第8話 影鬼
圧倒的な風格を纏った
服がボロボロに破れてほぼ裸同然の
大きな怪我は無いようで、羅刹はホッと安心する。
学校が終わり、気づいたときには桃仙の姿はどこにもなかった。まさか攫われたのか、と焦って学校中を探し回り、途中で彼女に自分の血を付着させたことを思い出して、血の臭いを辿って最短距離でやって来たのだ。間一髪。本当にギリギリだった。
彼の心が怒りで熱く燃え滾る。
守ると言いながら桃仙を見失い、危険にさらしてしまった自分への怒り。彼女を押さえつけ、恐怖を与えた鬼たちへの怒り。
ここまで怒り狂うとは自分でも驚きだ。
彼の師匠である鬼の姉妹の教え通り、心は熱く激しく燃やし、頭は冷たく冷静に。
紅い瞳で取り囲む子鬼たち睨みつける。
『鬼狩リ……?』
『オ前、鬼?』
『鬼巫女カラ……同ジ臭イ』
『鬼ダ、鬼ダ、鬼ダ』
『イヤ、人間……カ?』
いきなり現れた羅刹の正体にわからず『鬼? 人間?』と不思議そうに子鬼たちが口々に呟く。
結局、頭が良くない子鬼たちは羅刹の正体などどうでもよくなったようだ。
『邪魔スルナ!』
『ソイツ、貰ウ!』
『鬼巫女! 鬼嫁!』
『奪ウ! 奪ウ! 奪ウ!』
『寄越セッ!』
『
その時、漂ってきた不快な臭いに、油断なく構えていた羅刹は僅かに顔をしかめる。
「
鬼の禁忌。人喰い。人間を喰らうことは鬼たちが自ら禁じていることだった。
簡単に格が上がり力を得ることが出来る代償として、理性や自我など鬼の根幹をなす大事なものが喪失していく。一度人を喰らえば身体から消えることのない独特な悪臭が漂うという。
その悪臭が目の前の鬼の身体に染みついている。
禁忌なんか知ったことか、と子鬼たちは耳障りな声で喚き散らす。
『ソレガ……ドウシタ!』
『人喰ウ! 美味シイ! 美味イ!』
『ソイツ、美味シソウ』
『渡セ! 渡セ! 渡セ!』
『女! 甘イ! 欲シィィイイイイイイイ!』
羅刹の背後にいた鬼が二匹、同時に襲い掛かってきた。目的はもちろん桃仙の身体。
「ひぃっ!?」
「大丈夫だ」
恐怖の悲鳴を上げる桃仙に微笑みかけた時には、もう既に拳銃の引き金を引いていた。
白を基調とした持ち手と砲身。紅で緻密な紋様が描かれている華麗な拳銃だ。
モデルはフリントロック式単発拳銃。中世の海賊が使用していた銃と言えば想像しやすいだろう。羅刹の銃は鬼を効果的に殺すために改造し、連射を可能としている。
弾は必要ない。羅刹の霊力と呼ばれる力を勝手に引き出し、銃砲身に込めて撃ち出す。鬼には致命的な力だ。
撃ち抜かれた二匹の子鬼は悲鳴を上げる前に黒い靄となって消滅した。死体は残らない。
「鬼の
元々見逃すつもりはないけどな、と心の中で呟いた。桃仙を襲ったことを許せない。彼の中では殲滅は確定だった。
手に持った銃を静かに懐へと仕舞う。
諦めたのか、と子鬼たちはいやらしい笑みを浮かべて大笑い。
しかし、羅刹は諦めたわけではなかった。代わりに懐から引き抜いたのは黒い鉄扇。パッと片手で広げて、鬼たちから桃仙の泣き顔を隠す。
何故かわからないが、彼女の泣き顔を子鬼たちに見せるのがたまらなく嫌だったのだ。
「良い闇だ……」
陽は沈んで、空はもう紫色に染まっている。東の空は真っ暗だ。
いつの間にか、辺りは一面闇に包まれていた。闇の中で羅刹の紅い瞳が輝きを放つ。
手に持った鉄扇の紋様が舞い踊る。銀の揚羽蝶だ。
「《胡蝶》」
闇が浮かび上がった。羅刹に命じられて闇が集まり、凝縮し、数十、数百と形作る。
「《
空を埋め尽くすほど大量の揚羽蝶が暗闇を静かに舞っていた。影でできた黒い揚羽蝶だ。紫色の影の鱗粉を舞い落している。
