第14話 血を吸う鬼
朝の教室は意外と人が少ない。高校生にもなると、時間ギリギリに登校する生徒が多いのだ。
半分も来ていないまばらな教室で、男子が二人、クラスの二大美少女を眺めていた。
「……なあ
「なんだ?
「ちっ!」
この男はしつこく
しかし、まだ凝りていない様子。隙あらば聞き出そうとする。
まあ無理もない。桃仙はクラスのアイドル的存在なのだ。そんな彼女と一つ屋根の下で一晩過ごした羅刹との間の出来事はとても気になる。彼女のプライベートな情報は特に。
「……なあ
「なんだ?
「ちっ! って、何度このやり取りするんだよ。違うって。いつから俺たちに気づいていた?」
つい先ほど登校中にお互いに正体を暴露したのだ。羅刹は鬼で、頼丸と
ただ、気まずい雰囲気になることもなく、いつも通りこうして朝からつるんでいた。
「ん? いつからって最初からだけど?」
「だよなぁ~」
「そっちもか?」
「うんにゃ。最初はわからなかった。鬼婆が違和感覚えてさ、後をつけたらわかったって感じ」
「……
「ほっとけ」
鬼婆という悪口が聞こえたのだろう。キッと冷たい視線で紅葉が睨んでいる。その冷たい怒気は羅刹にまで及んでいる。
「だいたい、源とか鬼無里とか、鬼狩りとして有名過ぎるだろ。鬼狩り六家だし」
鬼狩り六家とは、古来から続く有名な鬼狩りの六つの一族の総称だった。
陰陽師として有名な安倍晴明の血筋である『安倍家』、道摩法師とも呼ばれる呪術師兼陰陽師であった蘆屋道満の血筋『蘆屋家』、四鬼を従えた藤原千方の血筋の『藤原家』、鈴鹿御前という鬼を倒した『鈴鹿家』、
「頼丸は源家の直系か?」
「
「鬼無里さんは鬼狩りの中でも一番の武闘派の鬼無里家か。平家の分家。本家よりも有名な分家って何だよ」
「アイツ、馬鹿力だもんな。絶対に鬼だって」
「……また睨まれてるぞ」
「無視だ無視」
幼馴染の極寒の視線は慣れた様子で受け流す。
「羅刹……お前は俺たちと敵対するのか?」
何気ない頼丸の口調。でも、言葉には複雑な彼の感情が含まれている。敵同士だけど親友。彼とて親しい人を殺したくはないのだ。
問いかけられた羅刹は肩をすくめた。
「それはお前たち次第だ」
「そか」
二人はそれ以上何も言わず同じ方向を見つめる。その先には二大美少女がいる。
男子二人の視線は彼女たちにも伝わっていた。
紅葉はため息をついて睨むのをやめる。
「申し訳ありません。あの馬鹿が」
「あはは……やっぱり仲いいよ」
「その言葉は侮辱と取ってもいいですか?」
「なんでっ!?」
仲良しって褒め言葉だよね、と桃仙は慌てる。そんな彼女を見て紅葉はクスクスと笑った。どうやら揶揄っただけのようだ。
揶揄われたことに気づいた桃仙は、むぅ、と唇を尖らせる。
教室では、クラスの二大美少女が仲良く喋っていることに注目が集まっている。
「ねえ、鬼無里さん。やっぱり
「いえ、別に嫌ってはいませんよ。私は消去法ですが羅刹派ですし」
「えっ? 嫌ってないの?」
キョトンとした桃仙。登校時の一触即発のやり取りでてっきり彼のことが嫌いだと思っていたのだ。
「ええ。あれは警告です。私たち鬼狩りも鬼を滅ぼそうとは思っていません。悪さをしたら殺しますが、ほとんどは見逃しますよ。謂わば鬼を取り締まる警察官が私たち鬼狩りです」
「そ、そうなんだぁ……よかったぁ」
「ほら、あれを見てください」
紅葉が窓の外を指さす。その先には猫ほどの大きさの一匹の子鬼がいた。花壇の端っこの土を掘り起こしている。周囲をキョロキョロと確認し埋め戻す。
「お、鬼!?」
「……あっ、申し訳ありません。体調は……?」
