第15話 悪役令嬢の激励

いつもの休日。それはわたくしが王宮へ登城する日。

もう何も言われずともリチャード様の執務室へ案内されてしまうほど日常化してきた、そんな青空が澄み渡る日でしたわ。


王太子殿下の執務室内へ入るとリチャード様、お兄様たちは席を外されているようでした。

文官方はいつものように出たり入ったりと忙しそうで、わたくしはそれを横目で確認しながら執務室にいつの間にか設置された私用の机(隠れ猫ちゃんの装飾がまあ可愛らしい!)の前に腰をかけたの。


積まれていた書類を広げようとした時に……なんと、ノックも無くリヒト様が乱入されたのです。


「ローズ、いつもの部屋に来ないと追いかけてみればここにいたのか。王子妃教育はどうしたんだ。兄上の邪魔ばかりするんじゃない」


もう、目が点ですわ。

いつもはリヒト様の暴力的なほどの眩い顔面の良さに目を開けているのも辛いところですが、今日は目が点ですわ。驚きで。


文官方も突然の第三王子殿下の登場に驚いていらっしゃるわ。


このままではお仕事の流れが止まってしまいますので、リヒト様を連れ執務室近くの空き部屋まで移動したのが先ほどのこと。


私を追いかけてきたというお話しでしたが、きっと私の顔が見たかったとか早く会いたくて! なんて内容では無いのは確かですわ。


予想通り、部屋に入り振り返れば眉を下げ腕を組むリヒト様が「ソーニャを呼びつけたらしいな。彼女に貴族としての振る舞いを説いたそうじゃないか。偉そうに」と苦し気に私を非難して来ました。


これが、現在のわたくしの状況ですわ。

おわかりいただけまして?


久しぶりにリヒト様からお声がかかったかと思えば……! 先日のソーニャ様をお呼び出しした時のことについてでしたわ。


ふーっと息を吐き、ゆっくりと昔からの婚約者へと言葉を返した。


「今、学園内でソーニャ様は孤立しつつありますわ。問題事に巻き込まれまいと遠巻きにされているようです。リヒト様がお近くにいらっしゃるのですもの……リヒト様の婚約者である、わたくしが言わなければ、他にどなたが言うことが出来たでしょうか。ソーニャ様のお父様、お母様……もしくは、リヒト様でしょうか。どなたかソーニャ様を導く方がいらっしゃったのかしら。そうであれば、わたくしがお話しする必要はありませんでしたわね」


リヒト様はぐっと悔し気に押し黙ってしまった。

通じたようだ。よかった。


それでは、リヒト様!お覚悟はよろしくて?!


「わたくしが、わざわざ、ソーニャ様へ言わなければならない状況にあったことはおわかりになりまして? ……ソーニャ様の"お友達"であるならば、リヒト様や、ベン様、ノア様から学園内での振る舞いを教えて差し上げた方がよろしいのではないでしょうか」


まだリヒト様はぐぬぬ……と悔しそうに黙っている。

どうやらまだ私のターンのようだ。


「ソーニャ様は仮にも男爵家の息女……そして、第三王子であるリヒト様の"お友達"なのでしょう? 学園内にも、外にも、彼女の足元をすくおうとする者は必ず現れます。今は遠巻きにされていますが、いずれ優しい顔をした者が近づき害そうとするやもしれません。今の彼女ではそれを見極め御せるようには見えません。ソーニャ様ご自身で、貴族としてのやり方を身につけ、力をつけねばなりません」


「そんなもの、俺がいれば」


リヒト様が復活されたわ!

よかったわ……急所を刺してしまったのかとヒヤヒヤしてしまったわ。


その調子ですわリヒト様! まだまだこれからですわよ!


「──リヒト様が先回りし、甘やかし、守り、庇護する。腕の中に囲ってしまうのは簡単ですわ」


戸惑うリヒト様の青い目をしっかりと見据える。


「しかし、いつまでも守られているばかりでは、ソーニャ様の成長の機会を奪ってしまうのです」

「そんな、ソーニャはローズとは違うんだ」


違うから惹かれた……のですよね。

ズキンと心が痛みます。


つい、扇を握る手にも力が入ってしまった。

扇の内側にある、小さい猫の模様に強く握ってしまってごめんなさいね、と心の中で謝る。


心の痛みをやり過ごし、リヒト様へ言葉を返そうとした時


「──違うに決まっているだろう」


魔王の登場で部屋の空気が一変した。


「ローズを他の女性と同じにしないでほしいな」


ねえ? と微笑むリチャード様は、正統派王子様スマイルを浮かべていますが、私には見えます。屍の絨毯を歩くような魔王オーラがじわじわ漏れていますわ。

あたかもヒーローが乙女を助けに来るような場面で、魔王が降臨してしまったわ。


魔王様は私の耳元に顔を寄せると、私だけに聞こえる声量で「ローズ、執務室から逃げるだなんて悪い子だね」と囁いた。


ひぇ!!!


「いいいえ! ちが……!いえ。リヒト様からお話しがあると伺いましたので、こちらの空き部屋をお借りし、お話ししていただけですわ」


私は塵になっていないだろうか。魔王の覇道に中てられて。


「──そう。なんの話しだったの? リヒト」


魔王の視線がリヒト様へ流れた。


「……なんでもありません。ローズが兄上の執務室で遊んでいるようでしたので注意しました」


リヒト様もなんとか塵になってはいない様子で安心しました。


「遊んでいる、ねぇ」


リチャード様が悠然とリヒト様へ近づく。


「遊んでいるのはリヒトの方だろう。学科テストの順位が下がったそうじゃないか」


私からはリチャード様の背中しか見えないが、リヒト様の表情でわかる。これは目を逸らしたら消されてしまうやつだ。リヒト様がんばって!


