第22話 はじまりの足音(1)

 最近、ライラは早朝に目を覚ます。

 両手を開いて、体力が回復していることを確認し、拳を握り込む。「もう起きてますのぉ?」と部屋に入る侍女のミリアンに、おはようと抱きつく。窓をコンコンと叩く音に振り返れば、虹色の鳥がライラを窺っていた。目も鼻も無いその鳥はライラの手に降り立つと、虹色の光を放ちながら数枚の便箋へと姿を変えた。兄たちの母親であるフルーレからの手紙だ。あちこちを気ままに漫遊しているフルーレからは、時折こうやって手紙が届く。どこの土地で食べたコレが美味しかっただの、今の彼女との相性がばっちりだの――そう、彼女である――内容は雑談だ。ライラはいつも楽しみにしており、何も書いていない残りの便箋に返事を書いて鳥を飛ばす。フルーレの魔術がかかっており、ライラが何をしなくとも、送り主の元へ飛び立っていってくれるのだ。今朝の返事は帰宅してからゆっくり書こうと便箋を引き出しにしまい、階下に降りる。


 朝食を食べ、両親と話し、居間に降りてきた次兄ファルマスのキスを額に受け、寝坊しがちの長兄アルフォードを起こしに行く。「キスしてくれたら起きます」と寝惚けたことを言う兄に、ライラは頬にキスをする。「おはようライラ。今日も可愛いですよ」ご機嫌に微笑んだ兄に頭を撫でられる。

 ヨハンからお弁当をもらい、ぎゅっと抱きしめられ抱きしめ返し、門を出て学園へと《転移》する。学園への《転移》はさすがに慣れて、問題なく扱えるようになった。

 今日もいつもと変わりない一日の始まり。



「おはようライラ。キャロンも」

 レオナルドの登校時間は遅めである。キャロンと話しているライラの後ろを通り過ぎるとき、頭をポンポンと撫でられるのが日課となっている。

「レオおはよー」「おはようございます」

 レオナルドは意外と軽いスキンシップを好むらしい。特に楽しそうなのは、ライラの左目の下にある黒子を撫でること。隣の席についてから、長い右腕を伸ばしライラの頬を片手で包んでくる。黒子の位置あたりを親指で優しくさすられる。

「なーに?」

「別に、何でも?」


 ライラはされるがまま、レオナルドのしたいようにさせている。彼の目元が綻んで優しく笑うので、悪くないなと思いながら黙って見つめている。

 キャロンはこれ見よがしにため息をついた。「これで付き合ってないとか……」とか聞こえたような、気のせいのような。


「なぁ、今度の休み、一緒に北嶺行かねぇ?」

「北嶺?」

 北嶺とは、名前の通り魔界の北に位置する地だ。険しい山々がそびえる、融けることのない雪の大地。日照時間も少なく、闇の深淵のような夜が訪れる。広大な森と峻嶽には、未踏の領域もあるという。

「一族の別邸がいくつかあるんだ。建物保存の魔術はかけてあるけど、一応定期的に見に行っててな。北嶺、淫魔はあんまり行かないだろ? 興味あったらどうかと思って」

「北嶺は大狼族や大山羊族の領域みたいなもんですわよねぇ。いいんじゃないですの、ライラ」

「行ってみたい! ただ、私一人での《転移》はできないと思う」

 基礎演習の魔術すら覚束ないライラが、遠い北の果ての北嶺まで《転移》できる訳もない。


「それは俺に任せろ。途中からは《転移》もできない区域に入るしな。キャロンはどうする?」

「えっ、私も、ですの? ううう嬉しいですけど、貴方、てっきり遠回しにデー……ゴニョゴニョ」

「? 行きたくないなら無理に誘わないけど」

「……本気で私も誘ってるのですね? ええと、次の休みは家の予定があったかもしれません。確認してからでいいですか?」

「おう、分かった」

「キャロンちゃんも一緒に行けるといいなぁ」

「無理そうなら別の日でもいいしなぁ」

「……二人で行けばいいですのよ、二人で」

 少し怒っているようにも見えるキャロンの頬は赤く、口元は抑えきれない笑みの形だった。



 ライラの三限は薬学基礎である。今日は学園内にある薬草園で実習を行う予定だ。温室の広さは教室が三クラス分入るくらい、高さは二階建て程で、三角屋根のガラス張りで造られている。それが横に三つ並んで建ってあり、ライラは一番左の第一温室に入った。早く来たため一番乗りかと思ったが、先客が一人いた。同学年の女子であり、煙々羅(えんえんら)という妖系統の出で名前はユキ。いつも穏やかにしている彼女が、ぼんやり虚空を見つめていた。よく見ると顔色が真っ青である。


「ユキさん? だ、大丈夫?」

 ライラが声をかけると、ユキがゆっくりとライラの方を向いた。うまく焦点の合わない目で「……ライラさん、ですか?」と小さく言う。普通ではないその様子にライラは慌てた。

「ねぇ、具合悪そうだよ。医務室に行った方がいいんじゃないかな? 一緒に行こう?」

「そうですね……医務室。ああ、でも、これ……」

 ユキは実習用具等を置いてある机の上を指した。薬草図鑑や調合教本の本が積まれている。

「私……これの準備をしなくちゃいけなかったのだけど、本を間違えてしまったの。これを返して、取りに、行かなきゃ」

「分かった、私がするよ。ユキさんは医務室に行こう?」

「……ライラさんが、これを持って、行ってくれるのなら……。そう、私は、医務室に」


 かなりぼんやりしている様子が不安である。ライラは一緒について行くと言ったが、「大丈夫だから、それよりも実習準備を、お願い」と念を押されてしまった。心もとない足取りで歩くユキを見送り、ライラは間違いの調合教本を持って、教えてもらった四号棟の第五準備室へと向かう。よりにもよって四号棟とは、学園内でも外れの方にある。

(でも四号棟って、主に部活動で使ってる棟だよね。授業でも使うのかな?)

 駆け足で向かったが、四号棟に着くころにはもう講義開始時間が迫っていた。理由があるので先生も咎めはしないだろうが。

 四号棟の中はしんと静まっていた。ライラは一瞬寒気を感じ、身震いした。人気がないからだろう。

「第五、第五、第五……あ、あった」

 ライラが教室の扉を開いて一歩足を踏み入れたとき、手元の調合教本と足元が光った。目が眩むほどの魔術光がライラを襲う。

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