルドお兄様の足枷になってしまうことがあるのだ。


「サーラ様も、わが国で……この王宮で。私たちの傍で。お過ごしになられるのならば……お心構えが必要なのでは無くて?」


空気を緩和させるように、ふわりとほほ笑みと激しさを増した雷鳴を残しその場から去った。


私の後ろで殺気立っていた騎士たちや侍女たちの手前、このような伝え方になってしまったけれど意図はちゃんと伝わったかしら。


なぜかそわそわキラキラした視線を侍女と護衛騎士から向けられながら部屋まで戻ったのであった。

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