「今なら講師がまだ部屋にいるから教えてもらいなさい。次は頑張るんだよ。それと、ローズは私の執務を手伝ってくれているんだ。遊んではいない」

「し、しかし! ローズには王子妃教育があります!」


すごいわ!あの魔王に意見を返すとは!

やはりリヒト様は大物……?


「……リヒトは聞いていないのか。いや、興味が無いのかな?」


あ、今のは傷つきましたわ


「ローズは王子妃教育を完了しているよ。……一年前にね。まあ、必要なくなりそうだけど」


あ、また傷つきましたわ!


扇の内側でムムムっと唇が尖ってしまう。

扇があってよかったわ。


「それにローズは立派な貴族令嬢だよ。人を導くことが出来るほどにね。まあ、リヒトに言いたいことは全てローズが言ってくれたようだし、私から言うことは無いかな」


あ、しっかり聞いていらっしゃいましたね? 結構最初の方から聞いてましたね?


「さぁ、リヒトは勉強に戻りなさい。ローズも戻ろう。ローズがいないと進まないものがあってね。それが終わったらスコーンもあるよ」


ふわっとこちらに振り返ったリチャード様は王子様のように麗しい笑顔でした。少しホッとしました。


「スコーン! ……んんッ、スコーンなんて興味はございませんわ」

「はは、そうだったね」


リヒト様は無言で頭を下げると、部屋から足早に出て行った。

二人でリヒト様が出て行く姿を見送り、揃って溜息が出てしまった。


「……これでリヒトもやる気が出ればいいんだけどね」


リチャード様はすっかり兄の顔だ。


「はい。リヒト様はやれば出来る方なのです! ソーニャ様と幸せになるためにも、ここが踏ん張りどころですわ!」


リヒト様。ここでいじけるか、奮起するか運命の分かれ道ですわ!


よし、と私も執務室へ戻ろうとリヒト様が出て行った扉の方へ足を向けた時。

ぎゅっとリチャード様に手を握られ引き留められた。


んにゃ! しゅしゅくじょのてててをぎゅ!!! だ! なんてえ!


「ローズは……本当にこの婚約が消えても心残りはないんだね」


あ、真面目なお話しでしたわ。

こちらを覗き込むように伺うリチャード様の表情には、からかう色が全くない。むしろ何かを案じるような表情だ。


「……はい。もう大丈夫ですわ」

「その後、どうするの?」


あぁ。やはり弟君の行く末は気がかりですわよね。


「やはり、ソーニャ様はどこかの高位貴族へ養子という形で縁組でしょうか」

「いや、そうじゃない。ローズのことだよ」


「わたくしですか?」


「この婚約が解消された後。ローズはどうするのかな」


ゆるりと引き寄せられ「誰か、もう他に希望する人物でもいるのか」と、リチャード様の手がさらに強く私の手を包み込んだ。リチャード様はお優しい。私のことも気にかけてくださっているなんて。胸の中がじんわりと温かくなる。


「そうですね……運が良ければ、お父様がまた新しい縁談を探されると思いますわ。もしくは、旅に出るのもいいですわね。幸い、語学はありますのでそれを生かして……」


リチャード様は私の答えを聞くと、少し眉を下げた。


「──まあ、いい。そのローズの能力を生かす、良い仕事があるよ」

「能力を生かす」


なんだかカッコいい響きですわ……!


「あぁ。せっかく王子妃教育やら日々沢山努力して培った能力なんだ。もったいないじゃないか」

「もったいない」


確かに、今まで受けてきた教育は無駄に出来ない。国のために仕えることになるであろうリヒト様を支えるために身に着けた教育は、確かにリヒト様という存在の近くで無くても何かに貢献した方がいいかもしれない。


「しかも、美味しいスコーンが出てきたり、猫も飼えるよ」

「まあ!」


お母様が猫アレルギーなので飼うことも触れることも出来なかった猫ちゃんと生活出来て、スコーンまで出てくるというの!? ええ、我が国は近隣国から頭一つ抜けてスコーンが美味しいの! 国を出ては、この大好きなスコーンを食べられなくなってしまうのだわ。盲点ね!


「それはね」

「はい……!」


もう脳内では猫ちゃんのお名前を決めたわ! スコッティよ!


「──王妃、だよ」

「はい???」


スコッティが逃げてしまったわ

王妃、ですって?


「え?」


リチャード様は私のリアクションが思ったものでは無かったのか、珍しく目を丸くして驚いている。

いやいや、え? はこちらの台詞である。


「……だって、王妃様はもう既にいらっしゃ……ハッ、まさか!」


まさか……そういうことなのね……!?


「あ、あぁ、そう気が早いけれどゆくゆk」

「国王陛下の後宮へ入れと……!?」


「え?」


え? はこっちの台詞である!


「いえ……いいえ!! そんなこと出来ないわ! 国王陛下には王妃様がいらっしゃいますもの! それを……第二の母である王妃様と争うことなんてできないわ……!」


いくら悪役と言えど、母には優しいのよ!


「……ごめん、ローズ。大丈夫、違うから」

「王妃様と白い手袋を投げ合うのでしょうか? ああっ、そんなこと出来る気がしないわ……っ」

「ローズ。落ち着いて。母上と決闘しなくていいから。ね?」


リチャード様に肩を揺すられたが、私はそれどころではない。

パタリと扉が開かれ、お兄様が来たがそれどころではない。


「何やってるんだお前た……あっ!? 邪魔したか!?」

「パトリック……あぁ……邪魔……に、なるはずだった……」


たすけてスコッティー!!!

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