第八十三層目 大いなる感情


 赤竜は遥か遠くでありながらも、その獲物達の姿を捉えていた。神話の中に生きる『概念』にとって、距離など無いに等しいのだ。


「フシュルルル」


 毒と炎の混じる吐息を漏らしながら、赤竜は歩みを進める。虎の傍らにいる二つの美味そうな、柔らかな女子供の肉を求めて。


『こちら、エアファング1。これより、発射態勢に移る』


 その時、一基の戦闘機が赤竜の頭上を通過した。それに気がついていたが、赤竜は別段相手にすることもなかった。蠅の様に飛び回る小さきモノを相手にするよりも重要な事が、目の前にある。数千年ぶりの肉。しかも、あの時に食うと約束していた、美しき黒髪の娘と何処か重なる感覚があった。

 必死で走る早織と恵へと歩み寄る赤竜。しかし、突如一つの首に激痛が走る。


『荷重魔力ミサイル着弾。効果あり』


 甲高い音と共に闇夜に炸裂する光。それと同時に、辺り一面に凄まじい魔力の残滓が巻き散らかされる。

 荷重魔力ミサイル。これは、ダンジョン現界より三十年後。いまより二十年ほど前に開発された、禁忌の兵器である。

 魔力というものがこの世に現れ、人々はその新たなエネルギーに沸き立った。空気中の何処にでも存在し、通常濃度であれば健康被害のない夢の様なエネルギー。その用途は様々な形で開発されることとなった。

 工業技術や医療。生物に効果がある事から、バイオテクノロジーに至るまであらゆる分野での発展があった。

 しかし、そんな中でやはり最も活発だったのが兵器開発の分野であった。

 結果だけで言えば成功とも言えるかもしれない。核などよりもエネルギー効率が良く、それでいて局所的に破壊が可能な兵器の開発が出来たのだから。

 だが、この魔力を用いた破壊兵器は、直ぐに世界中で生産、実験、使用を禁止されることとなった。それは、現状では除去が不可能な程の魔力汚染が発生してしまうからだ。


 荷重魔力ミサイルはその最たるものである。 

 魔粒子に対し特殊な空間で圧力をかけることにより、魔粒子内に存在するオルクミンという質が隣にある魔粒子と結合を起こし、一つの魔粒子中に二つのオルクミンを有する様になる。そうなった時、オルクミンを失った魔粒子はその形を保とうと他の魔粒子からオルクミンを取り込もうとする。

 しかし、既に二つのオルクミンを保有する魔粒子からは力のバランス上で奪う事が出来ず、一つのオルクミンを有する魔粒子からオルクミンを奪い取る。すると今度は、またオルクミンを持たない魔粒子が発生してしまうのだ。

 それと同時に、二つのオルクミンを持つ魔粒子は、更に他の魔粒子からオルクミンを奪い取ろうと働きかけ始める。二つのオルクミンを持つ『荷重魔粒子』はさらなる結合をしようとする性質を持つようになるのだ。

 そうして周囲からオルクミンを雪だるま式に奪い取った『荷重魔粒子』は、最後に飽和状態を迎えて高エネルギー反応を見せ、放出し爆発を起こす。残された大量の魔粒子の残骸を周囲に撒き散らかしながら。


 その時に発生するエネルギーはTNT換算で3キロトン。大きさと生産コストに対してかなりの効果を持つ。だが、一番恐ろしいのは爆発の強さではなく、魔力汚染にある。

 魔力汚染とは、高濃度の魔力が一定の空間に集まった時に発生する災害だ。魔粒子が物質の構造に侵入する性質を持っているので、あまりにも魔粒子の量が多いと、生物の体や、魔粒子を透過する物質は魔粒子を取り込んで性質を変化させてしまう。

 過去には魔力災害が発生した牧場では、大量のミノタウロスが発生するという事件があった。

 魔力とは非常に便利で安価な反面、危険性もはらんでいるのだ。近年では、魔力を減らす世界に向けた動きなども見られ始めている。が、やはり人間は捨てきれない。そこに金となるものが存在していれば。


 そういった経緯もあって、本来であれば荷重魔力ミサイルの使用は国際的に禁止されている。先日、自衛隊が使用し問題にあがったDMシリーズも、安全に配慮した構造と言われていたのに、実際は魔力通信障害が発生したこともあり、バッシングの対象になっていた。

 しかし、今はそんなことは言ってはいられない。既に自衛隊や民間の軍事企業。一般市民に至るまで、大きな被害が出てしまっている。いまここで赤竜を止められなければ、さらなる被害が出てしまう。そうなれば、魔力災害云々に文句を言う口と機会さえなくなる事だろう。


 炸裂したミサイルは局所的な爆発を何度も繰り返す。一度反応を始めた魔粒子が、お互いを滅ぼし去るまで爆発が続くのだ。

 いくら魔力的にも物理的にも強い赤竜でも、この爆発には驚いた。ほのの僅かだけ。

 確かに、威力は高い。吹き飛んだ首もある。だが、その程度なのだ。その程度では、黒き虎程にも追い詰めることなどできはしない。首はすぐさま回復をし、戦闘機へと向けて口を開く。


 赤竜は腐食の性質を持つ炎を戦闘機に吐き出す。必死に逃れようと操縦桿を握るパイロットだたが、南無三。ついには炎がエンジンに引火し、もう一基保持していた荷重魔力ミサイルと共に大爆発を起こして花火となる。


「化け物めぇッ......!!」


 作戦総指揮が行われている国防庁の司令部。

 大型のモニターを見つめながら、オペレーター達は同胞の死を悲しみ、握る拳から血を滴らせる。


「これも、だめか......万事休す、だな」


 国防大臣である相良迅は、まさに虎の子を失った様なものだ。荷重魔力ミサイルの使用は、一定の非難は避けられないが、今回のケースでは使用せざるを得なかったと同情的な意見があると予想されていた。しかし、それは自分たちが戦いに勝った場合によるものだ。

 もしも、負けたば。敗者の汚名と同時に、非人道的な作戦を指揮したと、恐らく良くて軍事裁判にて事実上無期の懲役。もしかすれば、死刑もあり得る。

 そもそも保有を禁止されている荷重魔力ミサイルを使用できたのも、様々な方面へ裏から働きかけ、国防の最終手段とすべく考えのものだった。

 裏でこそこそとしている者は往々にして、こういう時の尻尾切りのタイミングと技術だけは上手いものだ。既に状況は悪いと、相良防衛大臣を弾劾しようと動く勢力が、水面下で暗躍していた。


 それが解っているが故に、迅は覚悟を決めて立ち上がる。


「......総員、直ちにここから避難せよ」

「な、なにをおっしゃっているのです、大臣ッ!」

「本時刻をもって、この司令部を破棄する。最後の手段を使う時がきた」


 最後の手段。職員達も、その存在は勤務の中で聞かされてきたし、それが意味することは知っている。


「死ぬ、御積りなのですか......?」


 自爆。国防を担うこの施設には、大量の弾薬などが貯蔵されている。それらを用いて、国家の機密を葬り去る最終手段。本来は『人』に対して使うモノを、ぶつけようというのだ。


「私の指揮で多くの若い命が散った。これくらいはさせてもらわんと、あの世で暮らす英霊たちに申し訳がたたん」

「大臣......」

「さぁ、直ぐに皆は逃げるんだ。国防庁を犠牲に、奴を止める」


 もしも、他国が武力を持って侵略をしてきたとき。その機密や兵器を奪取されないように、文字通り敷地全てをひとつの爆弾と化すシステム。

 勿論、そのような事をすれば、辺り一帯は焦土と化すことになる。

 だが、それでも止めなければならない。荷重魔力ミサイルという超兵器をもってしても対抗が出来なかったのだ。核を持たない日本に、もうこれ以上の兵器は存在しない。


 だが、そんな迅の覚悟など知らないと、赤竜は進路を変え始める。先ほどまでまっすぐに霞が関へと向かってきていたのに。


「なっ! 何処に行く気だッ!!」


 モニターに向かって叫ぶ迅。知らなくて当然である。誰も赤竜が二人の少女を狙っているなど、思い至ることなどないのだから。


 はじめはかなりあった赤竜と少女たちの距離も、もう目と鼻の先まで来ていた。

 赤竜は逃げる二人の少女の背を、まるで楽しい見世物でも眺める様に、じわじわと距離を詰めていく。


「なんでこっちに来るのよッ!!」

「はぁ、はぁッ! も、もうダメ......!!」


 『覚醒』を持ち、普段から体力を鍛えている恵とは違い、早織はただの少女......否、長い間病床にいたことから、人一倍体力がない。

 もうとっくの昔に足の力など無くなっていた。


「げほっ、ゲホッ......恵、ちゃん、逃げて......兄さんと、一緒に」

「馬鹿ッ! 置いていけるわけないでしょッ!! いいから立ちなさいッ!!」


 ガクガクと震える早織の膝。どれだけ気合を込めても、出来ない事は出来ない。気力ではどうにもならないレベルの疲労により、早織の体は悲鳴を上げていた。


「はぁ、はぁッ!! 戦うしか、無いッ!!」


 恵は覚悟を決める。

 自分の力などでは到底赤竜には敵わないだろう。でも、死に場所がもしあるとすれば、それはここで、この兄妹を守る事だ。

 かつて憧れた小さく大きな背中。

 その持ち主を背に、恵は赤竜に杖を構える。


「か、かかってきなさいッ! あたしが退治してやるんだからッ!!」


 震える全身。逃げ出せるのであれば、今すぐにでも走り出したい。

 だが、それは出来ない。

 自分の憧れた『ヒーロー』は、強敵を前に退くことなどしないのだからッ!!


「あぁ、誰か......誰か助けてください......」


 早織は己の無力さを呪いながら、動かない自分の足を叩く。動け。少しでも、動けと。

 しかし、それで動くのであれば、日々の鍛錬など必要が無くなる。ここぞという時に動けるようにするのが鍛錬であり、鍛えるという事だから。


「......」


 魔力も体力も尽き、もはや自分の四肢では立っていることもできなくなっていた黒き虎は、その朧げな瞳で目の前に立つ小さな背を見つめる。


「け......い......」


 ぽつりと溢した名前。

 幾度も、自分の窮地を救ってくれたその背中に、虎は贖罪と感謝の涙を流す。


 すまなかった。守ってやれなくて。

 最後まで、共にいてくれてありがとう、と。



 それは、一つの『祈り』でもあった。

 最初のヒトが、主より授かったもう一人のヒトへと抱いた、大きな始まりの感情。


 その感情の前では、損得や思想、性別や年齢さえも超越することが出来る。

 例え苦難があろうとも、それを前にヒトは乗り越えていける。

 与え、与えられ。お互いの容を作り上げる為の、ヒトにとっての大事な存在。

 祈りをささげる者はそれを乞い、求める。


 ヒトはそれを、『愛』と呼んだ。


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