第103話

 天正十年 七月 安土城 羽柴秀吉




 奇妙様が亡くなられて数日が経ち、とある一室にて会議が行われていた。出席者は四名。柴田殿、丹羽殿、滝川殿……そしてわしだ。


 わし等四名に授けられた新たな役職。即ち、大老。重臣達の上に立ち、幼き主人を補佐する最高職。


 そんなわし等が一堂に集い、織田家の方針を話し合っていく会議を、人は大老会議と呼ぶ。


 奇妙様より託された使命。三法師様を支え、織田家を円滑に回していく。全ては、天下泰平の世を築くためにっ!




 しかし、そんな大老会議は、一向に先へ進まず膠着状態に陥っておった。


「して……織田家の家督についてだが……」


『……………………』


 柴田殿が切り出す議題に、一同沈黙で返す。早く解決せねばならぬ議題である事は百も承知。だが、それでも二の足を踏まざるを得ない状況なのだ。


「……奇妙様の遺言通り、三法師様が継がれるのが宜しいかと。三法師様は、織田家の正統なる後継者。上様の尊き血を引く三法師様が継がれる事こそ、筋というもの」


「それは分かっておる。問題は、三介様が後見人を名乗り出たことじゃ! 」


「……恐れ多い事にございますが、三介様に賛同する者。三七様を推挙される者が出ております」


『はぁ…………』


 わしの報告に、一同溜息をつく。


 あの時は、斯様な騒ぎに発展するなど夢にも思わなかったのだ。






 時は、奇妙様が息を引き取られた直後に遡る。


 声を上げて奇妙様に縋り付く三法師様に、わし等は声をかける事も出来ずにおった。そのあまりに労しい御姿に、自然と涙が零れるのみ。


 僅か三つの幼子が、背負うにはあまりにも重すぎる宿命。神や仏には、血も涙もないのかっ!


 本当ならば、その小さき身体を抱き締めたい。『わしが、必ず守る』そう誓いたい。不敬ではあるが、奇妙様を息子同然に想っていたわしは、三法師様を孫のように想っておった。


 そんな大切に想っておった御方に対して、何も言えない己が不甲斐なくて堪らんっ!




 そんな風に、己の不甲斐さに打ち震えていると、何処からともなく声が聞こえてきた。




『本当に、三法師様で大丈夫なのか? 』




 そんな小さな呟きが、広間中に広がっていく。ソレを聞いた途端、一気に頭に血が上っていくのを感じた。


「誰じゃぁぁぁあああっ!!! そのような巫山戯た事を宣いた痴れ者は、どこのどいつじゃぁぁぁあああっ!!! 」


「ひっ! 」


 怒髪天を貫いたわしは、悲鳴を上げた者に詰め寄っていく。先程の言葉は、到底許す事は出来ぬ! 不敬千万! その罪、万死に値するっ!!!


「貴様かぁぁぁあああっ!!! 」


「ぐっ!? ごぉ……がぁ……ぁぁぁ…………」


 首を締め付けながら宙に浮かせる。骨の軋むような音が響く中、ようやっと我に返った者達が一斉にわしを取り抑えようとする。


「お待ちくださいませ筑前守様っ! 」


「止めろ藤吉郎っ!!! 」


「離さんかぁぁぁあああっ!!! 」




 結局、『奇妙様が亡くなられたこの場所で、争い事等言語道断』と、柴田殿に一喝され、あの発言は有耶無耶なままになってしもうた。


 ……言葉には、言霊が宿る。一度口に出した言葉は、誰にも取り消せぬ。上様は意識不明、奇妙様は亡くなられ、僅か三つの幼子が当主につく。


 誰もが、不安の種を心に宿していた。それが、あの痴れ者の言葉で、芽が出てしもうたのじゃ。


 その結果が、織田三七信孝様と北畠三介信意……否、織田三介信雄が跡目争いに加わる非常事態に陥ってしまうことに、なってしもうた。










「……三介…………三……様……」


 滝川殿の声で、不意に意識が戻ってきた。いかんな……大老会議中だと言うのに、あの日の事を思い出しておった。


 気を引き締めなければっ。


「して、御二方は何と……申されておるのだ? 」


「三介様は、『幼子に政を任せるのも忍びない。三法師が元服するまで、俺が代理当主に就く』三七様は、『兄上の遺言に従い、家督を継ぐ三法師を皆で支えるのみ』と、申されておりました」


