第二章 竜の息吹

テーラ王国編

第21話 テーラの王子

 精霊の森を出てから一週間ほど経ったある日の朝、野宿の場から少し離れた森の一角。

 俺はアシッドの村を出るときにもらった剣を携えて歩いていた。

 森のざわめく声が聞こえる。

 ──そんなもの使わずに僕らの力を借りればいいのに。

 それで毎回倒れていたら元も子もないじゃないか、と精霊達に悪態をついた俺に声をかける者がいた。

「ガク、早いわね」

 ティリスだ。

 いつもは高い位置で一つに結わえている長く美しい髪。それを下ろしたままの姿に起きたばかりの表情がうかがえる。

「二人は? まだ起きてない?」

 いつも通り、と答えた彼女にやっぱりか、と俺は笑った。

 チッタとユイナは朝がそんなに強いわけではないらしい。

 まあ、いつも一番遅いのはチッタだけど。

 交代で見張りをする必要がないと判断した日はいつも四人同時に眠るのだが、大抵初めに目を覚ますのはティリスか俺で、まれにユイナが一番乗りで景色を眺めていたりする。

 そういう時彼女は決まって元の世界を思い出しちゃって、と悲しそうに言うのだった。

 ユイナの辛さはどんな程度だろうか。

 自分たちが住んでいる以外の別の世界なんて考えたこともないから、とても想像ができるものではない。

 きっと彼女には大事な家族もいるのだろう。

「……家族か」

 頭の中で考えたことがそのまま声に出てしまったらしい。

「ぼんやりして、どうしたの?」

 不思議そうに首を傾げるティリスに、何でもないよ、と一言返した。

 尚も疑問がありそうな彼女だったがそれにしても、と呟き、続けた。

「体調がだいぶ良くなったから剣の扱い方を教えてくれだなんて、驚いたわ」

「いいだろ、俺だって多少はみんなの力になりたいんだ」

「あら、料理をしてくれるだけでも十分力になっているわよ。私がつくるのじゃ、チッタは不服そうだから」

 そう冗談めかして笑う彼女につられ、俺も微笑んだ。

「さあ、始めましょうか」

 お願いします、と俺は返したのだった。




 その日俺たちはやっとの目的地であるテーラが見渡せる高台に来ていた。

「一番乗りー!」

 寝癖がひどいチッタが一番高い地点へと駆け上る。

 ついついつられて走るユイナを見ながら俺はスイフトの手綱を引いていた。

 頭に乗っかっていたヴィティアがバランスを崩し、俺の視界がなくなったところで隣からティリスの笑い声が聞こえた。

 おそらく今の俺は面白い姿になっているのだろう。

 と、体制を立て直せず暴れるヴィティアを肩に降ろすと、頂上に辿り着く少し手前でチッタと少し困ったような顔をしているユイナが立ち止まっているのが見えた。

 どうしたのだろうか、こちらを振り返り、手をこまねいている。

 やっと追いついた俺たちはやっとその事情を理解した。

 一人の少年が、こちらに背を向けて地にうずくまっていたのだ。

 歳はいくつほどだろうか、背丈からするにまだ十歳前後の彼は、震えていた。

 どうしたものか、と考えているうちに、チッタが近づき、口を開いた。

「君、どうしたの?」

 その声に反応した彼がこちらに振り向く。

 その表情は怯え切っているように見えた。

 と、元から持っていたのだろうか、彼の手に持たれた剣が振り上げられた。

 突然のことに反応しきれなかったチッタに向かってそれが振り下ろされる。

 思わず俺は目を背けた。

 聞いたことのない金属音が響いた。

 目を戻すとチッタの前に立ちはだかったティリスが自らの剣で少年のそれを弾き飛ばしていたのだった。

 呆然と崩れ落ちた少年を慌てて俺は助け起こした。

 細く今にも折れてしまいそうな腕。

 弾き飛ばされた剣は地面に突き刺さっており、それを慣れた手つきで引き抜き眺めたティリスがこちらに近づき、胸に手を当てて一つ礼をすると口を開けた。

「無礼を失礼いたします。私は隣国ディクライットのアウステイゲン騎士団の者です。この剣はテーラの王家に伝わるもの。あなたはテーラ王国の王族の方ですね?」

 少年は顔を背けた。顔についていた泥とともに血の跡も見えた。

 ずっと放浪していたのだろうか、よく見ると服もボロボロで、ところどころ破れている。ティリスが再び口を開こうとしたその時、少年の呟く声が聞こえた。

「……僕は」

 それに気が付いたティリスが話を聞こうと耳を傾ける。

「僕は、テーラの王子だったんです……」

「だったって、どういうこと?」

 口を挟んだのは、ユイナだった。


 その言葉に再び黙り込んだ彼だったが、ゆっくりと話し始めた。

 彼はテーラ王国の第一王子でアレンという名前だということ。彼の父である国王が国民を理不尽に殺し、さらには隣国トルマリンに戦争まで仕掛けようとしているということ。それに王子が意見をしたがために国を追放されてしまったということ。

 テーラの王はとても温厚な人だったはず、というティリスの言葉に、彼はついに泣き出してしまった。

 ぼろぼろと零れ落ちる彼の涙が冷たく、俺の腕に落ちた。

「父上は、きっと何か悪いものに憑かれているんだと思います。僕が、僕が何とかしなければ……!」

 嗚咽と共にその言葉を吐き出し泣きじゃくる彼の背中を、俺はゆっくりと優しくさすった。困り果てた俺たちが顔を見合わせていると、少し遠くからよく通る声が聞こえた。

「アレン様! ご無事でしたかアレン様! ああよかった!」

 端正な顔立ちに腰に差した剣。

 安心したような表情で王子に駆け寄った彼はつづけた。

「ぼろぼろじゃあないですかアレン様……ああでもよかった、本当によかった……」

 まるで親であるかのように言葉をかける彼にアレンが答えた。

「探しに来てくれたんだねロイド。ありがとう」

「当たり前ですよアレン様……」

 感動の再会なのか何なのか、いまだに状況がさほど呑み込めていない俺たちに、あなた方は? とロイドが質問した。

 これまでの経緯をティリスが説明する。

「なるほど、では我が国に用があって。しかし残念ながら今テーラは……」

 深刻な面持ちで目を伏せるロイドにアレンが言った。

「お願いですロイド、僕を陛下に、父上の元に……。僕らの国に行かなければ……」

「ですがアレン様。城は危険です」

「どうしても父上と会って話がしたいのです」

 アレンの頑固そうな瞳に、ロイドは負けたようだった。

「旅人さんたちは、どういたしましょうか?」

 ロイドの声掛けに、今度はチッタが元気よく答えた。

「俺たちも一緒に行く! 俺、アレンの力になりたい!」

 言っちゃったよ……と思った三人だったが、ありがとうございますと深々とお辞儀をする王子に、そうするより他がないということで、あきらめたのだった。

 大変なことになっている、というテーラの国が眼下に見え、先ほどまでは普通の国のように見えていたそれが不気味な色を帯びたと、俺は感じていた。

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