たのしい いせかい せいかつ②
●
「日本人の召喚被害者ってマジで多いんだな。今年三人目だっけ? 」
店の裏手に止めたバンの後部座席を開けながら、男が言った。
「ここ三十年くらいのことらしいわよ」
「へー」
「召喚被害者は適応能力を持っていないから、生き残る確率は低いのよね。それが、観測するだけで一年あたり数え切れないくらい。実際は何百万人が死んでいるのかと思うと、ぞっとするわ」
「あんた、実は相当運が良かったんだぜ? 」
「……そんなことない。苦労が水の泡だ」
おれは、ようやくそう口にできた。
(くそっ、くそっ、くそっ! 適当に放り込みやがって! )
変な体勢で肺が潰れて息が苦しい。体をよじると、こんどは後ろ手に縛られた腕が下敷きになって痛んだ。
運転席には女のほうが座る。助手席におさまった大男が、「ごめんごめん」と言って、長い腕を伸ばしておれの縄を解いた。それを見咎めた女が、男の肩をパチンと叩く。
「ちょっと、
「大丈夫だろ~? もう諦めてるよ、この人。なあ? 」
その通りだった。おれはいつだって、流されて生きてきた。すっかり立ち向かう気は無くしている。
「そう見える? 」まあしかし、媚びるつもりはないのだが。
車が走り出す。あたりは工業地帯で、街灯が少なくて暗い。まさかこんなところに地下クラブがあるなんて、誰も思わないという場所。実際、あの店は隠されていた。そういう店だった。
「……あんたもニホンジンなわけ? 」
ミラー越しに尋ねた。セイコーと呼ばれていた大男。
若いとは思っていたが、女と言葉を交わすようすはどちらかというと幼い。派手派手しい赤い髪や、鍛えられた体とは少しアンバランスだった。
「たぶん、お兄さんとは違う世界の『日本』だけど」と前置きしたセイコーは、ぺらぺらと故郷の住所と生年月日を言う。
関西にある地方都市。おれは関東育ちだから馴染みがない地名だったが、耳慣れた漢字の響きが懐かしかった。
「お兄さん何歳? 」
「……十九」
「へー、じゃ、同い年だ」
呑気な声。おれとこいつは同じではない。
おれは大学生。美大に受かったばかりだった。
ようやく真っ当になった気がしていたころ、この世界に連れて来られて十カ月。ため息がこぼれた。
車は、どこか知らない街に入ったようだった。先ほどまで雨が降りそうな曇天だったのに、いまは晴れて見える。
「おれ、髪赤いだろ? 」
セイコーは、自分の前髪をつまんで見せながら言った。
「これさ、あんたと同じ、『適合性過敏症』ってやつ。つまりね、異世界に転移すると、その世界にいる生物に擬態しようとして、髪や肌や目だとかの体の色が変わんのね。おれの場合は髪の毛」
「おれは別に……そういうのは」
「じゃーその髪の色って生まれつき? いいじゃん。かっこいい」
バックミラー越しに、セイコーはニコッとする。
なんの含みも無い、誰にでも撫でられにいっちまう犬みたいな笑顔だ。
窓ガラスが冷たくて気持ちがいい。耳鳴りがする気がする。
なんだか眠くなってきたが、どうにでもなーれって気分だった。
「……おれって、このあと
「そんなことしないわよ。言ったでしょ、保護するって」
「別に殺されたって構わないけど。おれは生まれつき適応できてない。こんな世界、価値も見いだせないし」
「投げやりね。そんなに厭世的にならなくても、別に悪いようにはしないわよ」
「どうだか」
「じゃあ今後の参考までに訊くけど、あなたの思う価値ってなに? 」
少し考えた。
自分でも意外なことに、少しだけしか考えなかった。
「……愛すること?」
「ロマンチストね」
「ロマンなんて欠片もない」
「ないないづくし。それなら、あなたには何がある? いいえ、あったのかしら」
「美貌」
「ずいぶんお役立ちだったものね」
「あいつらを操る能力は……ここに来るとき、神様とやらにもらったんだ」
女がバックミラー越しに睨んできた。
「……その話、もう少しくわしく聞かせてくれる? 」
おれは手のひらをひらひら振って、言葉を濁す。
「眠いんだ。寝かせてくれ」
いつのまにか車は星屑の中を走っていた。極彩色の闇をくぐり、虹色の光が、螺旋状にグルグル回っている。ちょうど遺伝子の配列みたいに。
おれはそれを、シートの座席に寝そべりながら、下から見上げていた。
「……全部夢のなのかな」
ひとりごとのつもりで言ったことを汲んだのか、返事は無い。
「神さま――――かみさまは……。おれを……おれに……ああ、何を言ってたっけ……そう……」
『せかいのほうがふさわしくない』
そう言ったんだ。
おもむろに「あ゛あ゛ー」と濁った声を出す。
なんだかもう、『どうしようもない』という気持ちで、おれの中身はいっぱいだった。
流れに流れて、その場その場で切り抜けてきたけれど、ついにもう駄目になってしまったんだっていう、そんなきぶんだった。
もうぐちゃぐちゃだ。