「う〜む…………」


 滝川殿の報告に、四名共に眉間に皺が寄る。下の者達が騒ぎ始めた事だが、予想以上に三介様が乗り気でおられる。


 勝手に改名した事もそうだが、近頃の言動には少々目に余る。




 一人、三介様の言動に憤慨しておるうちに、会議は目的地も分からぬまま踊り続ける。


「三法師様、三介様、三七様の中では、三法師様の才覚は頭一つ抜けておられる。問題があるとすれば……年齢か……」


 滝川殿の呟きに、丹羽殿が補足をつける。


「下の者達も、そこに不安を感じているように思う。幼子に、織田家を動かせるのか……とな」


 そんな補足に、柴田殿は溜息を零す。


「故に、三介様を立てる者達が騒いでおるのか。はぁ…………。無礼ながら申すが、三介様は王の器に非ず。まだ、三七様の方が王たる器を備えておる」


「左様ですな。明智討伐において、伊賀国に籠っていた三介様では心もとなし。摂津にて、見事な指揮を執っていた三七様の方が上ですな」


 柴田殿の指摘に、わしは同意を示す。先の大戦でも、三七様は摂津にて見事な指揮を執っていた。


 故に、一万以上の兵士が三七様を信じて、明智を討つ日まで摂津に残り続けたのだ。もし、三七様が動揺を隠しきれておらなかったら、摂津の軍勢は崩壊していただろう。


 王としての器を示したのだ。




 だが、それでもわしは、三法師様を立てられる方が良いと思うのだ。


「ですが、三七様も三法師様には劣る。三七様自身が三法師様を立てておりますし、遺言通り三法師様を当主にすべきでしょう」


「そうであるな。三法師様ならば、年齢等関係無く見事に政を取り仕切りましょう」


「左様。三法師様は強き御方だ。奇妙様が亡くなられてから、半刻程度で立ち直り気丈に振舞っておられる。……儂等は、不要やも知れんな」


「上様が若かりし頃も、家臣達の意見などいりませんでしたからな…………」


 滝川殿の言葉を最後に、不意に訪れる静寂。


『神童たる三法師様ならば、大老なぞ不要の存在かも知れん』


 そんな考えが脳裏を過ぎる中、わし等は三法師様の元へと向かった。


 


 一言も話すこと無く小姓に案内されるわし等は、とある一室に通された。そこは、三法師様の私室では無く、上様が眠っておられる部屋であった。


「ここは……」


「……只今、三法師様はこちらに居られます。どうか、今より見ます光景は他言無用に御願い致します」


「……ん? ……うむ。約束致そう」


 意味深な言葉に首を傾げるも、見ない事には始まらんと一同同意を示す。小姓が薄く開いた襖の先には、思いもよらぬ光景が広がっておった。


「うぅうぅ……ちちうえ……ははうえ…………」


 そこには、上様に縋り付くように泣く三法師様の御姿があった。昼間、皆を指揮しておられる御姿とは掛け離れた様子に、一同愕然とする。


「……っ! こ、これは」


「……昨夜、岐阜城より急使が訪れました。こちらが、その文にございます」


「……っ! ま、まさか……そんな……」


 小姓より渡された文を読んだ柴田殿は、驚きのあまり声を失って固まる。その尋常ではない様子に、引ったくるように文を奪うと三人で読み始める。


 そこには、『岐阜城にて奇妙様の奥方様が、第二子出産時に大量の出血をしてしまい、赤子諸共御亡くなりになられた』と、書かれていた。


 この小姓は、昨夜に届いたと申していた。では、昼間の御姿は母親が死んだ事を知った上で、わし等を不安にさせぬように気丈に振舞ってみせていたのかっ。


「何故……小姓がこの文を……否、確か貴様は一刀斎殿の…………」


「はっ、高丸と申します。三法師様の傍付き故に、此度の一件を耳に致しました。三法師様は、『然るべき時が来たら、皆に知らせる』と申しておりましたが、大老の皆様にはお伝えすべきと愚考致した次第にございます」


「……そうか。忝ない。我等も……戻るか……」


『はっ』


 柴田殿に連れられて、わし等は部屋を後にした。どこまでも、やるせない想いを抱きながら……。






 部屋に戻ったわしは、勢い良く土下座をした。


「柴田殿! 丹羽殿! 滝川殿! どうか、どうかこの藤吉郎に御力を御貸しくださりませっ!!! 」


「い、一体どういうつもりだ? 」


 困惑する柴田殿達に構わず、ひたすら頭を畳に擦り付けて誠意を示す。


「皆様が、わしに良い感情を持っておられない事は百も承知! わしの様な下賎の身の上で、大老など烏滸がましい限りでございましょう! されど、されど! どうか、わしと共に三法師様を御支えになってくださりませぬかっ!? 過去の諍いを水に流せとは言いませぬ! 大義の為に、三法師様の為にっ! 力を合わせていただきたくっ!!! 」


 名誉も何も関係無く、わしはただただ頭を下げ続けた。この四名ならば、三法師様を支えられる確信があったからだ。


 明智光秀の謀反に迅速に対応し、見事討伐までの道筋を描いた類稀な才覚。僅か三つの幼子とは思えぬ覇気。


 そんな完璧だと思っていた御方が、わし等を心配させまいと必死に戦っておられたのだ。父親と母親を同時に亡くし、辛いだろうにその事を必死に堪えておられるのだ!


 それに応えずして、何が大老か! 何が忠臣か! 三法師様の為ならば、わしの頭の一つや二つ平気で下げられると言うもの!






 どれ程時が経っただろうか……不意に溜息が聞こえたかと思うと、誰かの手が肩に乗っかった。


「全く……貴様に窘められるとは、儂も老いたものよ。……すまんな……藤吉郎」


「……っ! 柴田殿っ! 」


「権六で良い。共に、三法師様を御支えしよう。……さてと、三介様と三七様に伝えねばならぬな」


『………………ふっ……ふふっ……はっはっはっはっはっはっ!!! 』


 そう言うと、権六殿は頬をかきながら部屋を出て行かれた。あまりにも分かりやすい照れ隠しに、残された三名は自然と笑いがこぼれる。




 この時、真の意味で大老達が、一致団結する事が出来たのかも知れんな。まだまだ、やるべき事は数え切れぬ程ある。先は長いがきっとわし等ならば大丈夫だ。


 三法師様を支える……その想いは、決して消えぬ。

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