京都馬揃え

 

 天正九年二月 京




 遂に、馬揃当日を迎えた。


 今、京は前代未聞の行事だと日本中から人が集まり、もの凄い盛り上がりを見せている。


 聞いた話によると、北は伊達家から南は大友家まで色々な大名から祝いの使者が訪れているそうだ。まぁ、純粋に祝ってくれている所なんて、殆ど無いことは爺さんも分かっているだろうし、なんならこれを機に力の差を見せつけてやるぐらいのつもりなんだろう。


 俺だって、この日を凄く楽しみにしていた。この時代、全然娯楽ないし地味な催しばっかりだ。そもそも、城から一歩も出ることを許されていない。だから、こんな派手なイベント楽しみにしていたに決まっているだろう。そう、楽しみに……して、いたんだ……よ。


「若様、動かないでくださいませ」


「そうですよ殿、今が仕上げなのですから」


「……ん」


 なんで、俺は化粧なんかさせられているのだろうか。今日だって、本当は特等席でゆっくり観賞する予定だったんだ。それなのに、気づいたら松や侍女達に捕まり、連れ去られ、めっちゃ高そうな着物に着替えさせられ、挙句の果てには化粧までされる始末。気分は、完全に着せ替え人形である。






 あぁ、なんで女の子っていつの時代もこういうの好きなんだろうな。いやまぁ、こんな楽しそうな松を見るのは初めてだから、その境遇を知っている分好きにさせてあげたくなるけどさ。


 それでも、これは許容出来ない。


(全部、アイツのせいだ……っ! )


 俺は、心の中で呪詛を吐きながら、あの日のことを思い浮かべた。






 ***






 事の発端は、爺さんと戯れている時に届いた文だった。前に北条と秀吉に文を送ったんだけど、その返事が返ってきたんだ。北条からは、今後も織田家への忠義を〜とか、俺から文を貰えて嬉しい一度お会いしたいとか書いてあった。どうやら、狙い通り好感触を得られたようだ。


 だが、問題は秀吉だった。アイツも、俺から文を貰えて感激だ、家宝にする! など、なんとまぁ歯の浮くようなお世辞を何行にも渡って書かれていたのだが、最後の方に【馬揃でのご雄姿を拝見出来ず申し訳ない】とか、意味の分からないことを書いていたのだ。


 どうやら、秀吉の奴は俺が馬揃に参加すると勘違いしてらしい。当然、俺は青ざめながら文を破り捨てようとする。嫌な予感しかしなかったからだ。


 だがしかし、そこは後ろから覗き見ていた爺さんがインターセプト。先程まで、孫との戯れを邪魔されて不機嫌になっていたとは思えないくらい良い笑顔を浮かべており、そのまま文を片手に部屋を出ていってしまった。






「………………っ!? 」


 その後、正気に戻った俺は慌てて爺さんを追いかけるも、時すでに遅し。俺の馬揃参加は決定事項となっており、その挙げ句女装が決まっていた。


 俺は、そりゃあもう反対した。女装なんか、絶対にしたくない。ギャン泣きだ。駄々を捏ねながら畳の上で暴れまくった。手足をぶんぶん振り回した。恥なんか気にしない。そもそも、ここで引いたらそれ以上の恥をかくだけ。俺は、不退転の決意を固めていた。


 しかし、そんな俺を大人達は、「あらあらまぁまぁ」と微笑ましげに見てくるのだ。若様も、子供らしい所があったのですねと。


 それを言われてしまうと、俺は何も言えなくなる。事実、俺は子供らしい立ち振る舞いをしない。精神が成熟しているのだから仕方ない。出来ないものは出来ないのだから。


 ……ただ、それでも思うことはある。両親には、普通の子供を育てさせてあげたかったと。俺が、前世の記憶なんて覚えていなければ、こんなことにはならなかったのだと。






 故に、俺は諦めて腹を括った。最後の意地で、天女の羽衣を取り除けただけマシである。


 まぁ、直前まで衣装が間に合わない可能性に縋ってみたが、そこは今井宗久とかいう堺の商人が底力を見せた。爺さん達の前で、命に代えても間に合わせてみせると豪語し、なんと本当に期日ギリギリで間に合わせてしまったのだ。


 これには、普段厳しい爺さんも上機嫌に宗久を褒め称え、取り引き強化を約束。宗久は、その覚書を受け取った状態で意識を失った。あまりの疲労に、緊張の糸が切れた途端限界に達したのだ。


 俺、人間が真っ白に燃え尽きる所を初めて見たよ。流石に、ここまでしてくれたのなら無下には出来ない。無論、秀吉のことは絶対許さないけどな。絶許だ、絶許。






 ***






 そして、今に至る訳だ。


 目の前に置かれた、煌びやかな衣装と輿に化粧道具。そして、透き通るような天女の羽衣。それを見た瞬間、俺は悟ったね。あぁ、これは逃げなくてはと。


「厠へ――」


「逃がしませぬ」


 瞬時に脱走を図るも、所詮この身は赤子程度の身体能力しかない。秒で捕まった俺は、そのまま化粧部屋へと連行された。


「あぁ、殿。麗しゅうございます……っ」


 化粧が進むにつれ、どんどん松の目付きが怖くなっていくんだが、どうにかこうにか気合いと根性で耐え抜いた。そして、当然のように部屋に居る、お市お姉様とお茶姉妹である。逃げ道など無い。


「終わり、ました……。まさに、至高の出来栄え。満足で、ございます……っ」


「……ど、どうか……の? 」


『カフッ!!? 』


 吐血。一同、膝から崩れ落ちる。


「――なんと素晴らしい。まさに、天女の如き美しさとはこのこと」


「まん……ぞく――っ」


「あぁ、殿。あぁ、……ぁあっ!! 」


 やっと終わったかと思ったら、化粧を担当した女中が力を使い果たし、お市お姉様は鼻血を垂らしながら膝をつき、松が恍惚とした表情を浮かべながら失神してしまった。正しく、阿鼻叫喚の騒ぎである。






