第15話 マダム
「それで今回はどんな悪さをしたんだい、子猫ちゃん」
マダムはそう言いながら、煙草に火をつけた。東洋の赤いキモノをはだけさせ、首には宝石をじゃらじゃらつけている。この人いくつなんだっけ。顔だけでなく腕にも足にもけっこう脂肪があって、血色はいい。でも濃い化粧の向こうには皺がわずかに透けて見える。あたしはそれが嫌いではない。
マダムは、マライアという名前で、この町の顔役だ。港湾も、市場も、賭場も、彼女の許可なしに商売はできない。もしそんなことをしようものなら……、大変なことになる。島の総督より大きなお屋敷に住み、庭には虎が歩いてる。できないことなんかない。
あたしもマダムの力添えで海賊になれた。見返りに、海のみやげ話を報告しなければならない。言い換えればそれだけで航海の費用を出してもらえるのだから、安いといえるかもしれない。
マダムの左右には半裸の男達がいて、団扇で扇いでいる。目のやり場に困った。天井を向いたまま事の経緯を説明する。
「はは、そりゃあいい。あの毒婦のメアリーに一杯食わせたわけだ」
話を聞き終わったマダムが、愉快そうに笑って体を揺らした。
「マダム、メアリーを知ってるの?」
「最近、王都で頭角を現してる奴さね。第三王女の家庭教師をしながら、魔法庁の長官にも気に入られてる。魔法の才はないらしいが、よっぽど魔法使いみたいな奴だよ」
あの性格で有力者に気に入られてるのが本当に不可解だ。エレナもきっと弱みを握られてるんだね。可哀想に。
「海軍の目をかいくぐってカールベルク(フィガロの住む国)に行きたい。できる?」
「これまであたしにできないことがあったかい、子猫ちゃん。でも何事も準備は必要さ。新大陸行きの船団に紛れて出発しな。船の
「さっすがあ! それでお願いするよ」
まさに渡りに船とばかりに飛びついた。新大陸はいつでも国民の夢だ。黄金郷を求めて王族が出資して船を出すこともある。これでカールベルクに直接行けなくても近くに向かうことはできる。
「それにしても隅に置けないねえ。王子と婚約しときながら、異国の男と駆け落ちとは。あたしもあんたくらいの頃は……」
誤解なんだけど、ま、いいか。
マダムの昔話を聞き終える頃には、日が暮れていた。フィガロが気になってお暇を告げる。その際、頼んでいた人探しに進展があったことを伝えられた。
町に降りると、雑多な人々の群れに異国の匂いを感じる。屋台には船乗り、宣教師、軍人、いろんな人がいて、肌の色もバラバラだ。見ていて飽きない。
フィガロたちとは町の中心部で落ち合うことになっていた。
街路樹の根本に、アコーディオン引きがいて陽気な音楽を奏でている。踊り出したくなるようなリズムだ。
フィガロとアイリスはその前に立って、観客となっていた。声をかけるのをためらうくらい、真面目に聞き入っている。
「こういうの珍しい?」
あたしの声にアイリスが、続いてフィガロが振り返る。
「あ、エクレールさん……」
弱々しい声は、音楽にかき消されそうになる。聞き取ろうして一歩近づくと、フィガロが頭から突っ込んできた。
受け止めきれず、腹に重い一撃が加わる。口から内蔵が飛び出るかと思った。
「ごめんなさい……! もう生意気言わないからどこにも行かないでください」
フィガロの必死さの訳をアイリスに訊くと、全てわかった。フィガロはあたしに見捨てられたと思って落ち込んでいたらしい。お昼の喧嘩を深刻に考えていたようだ。あたしは忘れかけていたのに。
小さな子がよくわからない異国で、心細いよね。
「ごめんね。あんたにもマダムを紹介すれば良かった」
くりくりの目で見上げるフィガロの頭を撫で、安心させる。ついつい甘やかしたくなるんだよな。
「アイリスも、今日はありがと。お礼に飯奢るよ」
「ふん、礼を言われる程のことでもありませんわ。フィガロ君と居られて楽しかったですし」
聖女にも人間らしい面があるんだとわかって、ほっとする。フィガロを任せたのも、自然と信頼関係ができてきた証拠かもしれない。
屋台で漁師飯(魚介類と米を炊いたもの)を食べ、ホテルへと向かった。海辺に面していて見晴らしがいい。他に部屋がなくて三人で一部屋だ。
「アイリスはいつまで一緒にいるの」
アイリスは白クマのフードのついたパジャマを着て、ベッドに横たわっている。ベットは二つあって、アイリスが一つを使うことになった。
「フィガロ君が心配です。悪いお手本が側にいることですし」
「うんうん。悪い虫がつかないようにしないとね」
「……、わざとですの? 乗りかかった船ですから最後まで付き合いますわ。おやすみなさい」
背中を向けて寝てしまった。陸にいてもあたしたちは船の上にいるみたいだ。
フィガロもベットの上でうとうとしている。疲れてるんだから寝ればいいのに。枕を整え、頭を乗せてあげる。
「子守歌でも唄ってあげようか」
「子供扱いしないでください……、一人で寝れましゅ」
「寂しいこと言うなよ。泣いちゃうぞ」
蝋燭を吹き消し、フィガロの横に寝ころぶ。船のベットより堅い。慣れないベットだとなかなか寝つけないんだけど、あたしも疲れてたのかすぐ眠気が襲ってきた。
「おやすみ……、お母さん」
寝ぼけたフィガロの声に、笑いが漏れる。
まだそんな歳じゃないって。でもフィガロみたいな子供がいたら……、そんな人生があってもいいのかもしれない。
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