第307話


 織田信長。復活を遂げた覇王の参戦は、劣勢に陥っていた戦況を一気にひっくり返す程に鮮烈な戦果をもたらした。


 酒井軍大将 酒井忠次、討死。


 織田軍の一点突破に対し、後手後手に回った末に多くの武将を失い、勝ち目が無いと判断した足軽達が敵前逃亡。総数二千四百の軍勢は、あっという間に壊滅。酒井軍は、織田信長の降伏勧告を受け入れ、西の戦場は織田軍の勝利で幕を閉じた。






 ***






 一方その頃、北の戦場にて大きな動きがあった。


「報告っ! 謀反人 織田信雄が家臣 天野雄光並びに、久保勝正を捕縛致しました! 」


 先程まで、猛威を振るっていた闘将の捕縛。それに続くように、新五郎の下へ続々と吉報が押し寄せる。


「伝令! 稲葉彦六殿が小坂雄吉を討ち取ったとのこと! 稲葉殿に目立った外傷は無く。現在、捕虜を率いてこちらへ向かっておられます! 」


「――っ! 良し、でかしたぞお前達! 」


 家臣達からの報告に、新五郎は喜びの声を上げる。見渡してみれば、この周囲一帯では既に殆ど戦闘は行われておらず、その多くが降伏した者達の捕縛や負傷した兵士への治療を行う者達ばかり。未だに抵抗を続けている者もいるが、それも全体の極僅かに過ぎない。


 そう、新五郎軍は見事に北の戦場を制圧してみせたのだ。それも、ごく短時間で。あの大乱戦を考えれば、非常に素早い決着だと言えるだろう。指揮官と兵士達の絆が成した奇跡と言っても過言ではあるまいて。






 しかし、戦いとは犠牲を伴うモノである。


「後方部隊より報告! 先の戦闘により、死者十三名、重傷者三十二名、軽傷者百十三名の被害が出ております。軽傷者に関しては既に応急処置が施されており、ご命令であれば即座に進軍を開始することも可能でございます」


「……うむ」


 小さく頷く。あれ程の乱戦を力技で制したのだ。無論、新五郎軍にも被害は出た。……まぁ、成果を計算に入れれば犠牲は最小限に抑えたと言えるし、男の言うようにこのまま徳川軍本陣への進軍も可能だろう。

 いや、そうするべきだ。例え、その先におびただしい数の犠牲が出ようとも、そこに徳川家康が居るのであれば――。


 しかし、それでも新五郎は一人の武人として、心優しき主君に仕える者として、己が率いる兵士達を勝利の為に必要な犠牲などと捨て駒のように切り捨てたりはしない。ソレは、前提から異なるのだ。己が掲げる正義の為に戦って死ぬのとは――っ!


「追撃は良い」


「……よろしいのですか? 」


 再度、男は問う。今こそ、徳川家康の首を狙う絶好の機会なのではないのかと。されど、新五郎の意思は固く、その瞳は男が見ていたモノよりも更に先を見据えていた。


「あぁ、先ずは現状の把握と負傷者の輸送、軍の再編成を第一に考えねばならぬ。足並み揃わぬまま攻め込んでも、その刃は決して大将の首には届かぬからな。……それに、未だ戦は続いておる。所詮、我が軍は戦場のひと区間を制したに過ぎない」


「……未だ、この混乱は続く……と? 」


「左様。私には、どうしてもあの徳川家康がこのまま終わるとは思えぬ。奴の狙いも不透明だ。それに、織田信雄の姿を未だに確認出来ておらぬ。首謀者であるこの二人を討ち取るその時まで、絶対に気を緩めてはならぬのだ。……故に、我が軍はこのまま北に陣を敷く。奴らを封じ込める陣形の一つに準ずるのだ。それと並行して、逃げ出した織田信雄の行方を探れ」


「ははっ! では、私はこのまま情報収集へ走りまする」


「あぁ、頼んだぞ」


「御意」


 去りゆく男の後ろ姿を尻目に、新五郎は傍に控えている小姓の二人を呼び寄せた。


「死者と重傷者を岐阜城まで運ぶ必要がある。合わせて四十五人……であれば、百人程割り振れば事足りるであろう。太郎、悪いがお前の部隊に彼らの輸送を任せる。山中の警備は、白百合隊の者達に任せよう。竹蔵、狼煙の準備を」


