第6話 捜索
祖母の形見である銀のチェーンと紫色の石のペンダント。畳んだ制服の下に隠していたはずなのに、探しても探してもどこにも見当たらない。
「えっ……無い?」
「柊姫さん?」
「え? えっ!? 嘘!? 無いっ!」
何度も何度も探るが、慣れ親しんだペンダントの感触は返ってこない。
制服とそのポケット、下着、水着を入れていたバッグ。全ての服や荷物を確認するが、やはり見つからない。
「どうして!? どうしてどこにも無いの!?」
「無くなった?」
「そう。服の下に隠してたのにどこにも無い!」
「すまない。入るぞ」
女子更衣室に入ってきた羅刹は真剣な表情で彼女が使用していたロッカーの周囲を見渡す。
「ペンダントはどんなものだ?」
「銀色のチェーンに紫色の石がついてる」
「ここが柊姫さんが使っていたロッカーで合ってるよね?」
「うん。隣が彩世ちゃんだから」
「俺が触って探してもいいか?」
「うん。でも、ちょっと待って! ……どうぞ」
もう既に見られたかもしれないが、白色の下着だけは死守した。
見られるのはまあ、ギリギリ許せる。恥ずかしいけれど。でも、一度使用した下着を触られるのだけは絶対に嫌だ。乙女心が許さない。触ってもいいのは、その―――エッチな時だけだ。
複雑な乙女心を抱く桃仙の様子に気付かず、羅刹は丁寧に彼女の制服や荷物を確認していた。
二度ほどゆっくり隈なく探した彼は、最終的に結論付ける。
「無いな」
「でしょ! どうしよ……おばあちゃんの形見だったのに……」
「外したら消滅する類の封印具? いや、それなら外した瞬間に消えるからすぐにわかる。ということは誰かが盗んだ?」
「盗難!? それは……無いとも言えないね」
実際、学校での盗難事件は稀に発生することだった。犯人は学校関係者も多いが、意外と外部の人間だったりもする。
「君の後に残っていたクラスメイトは覚えているか?」
「何人かいたけど、流石に覚えてないよ……って、犯人はクラスメイトだと思っているの!?」
「個人的にはそのほうがありがたいんだが」
「ひ、人でなし!」
思わず怒りが湧き上がる。羅刹はクラスメイトを疑っている。そのほうがありがたいとまで言った。クラスの女子と仲が良い桃仙には到底許せない言葉だった。自分の友達には窃盗犯はいない。
「俺のことはなんとでも言えばいい。別に俺も盗んだ犯人を問い詰めたいわけじゃない。君のペンダントが見つかればそれだけでいいんだ。手分けして更衣室の全てを探すぞ」
「ちょ、ちょっと待って! それはダメだよ! し、下着があるんだよ!」
「たかが布切れだ。興味はない。それに、君の命がかかっているんだ。なりふり構っていられない」
「もう訳が分からないよ! 私の命がどうのこうの! ペンダントがなにっ!? 少しは説明して!」
桃仙の思いが爆発した。突然訳が分からない話を一方的にされて、こうして授業を抜け出し、少しは自分にもわかるように説明して欲しいと思う。
ハッとした羅刹は申し訳なさそうに目を逸らした。
「すまない。一方的で。でも、君がその状態で時間を過ごすほど危険が高まるんだ。詳しく説明する時間はないから簡単なものでよかったら言うよ」
「……お願い」
「柊姫さん、君はわかりやすく言うと超能力者だ。それも人ならざる者、鬼という存在が大好物な異能者なんだ」
「鬼……異能者……」
「そう。封印が解かれた今の状態なら鬼の存在が見えるだろう。その力を封じていたのが多分ペンダント。俺も今の今まで気づかなかったほど強力な封印だった。今の君は鬼を誘うフェロモンを漂わせているって想像してくれたらいい」
「鬼とか封印とかファンタジーすぎて実感できないよ……」
他にも、異能者という言葉や、先ほど羅刹が使ったであろう幻術も。
そんなこと言われても困る。この辺りには鬼はいないようで、見えないから実感が湧かない。騙されているんじゃないかと思う。羅刹が女子更衣室に忍び込む口実とさえ疑ってしまう。
桃仙の疑いの眼差しに気付いた羅刹は強引に説得しようとはせず、ただ一言呟いた。
「《影武者》」
その瞬間、羅刹の影が動いた。影が一層濃くなり、現実世界に実体化する。ポタポタと黒い影の塊を落とす凶悪で武骨な鎧武者として。
「ひぃっ!?」
「これで少しは実感してくれたかな?」
影でできた武者を前にして固まる桃仙に、もう少し可愛らしいものを出すべきだったかな、と羅刹は反省する。
しかし、桃仙の次の一声は彼の予想だにしない言葉だった。
「か、格好いいー!」
「……はい?」
「なにこれ! とっても格好いいよ! そっか、武者の鎧っていう選択肢もあったか。これは盲点だった」
