第17話 寝顔
今日も朝から
ヨロヨロと自分の席へとたどり着いた瞬間、背後からむぎゅと抱きしめられた。
「もぉ~もせっ!」
「うひゃぅっ!?
親友の
「おっは~! 桃仙! 今日も良い身体をしておるのぉ~。痩せた?」
「おっは~彩世ちゃん。痩せてないと思うけど。ここ最近、体重測ってないからわかんない」
「ふっ! ウエストが3センチほど細くなっておるぞ」
「なんでわかるの……?」
「毎日触ってるから!」
ドヤ顔でスリスリ、フニフニ、モミモミ、ナデナデ、と桃仙の制服の中に手を突っ込んでお腹を直に触っている。手がお腹だけじゃなく、上や下へ伸びようとするのを叩いて止める。教室には男子もいるのだから。
もう、とチョップを彩世の頭に落とす。それすらも嬉しそう。反省は皆無だ。
ニヤニヤしていた彼女はスッと真面目な顔つきになる。桃仙の顔を両手で挟み込んで真剣に確認する。
「昨夜も寝てないでしょ?」
「あ、あはは……バレちゃった?」
「昨日よりも隈が凄いもん。ちゃんと寝なさい!」
「いやぁー、いつの間にか朝になってて困った困った」
「また
「き、気を付けます……」
シュンと小さくなる桃仙。それを愛でる彩世。
叱りつける女子と反省する女子が仲良く喋っている。二人の女子のやり取りを、少し離れたところから眺める三人の男女がいた。半人半鬼の
紅い瞳に真剣な輝きを宿し、羅刹は桃仙を保護している紅葉に視線を向ける。
「彼女はどうだ?」
「……はっきり言ってよくありませんね。全然寝ることが出来ないようです。ウトウトされることはあるのですが、十数分で目覚めます。長くても一時間。その時は必ず悪夢を見てうなされ、悲鳴を上げて飛び起きますね」
頼丸がボソッと呟く。
「トラウマか……」
他の二人も神妙に頷いた。
危惧していたことが起きた。桃仙は眠れないのだ。
日に日に桃仙の顔色が悪くなる。三日経ち、彼女の眼の下にはくっきりと隈ができている。顔はやつれ、肌に潤いが足りない。授業にも集中できず、常にボーっとしている。友人の前では取り繕っているが、ほとんどのクラスメイトは彼女の異変に気付いているだろう。
ほぼ徹夜が三日連続。桃仙の身体は限界に近い。そろそろ身体に異変が起き始める。
「襲われた当日、桃仙さんは寝たんですよね?」
「ああ。それはもうぐっすりと。一度も起きることなく寝ていたぞ」
「……そうですか。彼女はやはり一人で居ることが怖いようです。あとは水、鏡、それから暗闇も恐怖を感じるようですね。本人は何も言いませんが、お風呂でも震えています」
「お風呂の様子を詳しく聞いてもいいか?」
「黙りなさい!」
「黙れ!」
デリカシーの無い下心丸出しの頼丸に鋭い声が二人分飛ぶ。と同時に、ガシッバシッ、と彼の頭と腹に拳が突き刺さる。頼丸は撃沈した。
「何がいけないのでしょう?」
「精神科医じゃないからわからないな。睡眠薬は?」
「もう試しました。睡眠のお香も」
「その様子だと効果なしか。強制的に眠らせるか?」
「暗示か催眠で行えますか?」
「一応できるが……」
「―――そんなの必要ないと俺は思うぜ?」
二人の会話に割り込んできたのは、床で伸びていたはずの頼丸だった。いつの間にか回復したようで、殴られたことなどさっぱりと忘れたと言わんばかりにピンピンしている。
「羅刹が手を繋いだり、ハグしたり、膝枕をすればあっという間に寝ると思うぞ」
「……暗示か催眠にしましょうか」
「……ああ、そうだな」
「おいおいおーい! 何故聞かなかったことにする!? 要するにインプリンティングだ! 刷り込みだ! 桃仙ちゃんにとって羅刹は命を助けてくれた白馬に乗った王子様で、深層心理で安心だと思っているんだ! だから羅刹と過ごした夜は怯えることもなくお風呂に入って寝れたんだろ」
頼丸の想像以上に的確そうな意見に、羅刹と紅葉は驚きと共に深く感心する。
