第七十一話「オルドリッジの苦悩」

 時は4月25日の夕方に遡る。

 スールジア魔導王国軍スタウセンバーグ駐留軍の連隊長、オーガスト・オルドリッジは部下たちが野営準備に忙しく動き回る中、折り畳みの椅子に座り、深く考え込んでいた。


魔物暴走スタンピード発生から4日目に入っている。恐らくスタンピードは既に終息しているはずだ。エクレストンの言葉が正しいとは思わんが、脱出してくる兵やシーカーがこれ以上あるとは思えん……)


 先ほど合流したマーカス・エクレストンの報告によれば、自分たち以外は全滅し、街道に生存者はいないというものだった。

 実際、避難民は今日の午前中に僅かにいた程度で、午後には誰一人ここにたどり着いた者はいなかった。


(明朝出発するとして、問題は溢れ出てきた魔物たちだ。この狭い道では数の優位を生かせん。少数精鋭でいくしかないが、相手はレベル400以上だ。それに空を飛ぶデーモンが来れば、側面から攻撃を受ける。どれほどの損害が出るのか想像もできん。しかし、ここではスタウセンバーグに近すぎる。もう少しグリステートに近づかねば……)


 現在留まっている場所はスタウセンバーグから僅か40キロメートルしか離れていない。もし、飛行型の魔物が現れた場合、自分たちを無視して町に向かう可能性があった。

 この部隊の重要な任務に、できる限りスタンピードが発生したグリステートに近づき、魔物を倒し、スタウセンバーグに近づけないというものもある。


 問題はグリステートに向かう道が狭く、馬車がすれ違えるだけの幅しかないことだ。

 500名からなる部隊であるため、この道幅では長蛇の列にならざるを得ず、数で圧倒することができない。

 また、精鋭を先頭に集中させて倒していくという方法も、空中から攻撃を受けることを考えると、現実的ではなかった。


 結局、オルドリッジは精鋭である自らの直属を前衛としただけで、他は戦力が偏らないように小隊単位の編成は変えていない。


 4月26日の早朝に出発したが、オルドリッジの懸念はすぐに現実のものとなった。

 前方からトロールが現れたのだ。


 数は2体と少ないが、耐久力のあるトロールは前衛の攻撃と弓術士、魔術師による遠距離攻撃を受けてもなかなか倒せず、1時間以上の停止を余儀なくされた。


 その後もトロールやオーガが散発的に現れ、その都度行軍を停止している。

 午後になり、事態は更に悪化した。

 デーモンが現れ、空中から攻撃し始めたのだ。


 それまではトロールやオーガという大物であったものの、近距離攻撃しか行わないため、足止めした上で魔術や弓で倒すことができた。

 そのため、部隊に大きな被害はなかったが、デーモンが現れたことで一変する。


 デーモンは王国軍をあざ笑うかのように空中から魔術を放った。それも中級魔術を連続で撃つため、隊列の多くの場所で混乱が起きる。

 弓術士や魔術師が反撃するが、矢は無効化され、魔術もほとんど当たらない。


「指揮官は散発的に攻撃させるな! 魔術のタイミングを合わせさせるんだ!」


 オルドリッジの指揮で魔術の飽和攻撃を行い、何とかデーモンを倒したが、結局その日はゴーレム馬車を使っているにもかかわらず、30キロメートルほどしか進めなかった。


 翌日27日も状況は大して変わらず、早朝からデーモンが散発的に現れた。

 午前10時頃にはデーモンより強力なナイトメアの襲撃を受け、大混乱が起きる。多くの兵士が精神魔術を受け、指揮命令系統がズタズタになってしまったのだ。


 精鋭たちを使って何とか倒したものの、更にその1時間後にグレーターデーモンが現れた。強力な魔術による攻撃を受け、50名近い死者を出した上、最終的に取り逃がしている。


(くそっ! 奴が小さな町や村にたどり着けば、全滅は免れん。七賢者セブンワイズの魔術師たちが来てくれればいいのだが、ここまで現れぬということは期待できん。もう少し近づきたかったが、やむを得ぬ。近くで陣を張って迎え撃つしかない……)


 オルドリッジは魔物を食い止めるため、これ以上の進軍を諦めた。

 比較的広い荒地が近くにあったため、そこに陣を張る。距離的にはスタウセンバーグから80キロメートル、グリステートから40キロメートルほどのところだ。


 この作戦は成功した。

 人の気配を感じた魔物たちが次々と現れたが、数の優位を利用し、強力な魔物たちを倒していく。


 その夜に上位のアンデッド、ワーウルフやヴァンパイアが現れたが、強固な防御陣形を作っていたことと、数が少なく単発だったため、何とか凌ぐことができた。


 それでも未明に受けたヴァンパイアロードの襲撃では暗闇ということもあり、オルドリッジの命令が後手に回り、最終的に30名近い死者を出している。

 救援部隊は2日間で全体の2割、約100名を失った。


(更に強力な魔物が現れるはずだ。このままでは全滅の可能性すらある。明日の状況を見て、一度撤退することも視野に入れねばならんな……)