「いやいや! 私は大丈夫だよ! 遠くから見る分には平気みたいだから!」
軽い気持ちで鬼を指さした紅葉だったが、桃仙は昨日鬼に殺されそうになったことを思い出した。一歩間違えれば恐怖がフラッシュバックして精神が壊れていた可能性があった。
幸いなことに、桃仙の中の鬼のイメージは上書きされて羅刹に固定されている。鬼と言われて真っ先に思い浮かべるのはお風呂場での羅刹だ。なので子鬼を見ても多少恐怖は感じるがフラッシュバックはしない。
「学校にも普通にいるんだねぇ。結界は張らないの?」
「鬼はゴキブリだと思えばいいですよ。どこからともなく湧いて出てきます。結界は阿曽媛さんたちも引っかかってしまうので使えません」
「なるほど! ……たち?」
「ええ。他学年にも鬼の血を引く生徒はいますよ。この高校は鬼がコッソリ通う学校でもあります。経営は鬼狩りの一族です」
「し、知らなかったぁ」
彼らは人間に混ざってひっそりと生活をしているのだ。
「私は悪さをした鬼しか退治しません。多少の悪戯なら見逃します。しかし、他の鬼狩りには鬼に愛する者を殺されて恨みを持つ人もいます。彼らは鬼を見た瞬間に斬りかかるでしょうね」
「それが例え阿曽媛君みたいな半人半鬼でも?」
「多分」
「私は?」
「……わかりません。少なくとも我が鬼無里家は柊姫さんに手は出しませんし、私が出させません。こう見えて、私は鬼無里家の次期当主ですから」
花壇を掘り返していた子鬼はトテトテと歩いて茂みの中に飛び込んでいく。
「封印のペンダントは私の家の者が捜索しています」
「ありがと。私、今日から本当に鬼無里さんの家にお世話になるの?」
「はい。手配は全てこちらで行っていますのでご安心を」
やっぱりそうなんだぁ、と桃仙は遠くを見つめる。自分の知らないところで着実に進められている。でも、紅葉の家なら友達の家に泊まるみたいで楽しみでもある。
「私っていなくなった方が良いのかなぁ? みんなに迷惑かけるよね」
「そんなことを言ってはいけません。少なくとも彼が聞いたら激怒すると思いますよ」
「……だね」
昨日自分の命を助けてくれた羅刹をチラリを見た。紅葉の言う通り、優しい彼は今の言葉を聞いたら怒って叱りつけてくるだろう。
そんな彼と目が合い、慌てて目を逸らす。
「過去の鬼嫁はどうなったの?」
「例が少なすぎますが、文献に残っているのは三例だけです。その内二例は鬼に攫われ、鬼の子を産みました」
「昨日聞いたなぁ……酒吞童子と
「はい。三大鬼神と呼ばれる強大な鬼の二柱です。残りの一例なのですが、どうなったのか不明です。消息を絶ってそのまま帰ってこなかった、という記述がありました」
「うっへぇ……聞かなきゃよかったかも」
聞いたことを後悔した桃仙だった。自分と同じ力を持った過去の人物は悲惨な人生を送ったらしい。自分も同じ運命をたどりそうで怖い。せめて貞操は守りたい。
「疑問なんだけど、三大鬼神ってことはもう一柱いるよね? その鬼はどう違うの?」
「彼女は鬼の中でも異質です。人間から鬼に堕ちたのです」
「人間から鬼に……? なれるの?」
「なれますよ。御伽噺にもありますよね? 意外と事実だったりします。人から鬼に堕ちる方法は二つ。一つは憎悪や怨嗟といった負の感情に憑りつかれる方法。もう一つは、鬼に呪われる方法です。ほとんどは自我を失いますが、稀に自我を持ったまま鬼になります」
「へぇー」
「能面にもある『
「おぉー! それはわかる!」
ここで和服好きの知識が役に立つ。能楽は和服だ。和服フェチの守備範囲内。
