第四十二話「誤算」

 七賢者セブンワイズの1人、黒の賢者はこの状況に焦っていた。


(何が起きたのだ。私の調整は完璧だったはずだ……)


 彼が困惑しているのはパーガトリー迷宮で魔物暴走スタンピードが発生したためだ。

 彼は王都にいたが、転移魔法陣を使った伝令が到着しており、状況は把握している。


(確かに魔物を増やすために魔法陣を使って魔力マナを注入した。だが、それは上層階からだ。精々400階層までしか影響は及ばぬはず……)


 グリステートの町の周囲に彼の配下の魔術師を使ってある魔法陣を描かせた。それは魔力マナを集めるもので、人が作るものとしては大規模のものだが、迷宮を作り出すほどの量ではない。


(しかし、事実としてスタンピードが起きている。このタイミングで起きたということは私が設置させた魔法陣が原因だったと考える方が自然だろう……)


 パーガトリー迷宮がスールジア魔導王国に管理されてから既に500年以上経っている。その間、スタンピードが発生したことはなかった。

 魔法陣が完成したのは3月の末頃。その魔法陣を起動させてから1ヶ月経っており、因果関係があることは間違いないと思われた。


 黒の賢者が知る由もなかったが、事実は少し異なっていた。

 今回のスタンピードの直接的な原因は大陸の西にある四大迷宮の一つで起きた異変だ。その迷宮に囚われていた古代竜エンシェントドラゴンが消え、魔脈マナヴェインの流れが大陸中で乱れた。


 そのため、パーガトリー迷宮ではマナが増える傾向にあった。増える量的にはそれほど多くなく、迷宮の成長が追いつく程度であったが、そこに彼が施した魔法陣によるマナの増大が重なり、スタンピードが発生したのだ。


 数千キロメートル離れた迷宮での出来事であり、この事実に気づけないのは当然だが、タイミングが最悪だったのだ。


(不味いことになった。灰の賢者が何か言ってくるはずだ……)


 彼の予想通り、スタンピード発生の報が入った直後に灰の賢者が彼の前に現れる。

 彼の他に5人の賢者も揃っていた。

 それぞれ、赤、青、緑、黄、白の仮面を被り、同系色のローブを身に纏っている。


「勝手にとんでもないことをしたみたいね?」


 白い仮面を被った白の賢者が糾弾する。その声は若い女性のものでローブからでも分かる肉感的な肢体だった。

 色から分かるように白の賢者と黒の賢者は犬猿の仲だ。白の賢者は神聖魔術の使い手であり、暗黒魔術を嫌っているためだ。


「何のことだ?」と惚けるが、灰の賢者が間に入る。


「惚けても無駄よ。あなたが魔法陣を設置していたことは分かっているのだから」


「そこまで分かっているなら、黙認していたということじゃないのか。今更、何を言いに来たのだ?」


「町に流した噂では魔物除けということだったわ。それが逆にスタンピードを起こさせるものだったとはね。そんな危険なことをするほど、頭のネジが緩んでいるとはさすがに考えなかったわ」


「確かに魔物除けではなかったが、スタンピードを誘発させるようなものでもない。上層階の魔物を活性化する程度の魔力マナしか注入しておらぬ」


「でも結果は見ての通りよ。あなたの目論見が甘かったのではなくて?」


 そう言われてしまうと反論のしようがなく、沈黙するしかなかった。


「いずれにしても責任は取ってもらうわ」


 黒の賢者は沈黙するが、代わって白の賢者が発言する。


「責任はもちろん取ってもらわないといけないけど、この事態をどう収拾するつもりなの? 私たちでもあの規模のスタンピードを抑え込むことは不可能よ」


 その言葉に赤、青、緑、黄の4人も同意するように頷く。


「確かにそうね。あれより小さい迷宮でもレベル600以上の魔物が出てきたことがあったわ。あの規模ならレベル800クラスの化け物が出てきても驚かないわね」


 灰の賢者の言葉に5人の賢者が頷く。

 レベル800は一国の軍隊が束になっても敵わない天災のような存在だ。

 セブンワイズはレベル600を超える高位の魔術師だが、7人でもレベル700の魔物一体と互角に戦えるかどうかという力しかなく、レベル800の魔物に対しては全くの無力だ。


「ま、待ってくれ! 全員で当たればなんとかなるのだ。協力してくれ!」


「無理よ。パーガトリー迷宮は四大迷宮に次ぐ規模なのよ。レベル700クラスの魔物がゾロゾロ出てくることは間違いないわ。そんな敵と戦う気はサラサラないわ」


 セブンワイズは一般に王国の守護者と呼ばれているが、自分たちの命に危険がない時にしか動かない。


「運が良くても王国の三分の一は壊滅するわね。私としては王都に向かわないことを祈ることしかできないわ。何といってもここには重要な研究施設がたくさんあるのだから」


 それだけ言うと、黒の賢者を一瞥し、


「行きたいなら行っても構わないわよ。転移魔法陣を使えば、あの子を助け出すことはできるのだから」


 そう言われるが、黒の賢者はためらっていた。

 もし、ライルが神人族ハイヒュームに進化したなら、この状況を何とかできるかもしれない。1000年前のハイヒュームの英雄にはレベル800に近かった者がいたという伝承が残っているためだ。


 更に自分が責任を取らされることも気に掛かっていた。


(今の状態の彼を助け出したとしても、私が処分されることは確定的だ。ならば、彼がハイヒュームに進化することに賭けた方がよいかもしれん。ハイヒュームを生み出すことができれば、この程度の失態は糊塗できるはずだ……)


 そう考えた黒の賢者は「好きにさせてもらう」といい、6人の賢者の前から姿を消した。


 自分の執務室に戻ると、3名の部下を招集し、命令を伝える。


「グリステートに向かえ。ライル・ブラッドレイを監視するのだ。彼が死ぬか、急速にレベルを上げたら報告に戻れ」


 黒の賢者は自ら危険な地に向かうつもりはなかった。

 王国一の暗黒魔術の使い手であるが、暗黒魔術はアンデッドや悪魔系の魔物に対して相性が悪い。他の属性も使えるものの、隠密系のスキルを多数有しているわけではなく、自分より高いレベルの魔物と戦うつもりはなかったのだ。

 部下たちは絶対的な服従を刷り込まれており、死地に向かうことにためらいはなかった。


 灰の賢者たちは王都防衛のための協議を始めた。

 議長役の灰の賢者が切り出す。


「グリステートの守備隊とシーカーたちでは防衛線が維持できるのは精々明日の深夜まででしょう。レベル600を超える魔物が出てくるのは明後日。それからこちらに向かうとして、最短で5日といったところね。私たちが取るべき行動について意見があれば聞くわ」


 そこで白の賢者が発言を求めるべく手を上げた。


「王都に防衛線を敷いてはいかがかしら? この地は500キロ以上離れているのだし、迷宮から一番近い町はこことは反対側の北にあるスタウセンバーグよ。魔物がこちらに向かう可能性は低いわ」


 迷宮の魔物は本能的に人を襲う。

 吸血鬼ヴァンパイア大悪魔グレーターデーモンなど知性を持つ魔物もいるが、迷宮から出た直後はその本能に従って行動することが分かっている。

 北に人口が多い町があれば、最初はそちらに向かい、そこから更に人が住む町や村を襲いながら進んでいく。言い方は悪いが、スタウセンバーグが餌になり、王都シャンドゥに向かう可能性は低いということだ。


「妥当な意見だけど、運任せね。ここに防衛線を敷いても全滅は必至。なら、防衛線を敷く必要はないわ」


 そこで火属性の赤の賢者が発言する。赤の賢者は身長190センチを超える巨漢の男性で、ローブの上からも筋肉に覆われていることが分かるほどの肉体を持っていた。


「言わんとすることは分かるが、ここは大陸の東の端に近い。逃げるにしても海に出ねばならん。知っての通り、東に向かって大海が続くだけだ。それに遠洋には大型の海棲の魔物が多い。無事に済むとは思えぬ」


「そうね。でも、南に向かえばどうかしら? マーリア連邦辺りまで逃げきれれば、助かる可能性は高いわ」


 この時、彼らの頭の中にシャンドゥの人々のことはなかった。

 彼らは自分たちに有用な人材が生き残ることしか考えていなかった。

 更に言えば、自分たちだけなら、転移魔法陣を使って南部の都市に逃げることができると高を括っている。


 そこで水属性の青の賢者が発言する。青の賢者は中性的な雰囲気を持ち、男性にしては高く女性にしては低い声の持ち主で、他の賢者も性別を知らなかった。


「マーリアに向かう案はいいかもしれない。私はその案に賛成する」


 他の賢者も賛成したことから、青の賢者が脱出の指揮を執り、灰の賢者が王国の要人に説明に行くこととなった。


 スタンピードに怯える国王らに対し、灰の賢者は余裕を見せるようにゆっくりとした口調で説明する。


「パーガトリー迷宮のスタンピードは抑えようがありません。ですが、ここシャンドゥは我らセブンワイズが命を賭して守ってみせます。もちろん王国軍や宮廷魔術師の協力は必要ですが、不安に思うことは微塵もありませんよ」


 その言葉に国王たちは安堵する。


「さすがは王国の守護者です。民たちが動揺することがないよう、今のお言葉を伝えましょう」


 こうして、灰の賢者の思惑通り、王都は平静に戻った。

 その間に青の賢者が数隻の軍艦を徴用した。

 海軍の関係者はその行動に首を傾げるが、青の賢者がやることだからと疑問を口にすることはなかった。

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