「誰の受け売りですか? アニメ? 漫画?」
「明日は雨かもな。一応梅雨だし。洪水にならないといいが」
「二人とも酷くね!?」
「取り敢えず、頼丸の案を行ってみましょうか。ダメだったら暗示か催眠で。自然に眠るのがやはり一番なので」
「そうだな」
「って、俺のことは無視かよ!? まあいいや。さあ、マドンナの寝顔を拝見しに行こうか!」
テンション上がってノリノリで歩き出そうとする頼丸の首根っこを誰かが掴んだ。振り向くと冷たい笑顔を浮かべた鬼女の姿がある。
「
「頼んだ」
「はい。頼まれました。二人っきりだからと言って破廉恥なことはしないでくださいね、エロ鬼。すぐに私も向かいますから」
「俺はエロ鬼じゃねーよ!」
声を荒げて紅葉に反論し、羅刹は頭がフラフラしている桃仙の下へ向かう。彩世と楽しそうに喋っているのは申し訳ないが、強引に間に割り込む。桃仙の体調が優先だ。
「すまない」
「ほえっ? あ、阿曽媛君っ!?」
「おやおや。旦那のお出迎えかな? かなっ!?」
「彩世ちゃんっ!? 旦那って何っ!?」
「桃仙がここ最近熱っぽい視線を阿曽媛君に向けているからてっきり……! くっ! これが娘を嫁に出す父親の心境か……。阿曽媛君、私の桃仙をよろしく頼みまっす」
頭を下げる彩世に、何を言ってるの、と慌てた様子でポコポコと叩く桃仙。その顔は真っ赤に染まっている。
反論するのも面倒臭いので、ここは話の流れに乗る。
「頼まれた。柊姫さん、行くぞ」
「行くってどこに!? ちょっと!?」
何も説明されず、手を掴まれて連れ去られる。親友に助けを求めるが、ごゆっくり~、と手を振って見送られる。ついでにサムズアップ。ニヤニヤ笑顔がムカつく。
しかし、彼女は気付いていない。身体は大人しく羅刹に従っていることに。
教室を出て、階段を降りる。生徒の注目が集まるが気にしない。
掴まれている手が大きくて力強くて振りほどけない。抵抗は弱々しい。
「阿曽媛君! 説明して!」
別について行くのは嫌ではない。でも、ちゃんと説明して欲しいと思う。
「鬼無里さんから聞いた。夜、寝れないんだってな。顔、酷いぞ」
「うっ!? 顔が酷いって言い方があるでしょ……自覚してるけど」
「だから、保健室に連れて行く。そろそろ身体がもたない」
「……だって、怖いの。寝るのが怖い。夢が……」
弱々しい声。悪夢が蘇る。あの襲われたときの夢だ。
羅刹が振り返った。紅い瞳が桃仙を射抜く。心が射抜かれる。
「大丈夫。今日は俺が傍にいる。今度は偽物じゃないぞ。本物だ」
「じゅ、授業は!?」
「サボる」
「サボるっ!? 何その開き直った堂々とした言い方! もしかして、今までサボったことがあるとか!? 幻術使ってたとか!?」
「ほら、保健室に着いたぞ」
「この反応、絶対幻術使ってたでしょー! ずるいよー!」
授業に出ないとダメだよ、という注意ではなくズルいなのか、と思いつつ、保健室のドアを開ける。
保健の先生には軽く催眠術を使用して説明。簡単にベッドの使用と付き添いの許可が出た。
いろいろと諦めた桃仙は、大人しくベッドに潜り込む直前、スカートに手をかける。
「ちょっと待って。スカート脱ぎたい」
「え゛っ!?」
「ふふっ! 何その声。だいじょーぶ。中に体育服着てるから。阿曽媛君も男の子なんだねぇ~。想像したでしょ? えっち!」
スカートを脱ぎつつ揶揄う。羅刹は軽く頬を赤らめて顔を背ける。
「……うるさい」
「ほうほう! そんな顔もするんだぁー! スカート畳ませてあげよっか? 匂い嗅いでもいいけど、これ、鬼無里さんに借りてるんだよね」
「……自分で畳んでくれ。俺に匂いフェチの性癖はない」
はーい、と楽しそうに笑った桃仙はスカートを畳んで枕元に置く。そして、もぞもぞと素直にベッドに潜り込んだ。羅刹のほうを向いて、手を伸ばす。
「手!」
「はいはい」