実に幻想的な光景だ。泣いていた桃仙も思わず恐怖を忘れて魅入ってしまうほど。
冷酷で冷徹な冷たい表情で、羅刹は黒揚羽たちに無慈悲に命じた。
「舞い踊れ」
数百頭の影の蝶が羽ばたいた。一斉に子鬼たちに群がる。
『グキャッ! グキャキャ!』
子鬼たちは懸命に蝶を叩き落とそうとする。
蝶が子鬼の身体に触れた瞬間―――抵抗もなくあっさりと通り抜けた。
何も起きなかったわけではない。蝶が通った所は空間を喰らったかのようにごっそりと消滅している。
鬼たちの阿鼻叫喚の悲鳴が響き渡った。
それでも黒揚羽たちは止まらない。のたうち回る子鬼たちに容赦なく群がり、その身体を残酷に無慈悲にあっけなく一片の肉片も残さず自らの影の身体に吸収していく。
断末魔をあげていた最後の一匹が静かになった。群がっていた蝶が飛び去った時には、鬼の痕跡は何も残っていなかった。一匹もいない。全て消え去った。
ヒラヒラと一頭の黒揚羽が羅刹の指にとまる。ふぅ、と軽く息を吹きかけ、彼は顕現を解除する。蝶は一斉に紫色の光を放つと闇に戻った。
「もう大丈夫。怖い鬼は退治したよ」
グロテスクな光景を見せないよう抱きしめていた桃仙に優しく話しかけた。桃仙は恐る恐る顔を上げた。頬に涙の痕が光っている。
「本当に? もういない?」
「ああ。一匹もいない」
「あれが……あれが鬼なの?」
「そうだ。あれが鬼だ」
初めて見た鬼。怖かった。とても怖かった。思い出すだけで身体が震える。
あんな化け物がこの世に存在していたなんて。
「……すまない」
「えっ?」
「すまない。遅くなって本当にすまない。怖い目に遭わせてしまったな」
「違うの! 私が忘れて学校を飛び出して……スーパーの特売のために……私が悪いの!
言葉に嗚咽が混ざり、最終的に、うわぁ~ん、と大声をあげて泣きはじめる桃仙。
涙が止まらない。恐怖が消えない。ただただ、羅刹の身体に縋りついて泣き続ける。
そんな彼女の身体を、羅刹は優しく抱きしめ続けていた。
十分ほど泣き喚いた桃仙は、ひぐっ、えぐっ、と声を漏らしながらも何とか泣き止み、羅刹の制服に顔を押し当てて涙を拭う。
「ご、ごめん……涙で汚しちゃった」
「それはいいんだけど、えーっと、一回離れてもらえないか?」
「無理無理! まだ足腰が……」
離れないようにギュッと羅刹の身体を掴む。支えてもらわなければ立てない。
しかし、離れてもらわないと羅刹が困った。桃仙は今、ほぼ裸なのだ。裸の美少女に抱きつかれるというシチュエーションは、流石の羅刹も理性が擦り減る。せめて何かを羽織って欲しい。
「一瞬、一瞬だけでいいから」
「まあ、それなら?」
桃仙が恐る恐る手を離した。その一瞬で、早着替えのように制服のシャツを脱ぎ去ると、桃仙の身体に羽織らせた。
意味が理解できず桃仙はキョトンとしたが、すぐに自分の状況を理解して顔を真っ赤にする。そして、逆に羅刹に抱きつくことで自らの身体を隠す。
「
優しく話しかけた。しかし、返ってきたのは猛烈な拒絶だった。
「嫌! それだけは嫌! 一人は嫌なの! 怖いの!」
「もしかして、一人暮らし?」
「……うん」
赤く腫れた潤んだ目で無言の懇願。一人で居るのは嫌だ、と。
いろいろと考えたが、羅刹が思いついた最善の選択肢は一つだけだった。
気まずさに彼女から目を逸らしつつ、ぶっきらぼうに問いかける。
「―――今夜、俺の家に来るか?」
一瞬言葉の意味を考えた桃仙は、頬を軽く赤らめて、小さくコクンと頷いた。
そして、少しだけ強く羅刹の身体を抱きしめる。
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