01-13. EEGP本戦スタート

「お嬢、すまない。

 本当に、すまない」


「何を先程からずっと謝っているのよ。

 いい加減気持ち悪いから止めなさい」


 必死に頭を下げて謝る新城直人を、ピットガレージに不釣り合いなテーブルセットで休むラフィーが疎んじ始める。


 松平元康とジョージ・セントニアの二人は、歪んだ笑顔で固まったままアルス・ノヴァの機体検査に逃避している。


 ジュネルフ・マルガレッガは顔を手で覆いうずくまっていた。


 チームから少し離れて立つ元凶の新垣翔子は、顔の上半分を隠す大振りのサングラスで空を見上げていた。


「今日もネオグリーンランド島は快晴ね」


 飛び上がった直人が姉に詰め寄る。


「こらぁ! なにを一人でドヤ顔している!

 たった数時間でチームを絶望に叩き落とした悪魔め!」


「悪魔とは失礼ね。

 お嬢様は本戦前のどこかで射撃の勘を知らなくちゃいけない。

 だから練習飛行中にやってもらったのよ」


 何を隠そう、ラフィーに無差別照準を指示したのは翔子である。

 もちろんラフィーは、その意味を知りもしない。


「もう少し穏便は方法を考えてほしかったぜ。

 他所様に喧嘩をふっかけた分、ちゃんと勝てる算段があるんだよな」


「もちろんよ。

 あとは優勝するための根性を出せば、おーるおっけー」


「無意味な精神論はやめてくれ!

 教導にねえさんを呼んだ意味が消し飛んだじゃないか」


「状況は解ってるからだいじょうぶよ。

 これぐらいあたしも現役時代にやらかしているからフォローは簡単。

 勝てば官軍よ」


「やらかしているって表現で、既にゲームオーバーだ。

 無敗を誇る勝利の魔女と同レベルの才覚を、お嬢に望むのは無茶振りだ」


 弟に睨まれた翔子が少し練習風景を思い出す。


「んーっと。

 あたしと同じとは言わないけど、芽はあるわよ。

 お嬢様は単純に知識と飛行時間が足りないだけ。

 磨けば確実に光るわ。

 実際に昨日より今日の方が段違いで上手になっている。

 まだ所々に固いところがあるけど、自由に空を飛んでいる。

 そこはあたしが保証してあげる。

 才能の遺伝は信じないけど、個人の資質とは別のお話だからね」

「本当に!? わたしもガブリールのように飛べるの」


 翔子の言葉にラフィーが跳ね起きて詰め寄ってきた。

 二代目アプサラスである翔子に認められて顔が煌めいている。 


 対して翔子は冷淡に返す。


「さすがにそこまでは約束してあげられない」


 不服そうに上目遣いになるラフィー。

 翔子が言葉を続ける。


「落ち込む必要はないわ。

 練習中はあたしも厳しいこと言ったけど、ちゃんと行動で答えてくれたしね。

 最後の方は狙った相手をきっちりと照準できたし、動きは悪くないわ。

 あなたは立派な風の妖精エアリエルよ。

 あとは教えた技術を本戦中にどこまで実践できるかが、勝利の鍵になるわね」


 再び輝くラフィーの顔。


 無垢な少女を弄ぶ悪魔に向かって、直人がぼそりと呟く。


「知識が無い子供を騙して、いらぬ波風立てたくせに……」


「なにか言ったのかなー。直人くーん」


「なにもありませんよー。ねえさーん」


 姉弟が固い笑顔で睨み合う。


 二人を見ていたジュネルフがゆっくりと立ち上がる。

 ジュネルフが頭を抱えていた理由は簡単だ。

 練習飛行中に相手を照準する意味を、ラフィーに説明できかった。

 翔子の暴挙を止められなかった。


 今更悔やんでも仕方がない。

 引き返せないのなら、これからを考えようと意識を切り替える。


「それで、揶揄なく最悪な状況をどうするんだ?

