第337話
この戦は、既に徳川軍の敗北で確定している。総大将 徳川家康並びに織田信雄が死に、軍の中枢足る多くの将兵達が討ち取られ、残された者達も捕縛された。最早、勝ち目など無い。
……だが、戦いは終わっていなかった。家康が死んで終わりではなかった。
【例え戦で勝てずとも、必ずやその首へ刃を届かせる】
そんな、黒炎の如き執念が三法師の身に迫っていた。
***
そして今、三法師達は窮地に立たされている。東に本多忠勝、西に五人の弓兵。完全に挟まれた。状況を瓦解させようとした三人も、瞬く間に罠にハマって射殺されてしまった。
三法師が、思考を停止してしまったばかりに。
そんな彼らの死に様を見て、三法師はようやく決意を固める。味方は限られ、時間もない。そもそも、本多忠勝は一人で勝てる相手ではない。勝つ為には、如何に早く西の弓兵達を片付け、その上で疲弊させた状態でこちらの最大戦力を当てるかにかかっている。
最早、選択の余地など無かった。
「……雪、一刀斎。君たちに全てを託す」
そう。三法師は、一刀斎と雪に望みを託す選択をした。唯一、勝ち目がある選択を。
その結果、西へ向かった雪が期待に応えるかのように目覚しい戦果を挙げる。
宮本 雪。三法師が箱根で救った純白の乙女は、僅か七分という短時間で弓兵を全滅させた。
そして、雪は勝利の余韻に浸ることもなく、直ぐに愛馬に跨って東へと出発した。休み暇はない。一刻も早く、一刀斎達と合流しなくては……と。
彼女の働きは、贔屓目抜きで考えられる最速であったと断言出来る。己が与えられた使命に、これ以上ない程に応えてみせた。
……それ故に、相手が悪かったとしか言いようがない。
『カハッ……』
崩れ落ちる。崩れ落ちる。崩れ落ちる。長年、一刀斎に教えを乞うてきた古強者達が一刀のもとに斬り伏せられる。血の海に沈む三人の死体。十八秒。それが、忠勝が高瀬らを惨殺するまでにかかった時間である。
「――っ」
その一部始終を目の当たりにした一刀斎は、静かに息を呑んだ。
高瀬らは、決して舐めていた訳ではない。忠勝を明確に格上と定め、全身全霊をもって戦いに挑んだ。一人は正面から、残りの二人は左右から。三位一体。三方向からの同時攻撃を仕掛けた。
そんな彼らの心境は、正しく決死。例え、この中の誰かが斬り殺されようとも、残された者が必ず刃を届かせる。一人じゃない。皆で、本多忠勝に勝つんだと。彼らの間に言葉はいらない。まさに、阿吽の呼吸。完璧な連携だった。
しかし、それでも届かなかった。槍と刀。間合いの差が勝敗を分けたのだ。
高瀬らが刀を振りかぶる寸前、瞬く間に放たれた神速の三連撃は、容易く高瀬らの身体を切り裂いた。まるで、同時に放たれたのかと錯覚する程の絶技であった。
舞う、血飛沫。視界が暗転する。熟練の剣士達が反応すら出来なかった。その事実に、冷や汗が流れる。
本多忠勝。数多の修羅場を戦い抜き、冴え渡る采配と天下無双の槍捌きから、家康に過ぎたるものと呼ばれた男。そして、彼が参戦したいずれの戦いにおいても、その身にかすり傷一つ負ったことがないと謳われる逸話は日ノ本中に轟いている。正しく、日ノ本最強。その意味を思い知らされた。
だが、高瀬達はただでは終わらなかった。
忠勝は、土汚れを振り払いながら右側へと視線を向ける。血の海に沈む三人。その近くには、重なり合うように横たわる四頭の馬。その中に紛れる忠勝の馬の左前脚には、一本の刀が突き刺さっていた。
「……そうか。最初から馬を狙っていたのか」
呟き、高瀬の亡骸を見る。その声音には、僅かな称賛の色が含まれていた。見たのだ、あの時。命の灯火が、完全に消えるまでの僅かな猶予。その一瞬に、綺羅星の如く煌めいた魂の輝きを。執念で振るった最期の一太刀を。
そう。高瀬達は、最初から馬を潰すことを目的としていた。自分達では勝てない。なら、どうするか。無様に突撃して終わるか? ……否、断じて否である。弱者には、弱者なりの戦いがある。勝ちに繋げる。後に続く者達の刃が届くように。