「起きるまで繋いでて」
「了解」
「夢の中で鬼が出てきたら阿曽媛君がやっつけて」
「それは何もできないんだが? そっちで何とかしてくれ。明晰夢とかあるだろ」
「うぅ~! 妄想の中ですんごい衣装着せてやるぅ~!」
「妄想なら日本国憲法で保障されているからご自由に。ほら、目を閉じて」
両手で抱きかかえるように羅刹の手を握った桃仙は、言われるがまま目を閉じる。恐々としている彼女だったが、手の温もりと力強さに安心感を覚えたようで、一分もかからずに可愛い寝息を立て始める。
何という寝つきの良さ。ここ数日の不眠が嘘のよう。
暗示も催眠も何も使用していない。本当に限界だったのだろう。
桃仙が寝てすぐ、カーテンが開かれて誰かが入ってくる。
「お待たせしました。エロ猿は処理してきましたのでご安心を。貴方は何もしていませんよね?」
「見ての通り何もしていないが?」
「そうですか?」
冷たい疑いの眼差し。チラリと一瞥するのは枕元に畳んでおかれたスカート。一切信頼していないのがありありとわかる。そして、紅葉はベッドに寝ている桃仙に気づいて目を見開いた。
「もう寝ていらっしゃるのですか?」
声を潜めて聞く。羅刹は彼女を起こさないように無言で頷いた。
「そんな……!」
「言っておくが、俺は催眠も暗示も何もしていないからな。手を握っているだけだぞ」
「……あの馬鹿の言う通りのようですね」
「だな」
安心しきってスヤスヤと気持ちよさそうに眠る桃仙の寝顔を眺める。
紅葉は椅子を持ってきて羅刹の隣に座った。
「授業をサボるのか?」
「時々サボっている貴方に言われたくないですね。私は監視です。どこぞのエロ鬼が眠っているクラスメイトに手を出さないように」
「鬼無里さんも寝ていいんだぞ」
「……彼女だけではなく、私にまで毒牙にかけるつもりですか?」
両手で身体を抱きしめ、羅刹から距離を取る紅葉。まさか狙いは私、顔にはありありと警戒の表情が浮かんでいる。拳を握り、いつでも殴れる体勢だ。
それに対して羅刹は、そんなの興味ない、と言わんばかりに大きなため息。紅葉の乙女心に怒りの炎が宿る。
手を出して来たら容赦しない。でも、無関心なのもムカつく。
乙女心というものはとても複雑だ。
「鬼無里さんも寝てないだろ?」
「……何のことです?」
「化粧で誤魔化してるけどバレバレだぞ、その隈。多分、柊姫さんも気づいてる」
「…………」
無言は肯定の証だ。そっと目元に手をやるのも追加の証拠。
夜も桃仙の様子を気にかけて、紅葉もあまり寝ていないのだ。
「俺はこうして片手が塞がっているから、自分からベッドに入ってくれるとありがたい。まあ、寝落ちした鬼無里さんを運ぶ手段がないわけじゃないが」
「私は大丈夫です。過去に五徹ほどしましたので」
「……死ぬぞ。もっと身体を大切にしろ。可愛い女の子なんだから」
僅かに頬を紅葉色にして、ブツブツと何かを呟いた紅葉だったのだが、とうとう諦めて隣のベッドへと潜り込む。目を閉じる前に羅刹を冷たくキッと睨みつける。
「私や桃仙さんに手を出したら殺します!」
「へいへい。俺はもう柊姫さんに手を差し出しているぞ。鬼無里さんも手を繋ぐか? 片方あるぞ」
「結構です!」
彼女が刀を持っていたら手を切断されそうな勢いだった。
ムスッと睨むと、背を向けて丸くなる。彼女も一分もせずに規則正しい寝息が聞こえ始める。寝つき良すぎ。
喋り相手がいなくなったことで、羅刹はボーっと宙を眺める。暇だから瞑想でもしておこう。
この日、桃仙と紅葉は放課後まで目覚めることなく、悪夢にうなされることもなく、深く深く眠るのであった。
彼女たちが目覚めるまで、二大美少女の可愛い寝顔を楽しんでいたのは羅刹だけの秘密である。
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