瞳をキラッキラさせて怖がるどころが超興味津々で影の武者に近づいて観察する桃仙。怯えることもなく、逆に楽しそうに影武者に触って一人盛り上がっている。
どことなく美少女に褒められた影武者も得意げだ。
「あの、柊姫さん?」
「あっ、ごめんなさい……」
羅刹の存在を思い出した桃仙は興奮が静まり、今の痴態を見られて猛烈に羞恥心が湧き上がる。
「実は私、和服とかがとても好きで、その、つい……興奮してしまいました」
「あ、あぁ、うん。と、取り敢えず、ファンタジーな力は存在するってわかってもらえたかな?」
「それはもう。これを見せられちゃったらね」
桃仙は影武者を触る。のちに彼女が述べたのだが、感触はフワフワしながらも硬くて冷たく、形容し難い感触だったという。
武者が消失してただの影に戻った。桃仙は少し残念そう。
「話を戻すけど、このままだと君は明日の朝までに死ぬ」
「明日の朝!? 思ったよりも短いなぁ……それって私の力が暴走する系? それとも鬼? という存在に狙われて?」
「後者だ。死ぬというより捕まって殺されて食べられる。生きたまま喰われる可能性もある」
「ひぇっ!?」
「そしてもう一つ」
「まだあるのっ!?」
「その、女性に言いづらいんだけど……強姦される」
「ご、強姦……」
「ペンダントが見つかれば大丈夫だと思う。今まで封印されて誰も気づかなかったから」
「誠心誠意! 捜索させていただきます!」
友達が窃盗犯かも、と疑うのはどうでもよく感じてきた。そして、羅刹の気持ちも理解した。自分の命や貞操がかかっているのだ。犯人は誰でもいいしどうでもいい。ペンダントさえ見つかれば。
自分の命はこのままでは明日の朝まで持たないという。
死にたくない。ましてや化け物に処女を奪われたくない。絶対に嫌だ。純潔は好きな人にあげたい。
ならばやることは一つだけ。女子更衣室の隅から隅まで探すことだ。
「じゃあ、手分けして……」
「それはダメ!」
手伝おうとする羅刹を桃仙は鋭い口調で制止した。
今から探すのは女子の服や荷物である。当然、その中には下着が含まれる。同性の自分は許されても異性の羅刹が触れることは許されない。許さない。
だってなんかモヤモヤするし。
というわけで、探すのは桃仙が一人でする。
「阿曽媛君は触ったらダメ。デリカシー無いよ!」
「君の命がかかっているのにデリカシーとか言っていられないんだが」
「それでもダメなの! 私がするから! 見るのも禁止! あっち向いてて!」
「だから、俺は柊姫さんから目を離せないんだって。鬼の中には影や水面、鏡といったものを通じて自分の世界に引きずり込む力を持つ者もいる。そうなったら手遅れになるかもしれない」
それに二人で分担したほうが時間も短く済むし、と羅刹の言い分は全くもって正論だった。桃仙は何も言い返すことが出来ない。
確かに、ファンタジー作品や言い伝えで異界に引きずり込む妖の類の話はよく聞く。羅刹が影を操って見せたように、特殊な能力を持つ鬼は存在するのだろう。
でも、自分の命が危険だとしても、乙女心はやはり複雑だった。
「うぅ……そ、そうだ!」
名案が思い付いた。桃仙は水着の上から自分の制服を着始める。水着が濡れていないのが幸いだった。
「これで良し」
「良しって何が?」
「着替えた」
「何故?」
ついさっき逆の立場で似たようなことを言い合った気がする。
そんなことは置いといて、桃仙は着替えた理由を説明する。
「捜索は私がします! 授業が終わるまでまだまだ時間あるでしょ? 阿曽媛君は後ろを向いてて。絶対に見ちゃダメです」
「だから……」
「そこで!」
羅刹の言葉をビシッと指を突き付けて遮った。そして、彼の紅い瞳を見つめる。本当に綺麗な血のような紅だ。
「お願い。私が攫われないように服を掴んでて」
それは懇願だった。隠しきれない恐怖の震え。
未だに訳がわからなくて混乱していることも多いだろう。普通は突然死の宣告されても実感できない。
桃仙は何も分からないことに恐怖している。未知に恐怖している。
今頼れるのは全てを理解しているであろう羅刹しかいないのだ。となると、気丈に振舞う彼女を安心させるのが羅刹の役目だ。
羅刹は一瞬目を瞑って呼吸を整えると一拍手を叩いた。乾いた小気味良い音が鳴り響き、風が巻き起こる。それを確認すると彼は彼女の制服を掴み、背を向けた。
「結界を張った。俺は索敵に意識を回す。捜索は任せた」
「う、うん」
「突拍子もないことを突然言われて混乱していると思う。俺を疑っているところもあると思う。でも、一つだけ言っておく。俺の前で君を攫わせはしない」
ふふ、と微笑んだ桃仙は一歩下がった。羅刹と背中合わせになって軽くもたれかかる。彼の背の高さと背中の大きさに少し驚く。