【全ては、最高の形で一刀斎へ繋げる為に――っ! 】
そして、彼らが繋いだバトンは確かに一刀斎の下へと届いた。三人の命を対価に生み出された千載一遇の好機。針の穴程の僅かな隙。その一瞬を一刀斎は見逃さなかった。
「ぅぉぉおおおおおおおおおおーっ!!! 」
二度、三度、四度、一刀斎は手綱を緩めながら必死の形相で鞭を入れる。最悪、ここで馬が潰れてしまっても構わない。一刀斎の表情からは、そんな悲痛な叫びが滲み出る。
指先が僅かに震える。
だが、それでも――
「もう、ここしかねぇ!! 奴を倒すには、ここに全てを懸けるしかねぇ! 高瀬達が繋いだこの好機を、俺が無駄にする訳には、いかっねぇんだよっ!!! 」
そして、五度目の鞭がトモに入った。加速の合図。その指示を受け、馬は僅かに背に跨る主へと意識を向けた。
《…………》
馬には、人間の事情は理解出来ぬ。言葉も分からぬ。だが、それでも主は己を大切に扱ってくれている。愛されていることは伝わっていた。進んで、己を使い潰すような人では無いことも。
『……黒松景』
主の暖かい手のひらの温もりを思い出す。
――ああ、ならば己も主と共に逝くまで。
《………………ヒヒィンーッッ!! 》
それは、決意の咆哮。戦場中に己の存在を轟かせるかのように嘶くと、黒松景は全力で大地を踏み砕いて加速した。駈ける、駈ける、駈ける。風を切り裂き、瞬く間に最高速度が到達する。狙いは、ただ一つ。暴風の化身と成りて突き進む。
その姿に、然しもの忠勝も頬を引き攣らせる。全身を馬具で固めた軍用馬の総重量は、三百キロを優に超える。それが、原付バイク程の時速で突っ込んで来るのだ。そんなもの、避ける以外の選択肢など無い。
僅かに息を吐き、集中力を高める。世界から色が失われ、時間の流れが遅くなる中、忠勝は右側へ視線を向けた。
(右……、いや駄目だな。死体と砕けた鎧やらが散乱している。足場が悪い。なら――)
避けるなら左側。
「――フッ」
僅かに屈みタメを作ると、限界まで黒松景を引き寄せてから左へ飛ぶ。紙一重、暴風が真横を通り過ぎる。躱された。荒々しい眼差しが忠勝を貫く。殺られた。黒松景は、本能的に迫り来る未来を悟る。既にそこには、素早く体勢を立て直した忠勝の姿があった。
鋭く、息を吸う。
「……悪く思うな」
冷徹な眼差し。身を低く構え、槍を握り直す。狙いは、馬の脚元。通り過ぎる間際、脚が地面から離れるタイミングに合わせて槍をかち上げる。それだけで、馬体は跳ね上がるように宙へと投げ出された。
骨が砕ける音。巨体が地面に叩き伏せられる。されど、蜻蛉切に傷一つ無し。完璧なタイミング。確かに、アレであれば人間の細腕でも三百キロの巨体でも投げ飛ばせる。合気道の同じ理屈だ。
とはいえ、常人では同じようなことをすれば、槍諸共両腕が砕かれるだけだが。
「…………」
沈黙。凄まじい土煙が辺りを覆う。最早、黒松景は二度と自由に大地を駈けることは出来ないだろう。決死の突撃は、忠勝へ届くことは無かった。
だが、それでも――
――彼らは、賭けに勝った。
土煙を切り裂き、一条の流星が天から降り注ぐ。一刀斎だ。落馬する直前、一刀斎は既に馬の背から飛び降りていたのだ。
「カァアアアアアッッ!!! 」
猛び、烈火の如く燃え盛る斬撃。大上段。飛び上がり、落下する勢いをそのまま刀に乗せる。愛馬を失ったことは分かっている。弟子を失ったことも分かっている。
故にこそ、その刃を届かせねばならない。彼らの死を無駄にしない為にも。全ては、この時の為に繋いできたのだから。
「――っ!? 」
虚を突かれた忠勝の反応が若干鈍る。その一瞬の隙に、一刀斎は間合いの内側へと入り込んだ。
そこは、一刀斎の間合いである。
「ぅぉぉおおおおおおおーっ!!! 」
赤く、紅く、赫く。赤雷が迸る。
さぁ、今こそ最速最強の一振を繰り出す時だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます