第四十話「混乱」
4月21日の8時半頃。
僕とローザは迷宮管理事務所のベテラン職員3名と共にパーガトリー迷宮の101階に向かった。3人の職員はいずれも元
僕たちが一緒にいるのは
「酷いことになっているようだな」とローザが呟く。
出入管理所では迷宮への一時立ち入り禁止の指示を受け、大混乱に陥っていた。
「なんで入れないんだ! 魔物の湧きがよくて稼ぎ時なんだぞ!」
「上の階で魔物が増えているんだ! スタンピードじゃないに決まっているだろ!」
叫んでいるのは
僕たちはその混乱の中をかき分けるように進み、転移魔法陣に入る。そこでも「なんでそいつらはいいんだ!」という罵声を浴びるが、それに構うことなく、魔法陣を起動した。
101階層に降りると、すぐに魔物の反応があった。
「さっきより増えている感じです。すぐそこに
「101階で複数の魔物だと?」とベテランの職員は訝しげに言うが、すぐに体長1メートルほどの赤黒い表皮をしたカエルが3匹襲い掛かってきた。
職員たちが動く前に、僕とローザがそれに反応する。僕は構えていたM4カービンで2匹を撃ち殺し、ローザが飛びかかってきた最後の1匹を
3匹のカエルは光の粒子に変わり消えていくが、職員はその事実に驚きを隠せない。
「101階で3匹……あり得ない……」
職員たちは衝撃的な事実を目の当たりにし、ベテランとは思えないほど動揺していた。
迷宮の特徴として、現れる魔物が変わった直後の階では複数の敵が現れることはない。通常は20階層くらい降りた後に複数の敵が現れるようになるのだ。
この常識はここパーガトリー迷宮だけでなく、全世界共通のもので、それが覆る状況はスタンピードしかないと言われているためだ。
「もう少し確認しますか?」と呆けている職員に確認する。
職員もすぐに正気に戻り、「その必要はない。すぐに引き返す」と言って降りてきた階段を戻っていく。
「君は所長に報告してくれ。私たちは200階層も確認してくる」と一人の職員に命じると、転移魔法陣を操作して200階層に飛んだ。
「やっぱりスタンピードですか」と確認すると、
「そうとしか考えられん。恐らくこの後すぐにスタンピードの対応体制になるだろう。済まないが、君たちにも話を聞くかもしれんから、しばらくここで待機してほしい」
それだけ言うと、職員は事務所の中に駆け込んでいった。
残された僕たちは事務所の中で手持ち無沙汰で待つことになった。シーカーの知り合いから、「何があったんだ」と聞かれ、見たことを説明していく。
「スタンピードの兆候があったんです。職員の方と101階を調べてきたところです」
「スタンピードだと……本当なのか?」
「職員の方はそうだと思っているみたいです。それにラングレーさんも不安に思っていて、兆候があったら迷宮に入るなと教えてもらったんです。今、200階を調べにいったようですからすぐに結論が出ると思います」
その言葉でベテランのシーカーたちが動き出した。
「お前たちも準備しておいた方がいいぞ。予備の武器や消耗品を今のうちに手に入れておいた方がいい」
その言葉でベテランたちが何をしようとしているのか理解する。
「ここで待機と言われたし、どうするかな」
「うむ。
その言葉で、ここで待つことに決めた。
200階に向かった職員たちが10分ほどで戻ってきた。その顔は蒼白になっており、スタンピードの発生が確実だと物語っている。
それから10分ほど経った頃、バタバタという足音が響いた。職員たちが慌ただしく走り回っているのだ。
更に30分ほど待っていると、10人ほどの騎士と共に小走りで入ってくるマーカスの姿があった。彼は焦っているのか、僕たちに気づくことなく、管理事務所の会議室に入っていった。
「守備隊まで来たということは警報が出されることは間違いないようだな」
「そうだね」と答えるが、10分経っても30分経っても会議室の扉が開かれることはなかった。
1時間ほど経った頃、
「転送室の扉が開かれた! スタンピードだ!」
その言葉に管理事務所内は騒然となった。
■■■
4月21日午前9時頃。
マーカスはモーゼスを捕らえた後のことを考えながら守備隊本部に戻ってきた。その直後、ノックもそこそこに開かれた扉の音に視線を上げた。
「何事だ」と不機嫌そうに聞くと、入ってきた騎士は焦りを含んだ表情で、
「大変です! 迷宮でスタンピードが発生しました!」
「す、スタンピードだと!」とマーカスは飛び上がるように立ち上がる。
「先ほど迷宮管理事務所のカーンズ所長から対応を協議したいので至急来ていただきたいと連絡があり、隊長がお戻りになるのを待っておりました」
「ま、待て! 本当にスタンピードが起きたんだな!」
「そう聞いています。101階の魔物が異常に増えて攻撃的になっていると。200階層でも同じ兆候があると……」
「待て。それはおかしいぞ。俺が学院で聞いたのは、スタンピードは下層階から始まるということだ。上層階で何か異常があってもスタンピードとは関係ないはずだ」
「しかし、所長の権限で招集が掛かっています。行かないわけにはいきません」
迷宮管理事務所は王国の出先機関であり、スタンピード発生時には強い権限を持つ。その中には守備隊に対する指揮権もあり、所長の命令に逆らうことは王国政府に逆らうことと同じになる。
「仕方あるまい」と言ってマーカスは立ち上がった。
マーカスは守備隊の小隊長クラスを引き連れ、管理事務所に向かった。守備隊本部は管理事務所の横にあり、すぐに会議室に到着する。
会議室にはハワード・カーンズ所長の他、管理事務所の役職者がずらりと並んでいる。
マーカスはカーンズの前の席にドカリと座り、「状況を説明してくれたまえ」と鷹揚に命じた。
その態度にカーンズは“遅れてきたくせに”と一瞬苛立ちを覚えるが、緊急事態ということで無理やり平静を装った。
「エクレストン隊長がようやく来てくれた。済まんが、もう一度、状況を説明してくれたまえ」
カーンズがそういうと、調査を行った職員が状況を報告する。
「……101階でポイズントードが3匹現れました。更に201階ではオークウォーリアが2匹同時に現れています。ご存じの通り、オークウォーリアは220階層からしか現れない魔物です。それが複数ということは201階ではあり得ないことです。以上より、迷宮内でスタンピードまたはそれに準じた異常事態が発生しているものと考えられます」
報告が終わったところでマーカスが立ち上がる。
「スタンピードが発生した証拠がないではないか。確かに異常な事態だが、迷宮の外に溢れてこなければ問題ないだろう」
「それでは遅い! 今すぐにでも住民たちの避難を始めなければならんのですよ! そのことをお分かりか!」
カーンズがそう言って怒鳴るが、マーカスは余裕の笑みを崩さず、
「そんなことは分かっているよ。だが、間違っていたら、どうするのだ? 住民を避難させたが、何も起きませんでしたでは、大きな恥を掻くことになる」
「住民の命を守るためです! 何もなければそれに越したことはありませんが、起きてしまったら1分1秒を争うことになるんです」
「街道には魔物が出るのだ。十分な護衛もなく、住民を送り出せば、その魔物に襲われる可能性がある。冷静に対処する必要があるのではないか」
マーカスの反対により、議論は平行線を辿る。
1時間が過ぎた頃、会議室の扉が唐突に開かれた。
「何事だ!」とマーカスが叫ぶが、そこに立っていた職員はそれに構うことなく、大声で叫ぶ。
「310階の転送室の扉が開かれました! スタンピード発生です!」
転送室の扉は通常閉まっており、シーカーたちが通る時にだけ開くことができる。そのため、迷宮内の魔物はその階層から出ることはできない。
しかし、スタンピードが発生した場合だけは事情が異なる。増えすぎた魔物を排出するため、迷宮が自らの意思で扉を開くのだ。
その報告にカーンズが即座に反応する。
「すぐに鐘を鳴らせ! 伝令は王都とスタウセンバーグに転移の準備を!」
矢継ぎ早に命令を発した後、マーカスに向かって冷ややかな目を向ける。
「エクレストン隊長。守備隊の指揮を任せてよろしいかな。今度はすぐに対応してもらえるとありがたい」
マーカスは自分の判断が誤っていたことに顔を真っ赤にしている。
「任せてもらおう」
それだけ言って、その場から逃げるように出ていった。
「あの隊長で大丈夫なのですか?」と不安になった職員がカーンズに問い掛けるが、
「任せるしかなかろう。今からスタウセンバーグに救援を要請しても援軍が来るのは早くても5日後なのだから」
スタウセンバーグはグリステートから北に120キロメートルの距離にあり、転移魔法陣を使って伝令を送ったとしても、援軍の編成に1日は必要で、更に軍の移動には4日は必要だ。
「運がよければ、あそこの連隊長が指揮官を派遣してくれるかもしれんが……」
そう口にするが、それは望み薄だとカーンズは思っていた。
「とにかく、我々にできることをやるしかない」
自分に言い聞かせるようにそう言って部屋を出ていった。
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