「はっ」


「承知致しました! 」


 新五郎の指示を受け、速やかに動き出す二人。段々と争う音が小さくなっていくのを感じながら、新五郎は馬上にて深く深く息を吐いた。






 敵軍総大将 織田信雄の敵前逃亡。そんな前代未聞の珍事を前にしても、指揮官である新五郎は冷静さを失わず、その都度適切な采配を振るってみせた。


 その結果、勢いに乗る新五郎軍は瞬く間に信雄軍を制圧。信雄に付き従っていた武将も、その全てを捕縛ないしは討ち取ることに成功。十分な成果だと言えるだろう。


 しかし、新五郎の表情は晴れない。なんとなく予感していたのだろう。この事態を。


「殿、失礼致します。稲葉殿がお戻りになられました」


「……彦六が? 」


 稲葉彦六。此度の戦の功労者。おそらく、何らかの報告に来たのだろう。新五郎は、馬から降りて出迎えることを決めた。


「通せ」


「ははっ」


 一度、深く頭を下げてから立ち去る男。それと入れ替わるように、稲葉彦六殿が傍付きを連れて現れた。


「殿、失礼致す」


 どしりと座り、深く頭を下げて平伏する彦六。それに続く傍付きを尻目に、新五郎は彦六の奮闘を労った。


「良くぞ来たな、彦六。お主の戦果は聞いておる。それが、小坂雄吉の首か? 」


「ははっ、左様にございます。これこそが、この彦六めが討ち取った小坂雄吉の首。噂通りの大男にございました。ささっ、どうぞご確認下さいませ」


 彦六の合図を受け、傍付きが抱えていた手荷物を新五郎の前に置いた。そして、ひらりと布を解くと包まれていた一人の首が現れる。小坂雄吉の首だ。


「……うむ。確かに、小坂雄吉の首に間違いない。彦六、大儀であった」


「ははっ! 」


 その惜しみない賛美を受け、彦六は深々と頭を下げた。


 小坂雄吉と言えば、織田信雄の傅役を務めた重臣中の重臣だ。その恵まれた上背と合わさって、豪槍の使い手とも謳われている程である。織田信雄が謀反を起こした以上、その首の意味は重い。


 まさに、値千金の成果といえるだろう。






 だが、そんな素晴らしい戦果を挙げたにも関わらず、彦六の表情は固く険しいままであった。その様子に、新五郎は悪い予感が当たってしまったことを悟る。


「やはり、織田信雄は見つからんか? 」


「……はっ、残念ながら。討ち取った者、捕縛した者、気を失っていた者、その全ての顔を確認致しましたが、何処にもその姿はありませんでした。やはり、先の乱戦に紛れて逃げ出したのかと」


「……そうか」


 新五郎は、予想通りの報告に溜め息を吐く。そして、眉間に皺を寄せながら思考を張り巡らせていると、視界の端に天高く昇る狼煙の存在を捉えた。当然、彦六もその存在を認識する。


「あれは……一体? 」


「あれは、白百合隊からの報告だ。織田信雄が、山の方へ逃げ出した可能性を考え、狼煙にて結果を知らせるように頼んだのだ。……しかし、どうやら駄目だったらしい。北、東共に狼煙は一本ずつ。見付かれば、二本上げるように頼んでおいたからな」


「……では、南でしょうか? その身を守ろうと考えたのであれば、徳川軍本陣へ目指すのは道理と言えるでしょう。家康も、形だけとはいえ織田信雄の存在を大義名分にしている以上、無下にはしないと思われますが……」


「いや、織田信雄は戦場から逃げ出したのだ。わざわざ、自分から逃げ場のない中央へは向かうまい。……ともすれば、その行方は一つしかあるまいか」


 立ち上がり、西へと顔を向ける。その表情は、自ら進んで地獄へと落ちていった愚者を憐れむようにも見えた。


「…………これも、運命か」


「殿? 」


「彦六、暫しこの場を預ける。私は、十騎を率いて西へと向かう。……頼めるか? 」


「――っ、ははっ! 万事、この彦六にお任せあれ! 」


 新五郎の瞳に強い決意を感じ取った彦六は、右手で強く胸を叩いて応える。その頼もしい姿に、新五郎は再度馬に跨って小姓へと指示を飛ばす。


「今から、西へと向かう。目的は、織田信雄の身柄の確保。小太郎、騎馬隊より十騎を呼び寄せよ! 」


「ははっ! 」


 愚かな男の末路を見届ける為に。




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