 翌4月28日。

 グレーターデーモンとヴァンパイアロードが現れたが、昼間ということで数の優位を生かすことができ、何とか倒している。


 正午を過ぎると、魔物はほとんど現れなくなった。

 兵士たちはこれで終わったと楽観するが、オルドリッジは警戒を緩めることなく、臨戦態勢を維持させた。


(魔物の数が減った。ヴァンパイアロードでスタンピードが終わったということか。これならば明日の朝に出発できるな……)


 オルドリッジは明日の朝出発することを部下たちに伝え、翌29日の早朝にグリステートに向けて進軍を再開した。


 出発して2時間ほど経った午前10頃、打ち捨てられた2輌のゴーレム馬車を発見した。

 オルドリッジが調べさせると馬車の中や外に多くの遺体が見つかった。腐敗は始まっていたが、荒らされた様子もなく、アンデッド化の兆候もなかった。


「グリステート守備隊の兵士とミスリルランクのシーカーのようです。カーンズ所長の遺体も発見されました」と調べていた兵士が報告する。


 そこでオルドリッジはマーカスを呼び出した。


「彼らとは一緒ではなかったのか?」


 その問いにマーカスは一瞬動揺するが、すぐに平静を装い答える。


「我々より先に逃がした者たちです。負傷者と魔力が切れた魔術師をカーンズに逃がすよう命じたのです」


「ならば、この者たちを見たということか」


「そうです」


「どうして遺体を回収しなかった! 馬車の中には収納袋マジックバッグがあったのだ。それに入れれば運べたはずだ!」


 王国軍では可能な限り遺体を回収することが義務付けられている。これは遺族に引き渡すというより、アンデッド化を防ぐことで戦死者の尊厳を守るという意味合いが強い。


「脱出を優先しました」と悪びれもなく答えるが、オルドリッジはその言葉を信じていなかった。


「貴様は戦友を見捨てたのだ。自らの命惜しさにな。これは敵前逃亡に等しい行為だ。覚えておけ」


 それだけ言うと、進軍を再開させた。

 マーカスは自分の対応がまずかったと思ったが、それについては楽観していた。


(言い方を間違えたな。まあいい。魔物が現れないということは、スタンピードは完全に終わったんだろう。伝令すら現れないってことは、守備隊は全滅したはずだ。迷宮内にいたシーカーたちはいるが、俺が戦わなかったという証人はいない。これで俺が魔物に殺されることも処刑されることもなくなった……)


 マーカスは危機が去ったと安堵する。

 しかし、彼の知らないところで、カーンズたちの遺体を調査した小隊長がオルドリッジにある物を手渡していた。


「カーンズ所長の遺体のポケットにこのような物が入っておりました」


 そう言って一通の封書を手渡す。宛名は派遣部隊の指揮官となっており、彼はそれを開いた。


「これは……」と思わず声が出た。


 それは今回のスタンピードに関する報告書だった。

 スタンピード発生時の対応から守備隊の作戦計画や戦いの推移などの概略が記されていた。


 更にマーカスと彼の取り巻きたちが一度も戦場に立つことなく、行方不明になったことも記されており、敵前逃亡で告発すべきと書かれている。


「くそっ! やっぱりだ!」


 オルドリッジはそう言って吐き捨てるが、更に読み進めると、詳細な報告書は迷宮管理事務所の金庫に入っているとあり、それを証拠とすべきだと考え直した。


(ここは戦場だ。この私の権限で処分できるが、奴は魔導伯家の嫡男だ。私が処分されるのは構わないが、権力を使って奴の破廉恥な行いを揉み消される可能性がある……)


 エクレストン魔導伯家は魔術の大家として国王の信任も厚い。そのため、ここでマーカスを処断しても、エクレストン家の名誉を守るために彼の罪を認めず、逆にオルドリッジが不当に処断したとして告発され、マーカスが英雄だったとされる可能性すらあった。


(有無を言わせぬ証拠を手にするまでは泳がせておくしかない。だが、このままでは絶対に済まさん! 奴を野放しにすれば英雄たちの死を汚すことになるのだから……)


 オルドリッジは決意を新たにするが、それを顔に出すことなく、グリステートに向けて出発を命じた。

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