「格好いいぞ、阿曽媛君……私は阿曽媛君を信じてる。だって目に嘘がなかったもん」
「……そっか」
「私のこと捕まえてて」
「……わかった」
なんか青春っぽいやり取りだったと、今のやり取りを思い出して桃仙の顔が赤くなる。
急激に恥ずかしくなってきた。彼がこっちを向いていなくてよかった。でも、自分の熱い体温が伝わっているかもしれない。不安だ。
「…………」
「えっ? 何か言った?」
返答は返ってこない。羅刹が何かを呟いた気がしたが、気のせいだったのだろうか。
でも確かに聞こえた気がする。
―――信じてくれてありがとう、と。
聞こえなかったフリをして、気持ちを切り替え、ペンダントの捜索へと移る。見つからなければ命に関わるのだ。時間を無駄にできない。
罪悪感が少しあるが友人たちの荷物を漁っていく。こちらには命がかかっている、らしい。だから許して欲しい。心の中で謝りながら一人一人確認する。一応二回ずつ。
時折、友人の大人っぽい過激な下着に驚くことはあるが、肝心のペンダントは見つからない。
三分の一が終わり、半分が終わり、四分の三が終わり、とうとう最後の一人を探し終えた。
「無かった」
友人が窃盗犯じゃなくて嬉しい気持ちはあったが、でもペンダントは見つからなかった。
床や空いているロッカーやその上を探してみるが、やはり無い。女子更衣室のどこにもない。
「阿曽媛君……」
呆然と桃仙は羅刹の顔を見上げた。彼女は不安と悲しみで泣きそうだ。
羅刹は更衣室全体を見渡す。そして、ある一点で止まった。
「柊姫さん、一つだけ聞いていいか?」
「なに?」
「君が着替えている間、窓はどうだった?」
「窓? 閉まってたよ。換気したいなぁって思ったから」
そう言って、羅刹の視線の先、更衣室の窓を見た。
記憶の中では完全に閉まっていた窓。しかし、今は十センチ程開いていた。
「嘘! 開いてる!?」
更衣室に入ってから羅刹は窓を触っていない。もちろん桃仙も。
クラスメイトが換気のために開けた可能性もあるが、残っていた彼女たちは授業開始ギリギリで急いでおり、開ける余裕はなかったはずだ。
「侵入者!?」
「まあ、小動物の可能性もあるけどな。猫とか」
「そんな……どうしよう」
小動物が咥えて持っていったのなら発見は絶望的だ。いつも肌身離さず大切にしていたペンダントの喪失にショックを隠せない。
あの時外さなければよかったと後悔が心を染める。
そろそろ授業も終わる。水泳の授業は着替えのために少し早く終わる傾向がある。女子が入って来る前に羅刹は外に出る必要があった。
しかし、封印がないのは不安だ。羅刹は取り敢えず彼女に応急処置を施すことにする。
「っ!? 阿曽媛君、何をっ!?」
桃仙は驚きの声をあげた。何故なら、羅刹が影でできた短刀を握って反対の手に近づけていたからだ。
鋭い切っ先を親指の腹へと押し付け、軽く傷つける。ぷっくらと紅い血の雫が浮かぶ。
思わず桃仙は目を逸らした。
「柊姫さん、少しじっとしてて」
彼の大きな手が桃仙の前髪をかき上げ、血の付いた親指で額を触れた。紅い血が付着し、すぐに消えて見えなくなった。
「気休め程度のおまじない。これで鬼が近づかないといいけど」
「今のは?」
「俺の血の臭いを柊姫さんに付けた。所謂マーキングだよ」
自分のものだと主張するとほとんどの鬼は手を出さない。しかし、桃仙は『鬼嫁』または『鬼巫女』と呼ばれる存在だ。何が何でも手に入れようとする鬼のほうが多いだろう。このマーキングも役に立たない可能性が高い。
「いいか? 出来るだけ俺の前からいなくならないでくれ。それと、一人では絶対に行動しないこと。トイレに行くときも常にだれかと一緒に行くんだ。そうだな、鬼無里さんといることをお勧めする」
「鬼無里さん?」
「ああ、彼女はたぶん……」
その時、プールのほうで授業の終わりの挨拶が聞こえた。すぐに更衣室へ女子たちがやって来るだろう。急がなければ。
「死にたくないのなら絶対に守れ。いいな?」
「う、うん」
よし、と羅刹は頷き、最後に桃仙と視線を合わせると女子更衣室を出て行った。
一人残された桃仙は急に孤独感を感じ始めた。孤独で、怖くて、寒い。
無意識に手が胸元を探る。でも、いつもの感触は返ってこない。そこにペンダントはないのだ。
ペンダントが一つないだけなのに不安で不安で仕方がない。
あぁー気持ちよかったぁ、とタオルを巻いた親友たちが更衣室に入ってきて、桃仙は泣きたくなるくらい安堵したのだった。
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