第252話

 天正十二年五月十九日 加賀国 金沢平野。


 前田利家と佐々成政。二人の問答は終わった。利家は、成政に主君への忠義を説き、時には情に訴えながら情報を探るも、残念ながらあまり重要な情報を引き出す事は出来なかった。


 交渉は決裂。最早、互いの命をかけて雌雄を決する他道は無い。互いの兵士達の動揺が激しかった事から、どうにか一騎打ちに持っていけただけマシか。


 だが、利家の心に迷いは無かった。


 選ぶ道は一つ。例え、それがどれだけ困難極まる道だとしても関係無い。彼の頭には、見捨てるなんて選択肢は最初から無かったのだから――






 ***






 空間が歪む。


『ぅぅぅぉぉおおおおおおおおっ!!! 』


 戦場に轟く二人の雄叫びは、気に弱い者ならばたちまち意識を刈り取ってしまう程の迫力に満ちている。そんな二人の勇姿を、兵士達は口々に賞賛していた。流石は、織田家が誇る歴戦の武将だと。


 そんな賞賛も二人には聞こえない。極限まで集中する事で辿り着ける白の世界では、ただただ相手と己の挙動しか視界に入らない。そんな世界に二人はいた。


「はぁあっ! 」


「ぐぬぅ……ぅぁあ……甘いわぁっ!! 」


 利家の長身から繰り出される振り下ろしを、成政は器用に側面を弾いて軌道を逸らす。刹那、地面が爆ぜて亀裂が走る。陥没した地面の中心に穂先が埋まる。


「――シッ!! 」


 その一瞬の隙を突き、成政は足で槍を踏みつけて固定させると、手首のスナップだけで利家の眼球目掛けて刺突を放つ――が、利家が力任せに成政ごと槍を浮かせて刺突の軌道から逸れる。それを察した成政は、咄嗟に槍を踏み台に後方へ飛び上がって退避。


 両者の共に間合いから外れ仕切り直し。


『…………フッ!! 』


 一拍の間で息を整えると、両者同時に飛びかかる。


『おおおおおおおおおああぁぁぁっ!! 』


 目にも止まらぬ黒と紅の演舞。幾千もの火花が散るごとにその勢いは増していき、二人の頬や鎧に焼けるような切り傷が加速度的に増えていく。


「又左ぁぁあああ!! 」


「内蔵助ぇぇええ!! 」


 利家の振り下ろした朱槍と、成政の振り上げ黒槍が二人の間で重なり合う。轟音。僅かに押された成政の足元にヒビが出来る。


 火花を散らしながら鍔迫り合う二人。意地でも引かない。唇から血が垂れる。奥歯が嫌な音を立てる。腕の筋が悲鳴を上げた。技も何も無い、ただ力に任せた原初的な意地の張り合い。


 されど、彼の瞳には冷静さを表す青色の焔が灯っていた。






 ――佐々流槍術 水の如し 曲水






「ハッ!! 」


「な……っ!? 嘘だろっ!? 」


 成政の黒槍が、利家の朱槍を巻き込むように円を描く。反転。成政の早業によって行き場を失った利家の朱槍が、勢いそのままに地面に突き刺さる。利家の体勢が崩れる。当然、成政がその隙を見逃す訳が無く、利家の喉元を狙うように横薙ぎを振るう……も、既に利家は槍から手を離しており、間一髪首の皮一枚切り裂くだけで済む。


 だが、成政はその回避すら想定内であった。


「未だ、俺の技は終わっていないぞ! 」


「ぬぐぅ……っ!? 」


 成政は、即座に槍を回転させて石突で利家の胴を突く。無論、そこは鎧で防備されており槍が身体を貫くことは無い。されど、その衝撃は内部に響き渡り、然しもの利家もよろめく。成政は、そこを追撃するように素早く踏み込んで、突く毎に少しづつ打点を上げる高速の五連撃を放った。


「そぉ……こぉだぁぁああああっ!! 」


「ぐぅ……ぅぅぅおおおおおおっ!! 」


 身体の芯を正確に捉える連撃。上体が伸び上がり、鎧武者の弱点である喉元を晒す。急な重心移動に耐えかね、利家の視線が一瞬だけ上に逸れる。まさに刹那の間。そんな針の穴のような僅かな隙を突くかのように、成政は更に低く身体を沈めてタメを作り、半身を回転させて勢いを増した刺突を放った。






 ――佐々流槍術 水の如し 昇龍






 天に高く昇りゆく龍の如き刺突。その鋭い技の冴えは、まさに必殺の一撃と言っても過言では無い。 最初から、成政の本命はこの技だったのだ。


(……決まった)