例に挙げた生成や般若の他にも
「鬼にも色々いるんだね。阿曽媛君は影を操るし」
言った瞬間、桃仙はガシッと両肩を掴まれた。掴んできたのは紅葉。細い腕や指からは想像できないほど強い力だ。指が喰いこんで痛い。
「今なんて言いました?」
「お、鬼にも色々いるんだって……」
「その後です!」
紅葉の顔が近い。顔が怖い。綺麗すぎて怖い。そして、睫毛が長い。
「阿曽媛君は影を操るって。格好いい影でできた鎧武者を見せてくれたんだよ! 影鬼って言ってたかな」
「影鬼のハーフ……なんて厄介な……!」
呆然と椅子に座り込む紅葉。その顔には驚きで染まっていた。
何もわかっていない桃仙は可愛らしく首をかしげて、
「なんで厄介なの?」
「柊姫さんは知りませんでしたね。影鬼は名前の通り影を操る能力を持った鬼です。他にも幻術や魅了が得意です」
「ふむふむ」
「そして、彼らの最大の特徴が驚異的な再生能力と血を操る能力、更に吸血です。影鬼とは所謂吸血鬼なのです」
「吸血鬼……おぉ! 血を吸う鬼! そっか、吸血鬼も鬼なのか!」
驚きと納得。英語ではヴァンパイアと呼ばれる吸血鬼も漢字で分かる通り鬼なのだ。羅刹が見せた操影の能力と幻術は伝承の吸血鬼の力とぴったり一致する。彼の綺麗な紅い瞳も。
「でも、驚くことなのかな?」
「いえ、驚くことではありませんが……。柊姫さんは鬼の
「全然知らない」
「でしょうね。鬼の
「【その二】は阿曽媛君が言ってたかも。なんで鬼の
紅葉は神妙に頷いた。
「はい。人の血を吸う。これは鬼の
「そうだよね……。人は殺していないけど、腕や足を食べるようなものだもんね」
「その通りです。人を喰った時に発する独特の悪臭を漂わせないそうなので、
そうなんだぁ、と桃仙は羅刹を見つめた。彼は生まれたばかりで別の鬼に預けられたという。もしかすると、彼の母親や幼い彼が人間や他の鬼から狙われていたのかもしれない。桃仙が信じた時、彼がありがとうと述べたのは、今まで嫌われ続けた過去があったからかもしれない。
「血か……献血みたいだけどね」
「献血ですか。なるほど。それは思いつきませんでした」
「血を吸わなきゃ死んじゃうの?」
「いいえ。そういうわけではありませんが……」
何やら紅葉の歯切れが悪い。目も逸らしている。実に言いにくそうだ。でも、それが逆に気になる。
「教えて!」
胸の前で手を合わせて軽く首をかしげる。実にあざとくて可愛いおねだりポーズ。これを桃仙は素でやっている。全て無自覚。
彼女の可愛さに紅葉は撃沈した。
「はぁ……わかりました。影鬼の吸血行為は二種類あります。一つ目は生命の危機に陥った場合の緊急の回復手段です」
「ほうほう。血を吸って回復するっていうのは吸血鬼によくあることだね!」
「そしてもう一つは、せ……い、です」
「ごめん。何て言ったの?」
肝心な部分がボソボソと小さな声だったので聞き取れなかった。
何故か顔を真っ赤にした紅葉はもじもじとする。普段のクールな姿からは想像もできない可愛らしいその姿に胸を撃ち抜かれて、新たな扉が開きかける桃仙であったが、必死でその扉を押さえて彼女の言葉を待つ。
キラキラとした桃仙の眼差しに耐えられなくなった紅葉は自棄になる。
「もう一つは、性行為ですっ! 吸血の
「せ、性行為……!?」
予想外の事実に絶句した桃仙は羅刹を一瞥すると、すぐさま顔を伏せて顔を赤く染め上げた。
顔を赤くした二人を眺めていた影鬼本人は、訳が分からず首をかしげている。
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