捌場 二

「おい! 竜神! 見ているんだろう? 俺を助けろ!!」


「…………」


「助けてくれ! お願いだ! 頼む!!」

靜華の胸に顔を埋め泣いていた吉右衛門は天を睨み涙ながらに懇願する。


…………空全体が発光した。


稲光が雲間で見えている様なものでは無い。天空全体が発光したのだ。


「おまえなぁ……我は神であるぞ。それを小間使いを呼び出すようにな……」

吉右衛門の脳に直接語りかけてくる。あの河原で会った竜の声だ。


天空の雲を引き裂き吉右衛門の眼前に巨大な竜が現れた。巨大な体躯はとぐろを巻くように吉右衛門の周囲を取り囲んでいる。

一瞬の事だった。

青銀色のうろこには黄金色に輝く靜華が映し出されている。


「いいから、靜華を返してくれ。頼む!」


「お前に言ったぞ。お前の仕事は巫女を守る事だと。それが出来なかったお前の願いをなぜ叶えなければならないのだ?」


「わかっている。わかっている。それでも、どうにかしてもらいたい。頼む」


光を帯びていた靜華から次第に光の微粒子が生じ始めている。


「頼む。頼む……」


「……ふぅむ……そうか。そうか。そこまで思うなら提案がある。

我の力を受け継ぎ、我の一族となれ。人間に神の力を授けてどうなるのか実験だ。長い時を使って様子を見てみたい。どうだ? さすればお前の勝手な願いを聞き届けてやらんでもないぞ」


「ああ、それを頼む」


「良いのか? 後悔するなよ。我の力を受け継ぐとは、すなわち永遠にお前の一族は争いごとの渦中に置かれる。それはお前の子孫にも未来永劫受け継がれるのだ。それと引き換えにお前の一族は人外の能力を受け継ぐ。しかし、正義も無く、ただ有り余る能力を行使するとは存外つらいものだぞ。それが我からの契約条件だ。その対価としてお前の宝物を下げ渡そう」


「ああ! かまわん! 俺の未来は靜華がいなければ先がない。靜華との未来が無ければ子孫など生まれようもない。すぐに頼む。見てくれ、今にも消えてしまいそうだ」


吉右衛門の腕の中の靜華の身体が眩しいほどの粒子に覆われ始めていた。


「ならば、契約成立だ。一度、契りを結んだ関係は元に戻すことは出来ない。覚えて置け」


「いいから、早くしろ!!」


「我が娘よ!この者の元へ戻り給え!!」


竜の身体から光の帯が天に向かって伸びていく。


「…………」


「…………」


「おい! どうした?」


「う、うむ。ちょっと待て……

おい!我が娘は戻りたく無いと言っているぞ。よっぽどのことをしたのか?」


「はぁ~? なんでよ」


「聞いてないと言っている」


「何を?」


「さっきの答え。だそうだ」


「さっき? どのさっき……え?」


「そういうのは当人同士でお願いしたいものだが、娘の為だ伝えてやるから早く申せ。」


「靜華を愛おしく思っている。傍にいて欲しい」


表情のわからない青銀色の巨大な竜に向かって愛の告白をする吉右衛門。


「……ふん、何が悲しくてこんなことに巻き込まれているのか」


「それは自分の娘に言えよ」


吉右衛門が見上げる高さの竜に向かって悪態の一つもついていた時に


「吉右衛門。あんな、自分の耳で聞きたいからもう一回言ってくれはる?」


「靜華!」


腕に抱かれていた靜華が目を開けて吉衛門の首に腕を絡めていた。靜華の顔色はすっかり元通りでいつもの笑みをたたえて吉右衛門を見つめている。


「あんたなぁ。天女から天を取ったら何になるか知ってはる?」


「何言ってんだ?」


「ただのおんなや。もう、不思議な力は無くなってしまいましたんよ。見て見なはれ、金色の髪の毛も黄色の目もすっかり消え失せてますやろ?」


そう言う靜華は黒髪の黒い瞳になっている。


「本当だ。いつの間に」


「本当にええのんか? もうウチは戦う力なんか持ってへんよ……」


「ああ! 傍にいてくれるだけで構わんよ。いつも俺の周りで楽しく踊っていてくれ」


「そうかぁ……『じゃぁ。そういう事にしておこか……』


なら、決まりや。竜神様。おおきにな。ウチは下界で楽しく暮らせそうや。心配せんといてな」


「あぁ。全てわかった。巫女よ。娘よ。永遠の別れぞ!


