第215話
天正十一年 十月 安土城
『唐入り』
彼の大国『明』への侵攻。誰がどう考えても、おびただしい数の血が流れる事は間違いない大戦。それを、よりにもよって爺さんは天下一統を成し遂げた後に行おうとしていた。
その事実に、権六達だけでは無く、俺もショックを隠しきれなかった。信じられなかった。信じたくなかった。それは、あの場に居た誰もが抱いていた願望。
しかし、藤は間違いないと断言してしまった。あの瞳には嘘の色は無かった。真摯に事実を受け止め、真実を告げる男の瞳だった。
……ならば、やはりそうなんだろう。爺さんは、唐入りを決意していた。俺に、泰平の世を見せると約束したのに……っ!
辛かった。悲しかった。あの約束は嘘だったのかと問い詰めたかった。そんな絶望感に苛まれている時、官兵衛は言った『上様は、意味もなく戦火を広げられる御方でしょうか』『日ノ本を南蛮の魔の手から救う為に戦う決意をしていた』……のだと。
真の平和。官兵衛が語ったその言葉に、俺達は自然と吸い寄せられていった。
***
皆の視線を一身に集めた官兵衛は、静かに立ち上がり両手を広げた。
「この世は、所詮弱肉強食。強き者だけが自由を謳歌し、弱者は死ぬまで食いモノにされる。これは、この世の真理であり、人が人である限り決して変えることの出来ない本質。それは、皆様も嫌になる程に分かっておりましょう? 」
『…………』
「そして、人の本質とは海を越えた先でも同じなのです。日ノ本の民だけでは無く、明の民や南蛮の民とて本質は同じ。己が利の為ならば何だってやる。他者を踏み付け、骸の上で飯を喰らう獣の名が人間なのですよ。……私は、それを切支丹の洗礼を受け、宣教師の裏側をこの目で見てようやく悟りました。奴らは、聖者の皮を被った悪鬼。知っておりますか? 宣教師とは、南蛮が放った尖兵なのですよ」
「な、なんだとぉ!! 」
その聞き捨てならない言葉に、権六が身を乗り出す。五郎左や左近からも怒気が溢れる。
「宣教師共の手段は極めて単純でございます。信仰を広める為と言い、時の権力者に媚びを売って国の中枢に入り込み、虐げられている民を口八丁で丸め込み、自分達の思い通りに動かせる信徒にする。そして、隙を見てはその国に古くから根付く宗教を邪教として破壊。邪教を信じる者は、何をしても構わない邪教徒として討伐。それを口実に、聖戦と称して他国へ侵攻。資金の為と言って、奴隷を売買して私腹を肥やす。挙句の果てには、気に入った女奴隷を自分の物として陵辱の限りを尽くす……」
官兵衛は、語り聞かせるように話しながら、ゆっくりと歩き出す。
「宣教師が入国した国々は、尽く南蛮からの侵略を受けております。植民地となった国々の姿は、言葉では言い表せない程に悲惨です。奴らは、信仰によってその国に住む民から戦意を奪っているのです! そして、信徒はそのまま奴らの兵士となる。日ノ本では、既に一国の主足る大名が南蛮の手先になっているのです! まさに、国を内部から腐らせる毒虫。これこそが、宣教師共の……南蛮人共の本当の顔なのですっ!! 」
『………………』
息を切らしながらも熱く語る官兵衛。一同、その勢いに絶句しているものの、何処か納得するような表情を見せていた。きっと、官兵衛が何を言いたいのか察したのだろう。
官兵衛は、勢いそのままに右手を振るう。
「敵は、刻一刻と勢力を広げながら日ノ本へ迫っております。既に、一刻の猶予もございませぬ。織田家も速やかに天下一統を果たし、大陸へ領土を広げねばなりませぬ。でなければ、南蛮の支配と戦う事すら叶わないでしょう……」
「その為の……唐入り」
「左様にございます」
顔を伏せる左近。その姿に官兵衛は神妙な表情で頷くと、俺の方へと視線を向けてきた。
「喰われる前に喰わねば全てを失います。上様は、それを分かった上で唐入りを推し進めておられたのでしょう。天下一統を成し遂げても、南蛮人共に侵略されては意味が無い。……全ては、泰平の世を若様に引き継がせる為に」
「爺様が……」
「平和は、ただ黙って指をくわえていても手に入りませぬ。このままでは、いつまで経っても南蛮からの侵略に怯える日々を過ごすだけ。真の平和は、この手で勝ち取らねば決して手に入りませぬっ!! 」
官兵衛は、右腕を高らかに掲げると、俺達に見せ付けるように力強く握り締めた。
