伍場 七
五条の屋敷の中庭。月は今夜も無条件に霞を照らす。今夜も霞は篠笛を奏でる。霞が奏でる切ない調べ。まるで、悲しみを全て引きうけるかのようだ。奏でる霞の頬を涙が伝う。霞はいつも忘れない。一緒に囚われていた娘達の事を。今、霞は彼女たちの分を生きている。生かされている喜びと悲しみを篠笛にのせて奏でる……
………………
前方を受け持つ細身の男は太刀を抜いて正面のイノシシと向き合っている。後方の黒髪の美少女はいつでもイノシシを止められる態勢を整えた。
「九郎!速度上げるよ」
霞の術により九郎の身体が光る。
「ぜやぁ!」
イノシシに飛び掛かった瞬間に足の下をすり抜け霞に突進してきた。霞は想定の一つとばかりに落ち着いて、
「えい!」
術を使ってイノシシを止めた。
「九郎、とどめ」
霞は乱れていた長い髪を両手で束ねると背中に送って九郎を見ていた。
「九郎、あんた今の飛んでどうするのよ」
「申し訳ありません」
「いつも先を読めって言われているでしょう? 次、気を付けなさい」
「はい」
「よし。イノシシも取ったし戻ろうか」
九郎が吉右衛門の屋敷に来て二か月が過ぎた。時々、吉右衛門と弁慶が相手をしているが今日は二人で練習だ。
既に日も陰りだしている。街中から少しばかり外れた山中で二人は晩御飯のイノシシ肉を得るために練習を兼ねてやって来ていた。イノシシにとどめを刺して血抜きをする九郎。手際よく棒に縛り霞と九郎で前後に持って歩く。
「霞姐さんは凄いですね。いろんな技をお持ちだ」
「私のは力は所詮、偽物よ。姉様とは違う」
眼下に見える京の街を見降ろしながら霞は答える。霞にとっては今の人外の力をどう受け入れていいのか理解できずにいる。この力を行使して何をするのか何がなせるのか、今までからあの日を境に世界が一変した。その現実を未だ受け入れられずにいる。
そんな霞は話題を変えるために、
「ねぇ、九郎あんた武士になんてなってどうしたいの?」
前を歩く九郎に話しかけた。
「どうでしょうね……前にいた寺から出たかったのが一番で、それ以外は後付けの理由ですね。私に源氏の棟梁など務まるのでしょうか? 聞けば、坂東に兄上がいるとか。その方は私をどう思っているのでしょう? そもそも、私は何の後ろ盾も無いそんなものが源氏の血筋です。弟ですと現れて、はい、そうですか。となる物なのでしょうか?……考えると怖いですね。……霞姐さんはこの後どうするおつもりですか?」
振り向かずにそのまま答える九郎は表情を曇らせている。
「私? 私は……五条のお家にいたいな……みんな優しいから。ずっと一緒。でも、いつかは離れ離れになってしまうのかな? あんたもそのうち出ていくでしょう? そしたら、私だけになったら居づらくは……無いか」
「そうですね……」
「……そうだよね」
会話は続くことなく途切れ、二人は黙々と下山していく。
2kmも下った頃、九郎は急に後ろの霞が棒を外したのを感じた。一人では支えきれなくなってバランスを崩して尻もちをついてしまったのだ。
振り向きざまに、
「姐さん。まじめに持ってください」
多少、怒気も含んでいたと思うが、それを見て、途端に道端に駆け寄っていた。霞が倒れていたのだ。
「姐さん? 姐さん?」
肩を優しく揺らす九郎に霞が反応する事は無かった。
………………
「んっん~」
「気が付きましたか?」
どの位の時間が過ぎたのかはわからないが霞は九郎の背中で目が覚めた。山道を霞を背負って歩いてきたようで今は四条通りを歩いていた。もうすぐ屋敷になる。
「九郎、ごめん。もう歩けるわ」
「もうすぐですからそのままで」
九郎は霞を下ろす様子が無い。
「帰りました」
「なんや。遅かったな。どないしはったん?」
屋敷の奥から出てきた靜華が九郎に背負われた霞を見ると驚いた様子で
「どないしたん? 霞」
「もう大丈夫です。急にめまいがして気を失ってしまって、気付いたら九郎の背中の上でした」
九郎は霞を下ろして外に出て行ってしまっている。
「霞、今日は休みい。ご飯になったら呼んだるよ。わかったな」
霞の体調不良はいっときで夕食時間の頃にはすっかり元に戻っていた。九郎は霞を背負っていたためイノシシをあきらめてきたが弁慶を伴って山道に戻り、それから、一時間後に戻って来た。
「遅いわよ、九郎」
「えぇ~。姐さんを背負ってきたからでしょう」
「嘘よ。ありがとね。この通りよ。今度もおんぶして連れてってくれる?」
いたずらに微笑んで九郎の表情を楽しんでいた。
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