吉右衛門、これからの道は血塗られた道だ。心して励めよ! さらばだ!!」


竜の太い体躯がうねりだしたと思うと、一瞬で天まで昇って雲の上に消えて行った。


「なぁ。あんた、竜神様とけったいな約束しはったん? あのしぶちんが無条件にウチを戻すとは思えんのや」


「まぁ、そうだな……それほどでもないぞ。以外に話がわかる神様だった」


「ふ~ん。そうなん? ウチが心を読めなくなったと思って適当に言ってもあんたのこと位はわかるんよ~」


不敵な笑みをたたえる静華の指先が自分の顔の違和感に気づく。


「なにこれ? ウチの顔とか血だらけやん。その手ぇで触ったん? ほんま、かなわんなぁ」


驚いたように全身を確認しだす。吉右衛門は視線を逸らし遠くを見ながら


「帰るか?」


「何? なんで無視? こんなん汚れてますやん。わかってはりますか~?

うっわ~!着物の背中とかばっくり空いてる。この辺は元通りにするように神さんに言わはらなかったん? もういやや! 歩けへん。このまま抱っこでつれてって」


「今、俺、何考えてるかわかる?」


「わかるか! さっきまで良い声上げて泣いてはったのは知っとるわ! しずか~、しずか~言うて」


吉右衛門は腕の中で手足をバタつかせている靜華の顔を見つめ心の中で呟いた。


『……戻ってきてくれてありがとう……』


急に靜華が手足のバタバタをやめて、吉右衛門の顔をじっと見つめ、


「え?……」


靜華が思わず声を漏らす。

眉を上げ可愛く怒っていた表情が緩み、うっすらと涙が浮かんで笑顔になっている。


吉右衛門には靜華の表情が見えていたのだろうか?

視線はそこになく、遠くを見て一つ深呼吸をし、半笑いを浮かべると、


「ああ! わかった。面倒くさい。抱っこな。帰るぞ」


靜華を肩に乗せ歩き出す吉右衛門。

吉右衛門の背中で


「こんなん抱っこちゃうわ! 米俵かウチは! もっと敬えや! ウチは元天女やぞ!!」


「あぁ、ハイハイ」


「こら! 尻さするな!! なんやこの扱い! もう天に帰る!! 天罰下したる~!!」





それから半年の月日がたち、暖かい春の日差しが穏やかにさすある日の午後。




「娘殿。この辺に藤原の朝臣大滝の屋敷があったと思うのだが知らんかのう?」


五条の通りを東に向かって一人の年寄りが歩いていた。格好は高そうな着物を着ているので、それなりの身分なのだろ。しかし、傍から見れば京の街が初めての様に見受けられる。それは、あたりを見回しながら目に入ったものをしばらく見続け、飽きれば次に移動する。そんな塩梅で賑わい深い大通りをちょこまかと移動しているからに他ならない。そんな年寄りが、ハタと動きを止めた。目的を思い出したらしい。


すると、周囲の人間に視線を合わせ、一番、目を引いた、すらりと背の高い妙齢な女性に声を掛けたのだ。どうせ声を掛けるなら自分好みと話したいとその年寄りは考えている。


如才ない態度に聞かれた女性も立ち止まり対応をした。


「ん~。藤原のなんちゃらは知らへんけど。大滝ならウチの家やよ。爺っち様、何の用?」


「ほぅ~これは。仏様の御導きか。するとあんさん、菩薩様ですのか?」


「菩薩様ではあらへんよ。そうやねぇ。強いて言えば、元天女や」


「おぅ!なるほどな。どうりで高貴な顔立ちっちゅう訳やな」


「ははは。上手やねぇ。ウチも帰るところや。一緒に行こか? じっち様!」


『ふ~ん。いつぞやの陰の軍団が……ぎょうさんおるなぁ~。このじっち様ナニモンなんや?』



【竜の一族 偽りの残滓 編】

に続く。

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