 その中でも、お市お姉様が最初に正気に戻る。


「あぁ、三法師よ! なんと、愛らしいのじゃ〜!! 」


「ピッ!? 」


 訂正、正直ではない。


 お市お姉様は、完全に目がイッている状態で、両手を広げながら凄まじい勢いで迫ってきた。これには、流石の俺も恐怖のあまり身体が強ばってしまう。これは、酷い。戦国一の美女の名が泣いている。


 そんな、お市お姉様を見事に受け止めて見せたのは、先程まで失神していた松であった。主の窮地に、本当の意味で正気を取り戻していた。


「お待ちくださいませ、お市様っ! 今、抱きつかれては衣装が崩れまする! 」


「貴様、妾に我慢せいと申すのか! 斯様な愛らしいモノを前に触れられぬなど、なんという仕打ちかっ! 」


「堪えてくださいませ、お市様っ! 我等とて、必死に耐え忍んでおるのです! 」


「ええい、離せ! 」


「なりませぬ、なりませぬっ!! 」


「……」


 色々突っ込みたいところだが、まぁ我慢しよう。雉も鳴かねば撃たれないのだ。






 しかし、脅威は背後から迫っていた。白い手が脇の下へ伸びると、そのまま後ろから抱きかかえられる。誰がやったかなど、言われずとも察することが出来よう。


「わっはははははっ!! よう、似合っとるではないか、三法師よ! 」


「わわっ!? 」


「天女様みたいですー」


「きれい……」


 鳴かなくても捕らえられた件。犯人は、お茶三姉妹であった。


 ガキンチョ達には、大人の都合など知ったことではないのだろう。袖は引っ張るわ、頬を引っ張るわ、撫でるわとやりたい放題。これには、侍女達も大慌てで引き剥がしにかかるが、お茶達は余計ムキになって状況が悪化していくだけ。


「何するんじゃ、貴様等ぁ! 良いのか! 伯父上に言いつけるぞ! 」


「お待ちくださいませ、茶々様っ! どうか、どうか平にご容赦を! 」


「やっちゃえ、姉さまー」


「きれい……」


 まさに、絵に書いたような傍若無人な立ち振る舞いに、侍女達が可哀想になってくる。これでクビになったら、流石にあんまりだ。






 だが、問題ない。この場には、お茶三姉妹を諌める適役がいる。


「騒々しいわ、いい加減にせよっ! 妾とて、耐えておるのじゃ! お主らも我慢せい! 」


『お、お母様……』


「よ・い・な・!! 」


『…………は、はぃ。ごめんなさいっ』


 まさに、一喝。凛とした表情を浮かべたお市お姉様が、ビシッとお茶達を諌めてくれたおかげで、なんとかこの場を収めることが出来た。正直、理由が完全に私的なものだった気がするんだが言わぬが花だろう。肩で息をしている松のことは、ソッと目を逸らすことにした。


「……ふぅ。悪かったな、三法師。騒がしくした」


「いぇ、大丈夫ですよ」


(正直、やる前から疲労困憊なんですけどね! )


 心の叫び。しかし、それをおくびにも出さず、にこやかに微笑む。とりあえず、後は勢いで乗り切るだけだと。頼むから気付かないでくれと。


 しかし、そんな願いは儚く散った。


「では、最後にこの羽衣を着るだけじゃの。きっと、良く似合うぞ? 」


「」


 人の夢と書いて【儚い】


 神は死んだ。そう、思った。






 ***






 あれから数時間後、遂に馬揃が始まった。


 俺は、親父の後ろをついて行く感じだから、正直前の方は全く見えないんだけど、大地を震わすような凄まじい歓声がここまで聞こえてくる。どうやら、随分盛り上がっているようだ。


「三法師よ、そんな緊張するでない。まだまだ、我らの出番は後だ。今は、この空気を楽しむがよい」


「……父上、帰っては駄目ですか? 」


「駄目だ」


 駄目らしい。俺なんて、所詮オマケだし良いじゃないか。……まぁ、この姿を爺さんに見せに行ったら大興奮してたし、中々様になってるみたいだけどさ。


 正直、帰りたくて堪らない。






 親父と談笑していると、俺達の一つ前の村井隊が出発した。はぁ、もう直ぐじゃないか。気分は、断頭台に上がる直前の囚人である。


「よしっ、行くぞ三法師! 皆の者、この馬揃に参加した事は、末代までその名誉を語り継がれようぞ! さぁ、誇りを胸に、いざ……進めぇえええっ!! 」


『おおおおおぉぉぉおーっ!!!!』


(俺は置物。俺は置物。俺は置物。俺は置物。俺は置物。俺は置物。俺は置物。俺は置物)


 無我の境地。ただただ、輿に揺られていく。


「おおっ! あれは、左近衛中将様じゃ! なんと、凛々しいのじゃろうか! 」


「部隊の者達も、一挙一動が完璧に揃っている! 凄まじい練度。なんと、強そうなのじゃ! 流石は、右府様の後継者じゃ! 」


「あ、あの童子は誰だっ!? なんと美しい」


「なんでも、左近衛中将様の御嫡男であらせられる三法師様だそうだ。まさに、神童に相応しき装いよ! 」


「ありがたや〜ありがたや〜」


 ……あぁ、すっごい視線感じる。客寄せパンダってこんな気分だったんだなぁ。ごめんね、上野にいるパンダ達。今度からは、ちゃんと慈愛を込めて見学するから。








 これが、後に生まれた三法師女性説のルーツである。




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