第2話 奈落

 翌朝、いつものように決まった時間に起き、小綺麗な服に着替えてドアノブに手をかける。そしていつもの発作に苦しんでいる時だった。


 階段を登る足音が聞こえるが母親のものではない。父親は今では俺の部屋まで来ないが、遠い記憶の父親の足音でもない。もっと若い人の足音のような気がする。だが発作に苦しんでいる俺は動くことも出来ず、その足音に怯えさらに過呼吸までおこし始めた。そんな時だった。


『失礼します』


 若く低い男の声がドアの向こうから聞こえたと思ったら、いきなりドアをぶち破られた。その勢いでドアの下敷きとなるが、苦しさから逃れるために俺はただ一所懸命に呼吸するだけだ。


「あぁ、過呼吸ですね。死にませんから大丈夫ですよ」


 そんな男のセリフが頭上から聞こえたと思ったら、何か薬品のようなものを嗅がされた気がする。俺の記憶はそこで途切れた。


────


 ……なんだ……?この五月蝿さは……?そしてこの臭い……。意識を取り戻した俺は目を開けようとするも、瞼は鉛のように重くなかなか開かない。体も上手く動かず俺は横たわったままだ。どうにかこうにか目を開けても、霞がかったようによく見えない。頭が酷くぼんやりとして体も上手く動かせないが、少しづつ目が見えてくると目の前の光景に驚愕した。


 なんだここは!?驚きからなんとか体を起こし辺りを見回す。


 学校の体育館のような場所にたくさんの人が詰め込まれている。俺のように呆けて周りを観察している者や、まだ眠っているような者、発狂したかのように泣き叫んでいる者もいた。


 その全員が男で、妙にやせ細っている者もいればブクブクと太っている者もいる。そしてみんな異常なほど肌が白い。そのほとんどが身なりが汚く、髪や髭が伸び放題で脂ぎっている。一体いつ風呂に入ったのか分からないような人間ばかりだった。自分もその一人だが。

 そんな人間が詰め込まれた空間は酷くにおい、息をしただけで吐き気を催す。

 何よりも壁際にずらりと並んだ迷彩服を着た軍人のような集団がガスマスクを着用し、両手を後ろで組んで立っているのが異様な光景だ。


 どこかで「これは夢なんだ」という思いを抱えつつ何回か吐き気を催した時、壇上に一人の男が現れた。


『皆さんお静かに!もうほとんどの人が起きたようですね』


 この男もまたガスマスクを着け、くぐもった声でマイクで話す。何人かがその声を聞くと叫び始め、壁際にいた迷彩服の男たちは叫んだ者の所へ行き「静かにしろ」と手荒く組み伏せる。


 その非日常な光景に誰もが口を噤み、固唾を呑んで怯えたように見ていた。


『はい、静かになりましたね。皆さん突然こんな場所で目が覚めて大変驚いていることでしょう。ですが皆さんは選ばれた人間なのです』


 選ばれた?何に?わけが分からず周囲を見回すと、周りの人たちは呆然としていたり頭を抱えて震えている人もいる。


『勘のいい方はお気付きのようですね。私は厚生労働省『特別局』局長……名前は教えできませんがね』


 俺以外のほとんどの人間が絶望めいた悲鳴をあげる。なんだ!?何が起こっている!?


『今日ここにいる皆さんの共通点は引き籠もりです。ただの引き籠もりではなく、十年以上働きもしない四十代の屑共クズどもです……おっと失礼。ですが働くこともせずいつまでも親の脛をかじり続け、だらけきった生活を送る皆さんは社会に必要とされているでしょうか?


 答えは否!


 このトウキョウ市は年々人口が増え続けていますが、ちゃんと働いて税金を収めることもしない貴方たちはこのトウキョウ市にいらないのですよ。はっきり言って社会のお荷物です。そして貴方たちは親からも見放された』


 ……見放された……?俺が親から……?


『貴方たちのご家族は財産を食い潰す貴方たちに困っておいででした。もうこれ以上面倒は見られない、この先どうしようかと大変悩んでおられました』


 壇上の男は続ける。


『貴方たちのご家族のお気持ちは痛いほど理解できます。「どうしてこんなお荷物が家にいるのか」、「いっそのこと死んでくれないか」とね』


 すると何人かが「俺たちにも人権はある!」とか「だからって殺すのか!」と叫んだ。殺す?そんな物騒なことがあるわけない。


『いくら『特別局』とはいえ、国の機関である我々は無駄な税金を使うわけがありません。ネットに出回っているガス室送りなどは嘘です』


 待て……待て待て!嘘だとしてもガス室送りだと!?どういうことだ!?俺は隣にいた男に何が起こっているのか聞いてみると、「俺らは殺されるんだよ……」と力なく笑った。どういうことだ!?


『真っ当な人間が納めてくれた大切な税金を使って貴方たちを殺してどうします?やっていただくのはただのゲームです』


 ゲーム?なんだやっぱり殺されるなんて大袈裟な……そう思って胸を撫で下ろしていると、壇上の男はさらに続けた。


『やっていただくゲームは「100人1首」です。あぁ、勘違いしないでください、普通の人が思い浮かべるその百人一首ではありません。


 最後の一人になるまで、皆さんで殺しあってください。


 心配なさらなくても、このニホン国は毎年行方不明者が多数おりますから。その中の一員になるだけですし、死んで初めて社会の役に立つこともできるんですよ』


 実家で家計の負担になるかと思い携帯やネットを止めたのが仇となった。この一般人が知らない『特別局』という影の機関はネットの中でまことしやかに囁かれていたのだと知る。


『要するに最後の一人になればいいのです。簡単ですね?


 では!初め!』

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