第2話 逃走

 パニックになった観客たちは劇場の出口へと殺到した。

 だが、出入口は警察によって完全に封鎖されており、どこにも逃げ場はない。

 行き場を失った観客たちは、出入り口付近で警官と激しく揉み合い、怒号が飛び交う。

 警官たちには容赦というものが無く、抵抗する者も無抵抗の者も、等しく警棒で頭や身体を滅多打ちにされている。

 そんな混乱状態の中にあってもなお、複数の観客は座席にだらんと腰掛けたまま、口の端からよだれを滴らせ放心状態で宙を見上げていた。


「あそこだ! やつを捕まえろ!」


 インカムをつけた一人の警官が、天井の照明にぶら下がっている少女を指差した。

 カオスとなった劇場内の様子を天井から呆然と眺めていた少女は、自分目掛けて四方からワラワラと警官たちが駆け寄ってくるのを目の当たりにして我に返り、慌てて円形ステージに着地した。


「ユイ、こっち!」


 突然円形ステージの真ん中に、人一人潜り込めるほどの小さな穴が開き、黒縁メガネをかけた童顔の小柄な少女が顔を覗かせた。


「ナ、ナギ!?」

「早くっ!」


 その言葉に、少女は躊躇ちゅうちょなく小さな穴の中に身を踊らせる。

 数人の警官たちがステージの上に駆け上がってきた時には、穴の入り口はピッタリと塞がれてしまい、手も足も出せない状態になっていた。

 警官たちは手足や警棒で、無理やり入り口をこじ開けようと試みるが、びくともしない。


「くそっ! 先回りして劇場の出口を固めろっ!」


 

 先ほどまでステージで踊っていた少女、荒屋敷あらやしきユイと、そのユイの逃走を手引きした眼鏡の少女、七頭しちとうナギは、四つん這いになって人一人がやっと通れるような狭く薄暗い通路(?)を進んでいた。


「ステージの下にこんな隠し通路みたいなのがあるなんて知らなかった」

「まあ、私もつい最近知ったんだけどね」

「これ、どこまで続いてんの?」


 そう言われたナギは、背後のユイの方へゆっくり顔を向けると、ニヤリと笑う。


「もう、着いたよ」


 ナギは出口付近の格子戸を両足で思いっきり蹴り飛ばして、外に放り出した。

 ナギとユイが這い出てきた先は、ビルとビルの間の狭い路地である。

 外は深夜で、街灯も街明かりもビルの死角となっているこの路地裏にまで届かないため、ユイは自分たちがいつの間にか出口にたどり着いたことに気づかなかったのだ。

 路地の先には、いわくありげな年代物の軽自動車が一台駐車している。


「こっち、こっち!」


 ナギは、その怪しげな軽自動車のところまで駆け寄り、何やら運転席に向かって話し込むと、ユイを手招きする。


「えっ! ちょ、ちょっと待ってよ、ナギ!」


 事情がよく飲み込めず、尻込みするユイ。

 だがナギはそれに構わず、ユイの手をグイグイ引っ張りながら軽自動車の所まで連行し、有無を言わせず強引に後部座席に押し込んでしまう。


「二人とも乗ったな」


 男の声とともに軽自動車が急発進して、ユイはレオタード姿のままあられもない格好でひっくり返った。



 車は大通りを避け、荒っぽい運転で狭い通りを右折、左折をランダムに繰り返しながら進む。


「くそっ、ここも検問してやがる」


 運転席の髭面にサングラスの男が舌打ちする。

 その姿は、どう見ても堅気には見えない。


「ナギ、こいつ何者? うちのスタッフの中でも見たことないんだけど」

「おいおい、ポリ公に捕まりそうになってたところを助け出してやった恩人をつかまえて『こいつ』呼ばわりとは、随分だな」


 そう言って男はサングラスを下にずらし、ルームミラー越しに細く鋭い目を覗かせる。 


「アンタ、時々うちに来てた客ね」

「おう、よく覚えてんな」

「他の客と違って、アンタかぶりつきで私の身体ばっかし舐め回すように見てた変態だったからよく覚えてる」

「俺に言わせりゃ、目の前で踊ってるダンサーに見向きもしない連中のほうがよっぽど変態だがな」


 そんな減らず口を叩く男との会話に、ナギが口を挟む。


「緊急事態だったし、紹介遅れちゃってごめんねユイ。この人は天堂てんどうじんさん。見るからに怪しく見えるけど、私らの『協力者』よ」

「『協力者』!?」

「見るからに怪しいってのは余計だろ。まあ、こうなってる事情はおいおい説明するとして、今は逃げるのに専念したほうが良さそうだな」


 ユイたちの車の後ろから、明らかに警察車両と思われる黒いセダンがピッタリとつけてきている。

 天堂仁はアクセルを大きく踏み込んで、車を急加速させた。


「危ねえからとりあえずシートベルトしとけ!」

「それ、アクセル踏む前に言ってよ!」


 後部座席で、ユイは再びあられもない格好になってひっくり返っていた。

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