そもそも、おれに流れるDNAは反乱を起こしている。
おれは欠陥品だ。遺伝子配列の共通点があるはずの同族の顔は、母親の顔ですら見分けがつかず、どいつもこいつもモザイクのかかった肌色の肉でしかない。
だから、体に模様がある彼らが好きだった。
鱗のあるつるつるの体。冷たく濡れて輝く、なめらかな肢体。左右対称のつぶらな瞳。誰一人として、同じ姿をしていない。実に魅力的で、興奮する。
どれだけ持ち上げられて愛されようが、同族が同族であるというだけで、おれは何も返せない。
おれは彼らとならば、奴隷のような恋ができる。這いつくばって、心から尽くすことができた。
限りなく無垢で剥き出しの愛を、彼らは戸惑いながらもその形のまま受け取ってくれ、時に拒絶され、時に受け入れてもらえる。
愛情を交換するということは、とても気持ちがいいのだと、彼らが教えてくれたのだ。
虹色のグルグルが、脳みそを掻き回す。
おれは、『ふさわしくない』。
「あいつのこと、置いてきちゃった……」
「生き物は連れていけないの。ごめんなさい」
「あいつ、幸せになれるかなぁ」
女は何か言ったけれど、聞こえなかった。けれどどうしてか、安心することを言われた気がする。
なんだかすごく眠たかった。こうして静かに安心しきったままで、凍えて死ねたらいいのに。
できるだけ美しいまま、哀れに死ねたらと、そう考える。
「かわいそうに」あの『神様』は言った。低くも高くもない、ただ穏やかな声色で。
「どこで誰と言葉を交わそうと、君ははぐれの余所者だ。いびつな心が、生まれてくる体を間違えたんだね。世界のほうが君にふさわしくないんだ」
いびつではぐれ。この体を表わすのに、とても的確な言葉選びだと思った。
「かわいそうに。望みを叶える『種』を、君に植えてあげよう」
『種』というのは、蓋を開けてみれば、ゲームでいう
そのチートの内容が、『同族に愛される』という力なのだから、あまりに悪趣味な皮肉である。
あいつ、置いてきてよかったのかもしれないな。おれは彼と卵を作れないし、寿命だって、生息環境だって同じじゃあ無い。
おれはこの体である限り、伴侶を生物として完全な幸福に包むことができないのだ。
ああ、人間になんて、生まれて来るんじゃあなかった。
卵から産まれて、ひんやりした暗い場所で、知能も自我も薄くていい。名前のない本能だけの体で、彼の卵を産めたなら。
そういう世界が、おれにもあったなら、救われるのに。
「きっと大丈夫だよ。ここなら、どんなあなたも受け入れてもらえるから」
……誰かが言った。
だったらいいなと、うっすらとした光の中で、都合よく思っていた。
●
「自白剤、きいてるみたいだな」
「……そうね。あとは、彼の言葉と頭の中との矛盾を探すだけ。それはあっちでやってくれるでしょう。これで連続召喚被害者の実行犯に手が届けばいいのだけれど」
女は言いながらドアを開け、近づいてきた職員にキーを渡した。
車はいつしか、地下の駐車場のような場所に辿り着いていた。
ひんやりとしたコンクリートの地下空間が、男の知る日本のそれと大きく違うのは、駐車されているのは車だけはなく、巨大ロボットやSFに出てきそうなロマン改造車、等身大フィギュアみたいな一輪車バイクだったりすることだ。
そうしたものを横目に、連れだって歩き、エレベーターに乗り込む。
扉が閉まるやいなや、彼女はぱちぱちと耳の飾りを取り、大ぶりのネックレスも忌々しいとばかりに取り去ると、クラッチバックに収めてぐるぐる腕を回した。
「……疲れたわ」
「マジ? ノリノリだったじゃん」
「準備に三晩もかかるような任務はこりごりよ。気合いが入ってたのは、今日でぜったい終わらせたかったから」
「そりゃそうだ」
「早く顔のコレ落としたい」
「腹も減ったな~」
「そうね」
「あそこ、クラッカーとかしか無いんだもんよ。20キロも先にあるハンバーガー屋もちっちゃいし」
「店が? 品が? 」
「両方! 足らねえよあんなんじゃ」
「はぁ。わたしは食事より寝たいわ……」
ポーン。
間抜けな音とともに扉が開く。
高い天井とガラス張りの壁から、陽光が差し込む。二人はそろって、ギュッと目を細めた。
ぐしぐしと目元を指先で拭って、女が吠える。
「決めた! 今日は帰って十二時寝る! 」
「ええ!? 今夜の先生たちとのご飯は!? 」
「だってコンディション最悪だもの! 」
「エリカ! 」
名前を呼ばれた女は、長い黒髪をなびかせて振り返った。
「なに? 」
「あ、えーと……似合ってた。け、けど、いつものほうが、その……」
「そりゃそうよ。わたし、似合うものしか着ないもの」
エリカはニヤッとした。
「慣れないことして風邪ひくんじゃないわよ、
「またあしらわれた……」
片手を振って正面玄関へ向かうまばゆい背中に、
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