 あれだけの暴挙をしでかしたんだ。

 本戦ではララサテンのチームを含めて、他のエアリエルたちからも狙われる。

 気迫一つでひっくり返せる簡単なものじゃない」


 勝利の魔女が真面目な顔になる。


「逆に考えるのよ。

 自分以外は全て敵。

 解りやすくなったってね」


「絶対強者の視点は参考にならないと言ってるだろ。

 もっと具体的な対策案を出してくれ」


 直人は姉に対して何度目かになるツッコミを入れる。

 苦悶する直人とジュネルフに、予想外のところから返答が出た。


 ラフィーお嬢様が胸を張り笑う。


「最初から優勝以外の選択肢がないのだから、周囲は等しく全て敵なのよ。

 見てなさい。

 有象無象をことごとく振り切ってあげる。

 今日のレースで勝つのは、このわたし。

 頂点への気概なくして、勝利はないのよ!」


「ほら。お嬢様の方が解っているじゃない」


 サングラスを下にずらして意地悪く笑う翔子に、直人とジュネルフは再び頭を抱えた。


 たった数時間で、姉の影響が出るとは思わなかった。

 本当は根っこの性格が同型なのかもしれない。


 ああ、そうだ。

 直人は思い出した。


 涙を流さず震える小さな肩。

 どうして自分がラフィーを気をかけるのか得心した。


 負けることが許されない重圧に耐えている昔の彼女と、姿が重なったからだ。


 少し気持ちが軽くなった。


 ならば大丈夫だろう。

 昔と同じように、自分が力を貸して支えれば良い。


 古い記憶を反芻する直人に、アルス・ノヴァを整備している二人が願い出る。


「茶番は終わりましたかー。

 それならこっちを手伝って下さいっす」


「うおー、まだ眠いー。

 30分でいいから休ませてくれー」


 なにしろ、今の自分には頼りになる仲間もいるのだから。




 イーストEエンドEグランプリGP

 その本戦スタートはフライング形式だ。


 まずは予選のタイムアタックで決められた序列グリッドナンバー順にサーキットインをする。

 最初に飛ぶのは、ネオグリーンランド島の上空に制限されたショートサーキット。


 この時セーフティドローンが先導し、練習飛行と同じように追い越しと攻撃抜きで一巡りする。


 速度も控えられ、アエロAフォーミュラFが列を成して飛翔する光景は文字通り嵐の前の静けさだ。


 グランドピット直上まで進行して、先導のセーフティドローンがコースアウトする。


 メインシグナルがグリーンに変わり、サーキットの観客席、中継先のフォロワースペース、レースに注目する全ての人が歓声を上げる。


 第84回EEGPのスタートが切って落とされた。


 エアリエルたちが一斉に増速する。

 自分たちを応援してくれるフォロワーたちのパルスリンクを受け、アークイオンドライブが輝きを放つ。


 先頭を飛翔するナーサは、いきなり猛追してくるカーマノを抑えに入った。

 コースラインを塞ぎ、ライフルで狙われれば回避に蛇行する。


 初戦からのトップ争いに観客たちは白熱する。

 観覧席と中継先で、カーマノを支援するフォロワーたちがサイリウム両手に波打ち踊る。


 届け、この思い。

 俺たちの心で、推しをトップにするんだ。


 増幅して送られてくるパルスリンクに、カーマノが、イオンドライブのギアをオーバートップ入れる。

 オレンジのパーソナルカラーをしているロンサンスマーク2が、僅かなタイミングを逃さず赤の女王を追い抜いた。


「粋がる新人が簡単についてこれるほど、私たちの戦うレベルは低くないのよ」


 天を舞うエアリエルが己の誇りを口にする。

 そして唐突な衝撃に意識を失った。


 突然の出来事に、驚嘆と悲鳴が上がる。

 どよめきがグランドピットを覆う。

 カーマノのヒットポイントが一瞬で全損し、コースから落下脱落した。

 浮遊するコースマーカーからサポートドローンが切り離され、ロンサンスをすばやく回収する。


 一体何が起こったのか。

 レース前から警戒していたナーサ・ガリルは正解を知っていた。


 再び先頭に戻っても、嬉しさより背中の冷や汗が気になった。

 ナーサは秘匿の個別レーザー通信を開き、犯人に現在の心境を伝える。


「相変わらず無茶苦茶な射撃距離に精度と威力ね。

 そんな戦い方をしているから相手フォロワーたちの恨みを買うし、地獄の使者なんて悪評を受けるのよ」


「あら、なんのことでしょう……?」


 とぼけた返事をする通信先は、最後尾を飛んでいるエアリエルだ。

 組み立て式アッセンブリ超大型オーバードバトルライフルを装備したファナタ・マグンダラのAFディスカーゴ。


 深緑のマシンドレスが、先行機体から置いていかれない程度の速さで飛んでいる。

 ゆっくりと飛翔しながら、自分より二倍以上は長いライフルをいそいそと分割して部品ごとに背負う。


 カーマノの脱落は、ファナタが最後列から行った狙撃によるものだ。

 超高威力のビームを頭部に一発必中させて狩り落とした。


 彼女は外惑星軌道をレース場とするウラヌスクランの優勝者だ。

 超長距離狙撃はお手の物。

 惑星上の半分も使わないサーキットコースなど、目と鼻の先でしかない。


 驚くべきことに、ファナタのブレイクアベレージは3。

 実に1レース中に他のエアリエルを3機も落とす凶悪な成績を持っている。


 『冥王の寵児タイニーカロン』が恐れられ嫌われる理由は、ここにある。


 その高い狙撃能力で多数のエアリエルを撃ち落とし、とにかくレースの内容をかき回すのだ。


 今のようにトップをすげ替えることも、彼女の手中におさまっている印象さえ与える。


 ただしナーサたち一部のエアリエルは見抜いていた。

 ファナタも無敵の狩人というわけではない。


 数日に渡る長丁場の外惑星軌道巡航競技はともかく、惑星上を飛翔するレースで狙撃を主軸していては、どうしても脚で劣ってしまう。


 代名詞である超大型バトルライフルも連射は不可。

 もっと言えばエリアルA ザ スカイ SフォーミュラFの規定より、巨大で強力な武装には厳しい制限がある。


 このため発射可能状態でスタートすることができず、飛行しながらバトルライフルを組み立てなければならない。


 機能的な制約として射撃ごとに一定のクールタイムを挟み、銃身の冷却と精査を行う必要もある。

 ファナタの飛翔には隙が大きすぎるのだ。


 寧ろファナタの真価は、その先にある。

 多数の欠点がありながらも、ファナタは一定のレース結果を出していた。


 直感的に自分の障害となるエアリエルを判別し、的確に仕留める。

 そして計画通りに飛行して年間ポイントを着実に取る。


 恐ろしいまでの冷酷さと正確さを持ち合わせた冥府の邪霊。

 それがファナタ・マグンダラというエアリエルだ。

 『冥王の寵児タイニーカロン』の二つ名は伊達ではない。


 『赤の女王レッドクィーン』が彼女を警戒する根拠は、十二分にあった。


 ファナタが憂いの吐息をこぼす。


「でも、白い新人さんの目標を奪ってしまったのは心苦しいわ。

 カーマノと直接対決が適ったのなら、さぞ話題になったでしょうに」


 通信を聞いているナーサは心の中で突っ込む。

 舞台が整う前に破壊した本人が何を言っている。


 ファナタの性格を考えると、嘘偽りが言葉の一片にもなさそうで怖かった。

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