「共に戦いましょうぞ!! 真の平和を勝ち取る為にっ! 敵に脅かされる事の無い泰平の世を築く為にっ! 全ては、この日ノ本を守る為! 若様、そして皆様。どうか、唐入りをお許し下さいませっ!!」
そう力強く言い放つ官兵衛の瞳には、凄まじい覇気に満ち溢れていた。まるで、未だ見ぬ戦場へ思いを馳せるように。
官兵衛の言葉を噛み締めるように、腕を組み、口を閉ざして思考を張り巡らせる。迂闊な発言は出来ない。俺の言葉には、相応の重みが宿っているのだから。しっかりと考えた上で、自分の答えを出さなければ……。
そんな風に一歩引いて皆の様子を伺っていると、不意に権六が口を開いた。
「黒田の言い分は一理ある」
「なぁっ!? 」
「まぁ、待て」
短く告げる権六に、五郎左は慌てて立ち上がる。それを右手で制すると、権六は静かに自分の考えを語った。
「平和は勝ち取らねば決して得られぬ。……実に道理である。戦に敗れ、田畑を、家族を、国を失った者達など腐るほど見てきた。……今、織田家は日ノ本を統一して泰平の世を築かんとしている。ならば、海を越えた先にいる敵へ対策を練るのは至極当然であろう」
「対策……か。それは、権六も唐入りを認めると言う事かっ」
「…………そうだ」
「…………権六、貴様っ!! 」
短く叫びながら、五郎左が権六に掴みかかる。その怒りの表情はまさに烈火の如く。いつもの冷静沈着な五郎左とはかけ離れた姿に、慌てて左近が止めに入る。
「落ち着け五郎左! 」
「落ち着いてなどいられるか!! 」
五郎左は、力技で左近を振り払うと、今一度権六へ詰め寄る。
「私達が、今まで何の為に戦ってきたと思っているのだ! この日ノ本に平和な世を築く為に、どれ程の血が流れたと思っているのだ! 未だ年若い若者が、何の為に死んでいったと思っているのだ!! 何の為に……何の為にっ!! 」
「一度頭を冷やせ、五郎左ぁっ!! それでは、何も伝わらぬ! 気持ちは痛い程に分かるが感情的になるな!! 」
「…………ぬぐぅ!? 」
再度、左近が五郎左を羽交い締めにして権六から引き剥がす。それに続くように藤も五郎左を押さえると、流石に二人がかりでは勝てなかったのか、壁にもたれ掛かるように力無く座り込んだ。
「何故、わざわざ海を越えて戦を続けようとするのだ……。家臣や民に何と説明する気だ。領土獲得の為に、名も知らぬ遠い異国で朽ち果てよとでも言うのか? ……私は反対だ。そんな無謀極まりない戦をするくらいならば、国境を閉ざした方が良いっ」
言いたい事を言い切った五郎左は、荒く乱れた息を整えるように深呼吸を繰り返す。その背中を摩りながら、左近も続くように口を開いた。
「正直、儂も唐入りは承知しかねる。確かに、黒田の言う通り宣教師共は危険だ。言葉は伝わらないが、その瞳に宿る侮蔑的な色は誤魔化せぬ。早急に対策を練らねばならぬだろう。……しかし、それで唐入りはあまりに下策。そこで甚大な被害が出れば、織田家の統治が瓦解し、最悪の場合この日ノ本はまた群雄割拠の乱世に巻き戻ってしまうだろう。……日ノ本は独立すべきだ。南蛮と国境を断絶し、奴らとの関わりを一切断ち切る。鎖国こそが、日ノ本の平和を保つ唯一無二の道だろう。……藤吉郎も、そう思うであろう? 」
首を横に振って唐入りを反対する左近。宣教師への評価は官兵衛と変わらないが、出した答えは真逆の鎖国政策。今まで以上に距離を置く事で、織田政権の安定感を狙った策。ある意味、左近らしい考え方だ。
そして、左近は未だに口を閉ざしている藤へ賛同を求めた。しかし、その表情は悲痛な叫びを隠すように歪んでいた。
「…………否、左近殿の鎖国案は一理ありまするが、それ単体では意味がございませぬ。ただ殻に籠るだけでは、南蛮からの侵略は抑えきれないでしょう。一度、日ノ本の武力を知らしめる意味でも、唐入りは利点があるかと」
そう悲しげに言い放つと、藤は立ち上がって権六が居る右側へ寄って行く。その背中を、二人は憎たらしげに睨みつける。
「…………それが、お前達の意見か」
ゆっくりと権六が立ち上がり、左側に集まる五郎左と左近を睨む。それに呼応するように、五郎左と左近も立ち上がった。
右手に権六・藤・官兵衛、左手に五郎左・左近。織田家が誇る名将達は、上座に座る俺を境界線に侵略派と鎖国派で対立してしまった。
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