 成政は勝利を確信する。完璧なタイミング。流れる水のように、緩急をつけながら技を繋げ合わせてみせたその練度。幾十年もの鍛錬の果てに辿り着いた境地。それに加え、この連続技は利家に一度も見せた事は無い。如何に天才と謳われた利家といえど、初見の技に完璧に対処出来る筈が無い……と。


 だが、そんな見事な技を見ても尚、利家はニヤリと不敵に笑ってみせた。






 ――前田流槍術 炎の如し 華炎






 唄うような声音が成政の耳に入る。


 焦燥。冷や汗が頬を伝う。


(不味い……っ。いなされるっ! )


 この先にある危機を察知し、何とか対処しようとする成政。されど、一度繰り出した技は途中では止まれない。流れるように利家の喉元へ吸い込まれるように黒槍が迫る……も、利家はタタンッと短いステップを刻みながら後方へ下がると、その最中に朱槍をくるりと一回転させて己に迫る黒槍の側面を弾き、見事軌道を逸らしてみせた。黒槍は、僅かに利家の頬を掠めたのみ。これには、然しもの成政も大きく目を見開いてしまう。パラパラと、細かい土の塊が宙を舞っていた。


「へへっ……よっ……とぉ〜なぁ!! 」


「チッ……! 」


 利家は、してやったりと笑ってみせると、篭手で黒槍を大きく弾いて成政の体勢を崩し、追撃とばかりに左足を軸にして腹部目掛けて強烈な蹴りを放つ。成政も、腹に当たる寸前で篭手での防御が間に合ったが、その勢いに押されて後方へ飛ばされてしまった。


「……相も変わらず出鱈目な男よ」


「ははっ! あのような絶技を操るお前に言われてもなぁ」


 舌打ちしながら悪態をつく成政。それを、苦笑しながら利家は受け流すと、僅かに痺れる右手を見ながら呟いた。


「……こうして槍を交わらすのは、一体何時ぶりだろうか。……あの頃は、毎日のように模擬戦をしていたな。そのうち歯止めが効かなくなって双方共に痛手を負ってなぁ。戦の前日に何をやっているのかと、良く上様や親父殿に叱られたっけな」


「…………」


 昔を懐かしむ利家の呟きに対し、成政は黒槍を構えることで返す。ただ、お前を倒す。それだけだと。もう、言葉を交わす気は無いと。


 そう、一方的に告げられてしまった利家は、致し方ないと肩を竦める。そして、深く息を吐いて意識を切り替える。






 ――ならば、嫌でも俺のことを見て貰うぞ。






「目付きが気に食わぬ。態度が気に食わぬ。声が気に食わぬ。食べ方が気に食わぬ。……誠に、若い頃は随分と下らぬことでお前と張り合っておったな。そして、決まって最後には槍を交えて勝敗を付けておった」


 腰を落として半身に構える。


「勝っては負けて、負けては勝ってを繰り返し、互いに気を失うまで戦い続けた。……総数も、此度の戦いでちょうど六千になる。俺の三千勝。今回、お前に勝てば三千と一勝で勝ち越し。何か、運命めいたモノを感じるよな」






 ――決着を付ける時が来た。






 瞬間、利家から紅き闘気が溢れ出す。その勢い、業火の如く。悪を滅する断罪の炎。まさに、不動明王の化身がそこにいた。


「お前が、何を考えているのか分からない。お前は、俺に何も言ってくれなかった。例え、言えぬ事情があったのだとしても、俺には言って欲しかったと思っている。後悔もしているさ。もし、此処にいるのが俺じゃ無かったら……もし、此処に親父殿がいれば違う未来もあったかもしれない……と」


「……そんな、未来……なんて……っ」


 奥歯を噛む締める音。初めて、成政の顔が悔しげに歪んだ。それを見た利家は、ほんの少しだけ口元を緩めた後、直ぐに顔を引き締め直して真っ直ぐに成政へ視線を向けた。


「だが、もうそんなことは考えない。過去を変えることなんて出来やしないのだ。ならば、俺は今この場で出来る最善を尽くすのみ」


 瞳に焔が灯る。


「ゆくぞ、内蔵助。これで、終いだ」


「……来い、又左」


 返すと同時に駆け出す二人。


 その長身を生かした一撃必殺の剛力に、天性の戦闘センスで一気に攻勢に出る前田利家。それに対し、鎧を着ているとは思えぬ軽やかな身のこなしと、確かな修練の果てに会得した神域の槍術を巧みに操る佐々成政。






 決着は、黒槍と朱槍が重なり合った瞬間に決まった。

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