第七十六層目 黄金の軌跡


「グルルルルル......」


 ヴェールの放った『天使』の力。祈りの力を集め、魔なるモノへの対抗手段とするその閃光は、人類にとっての脅威であったグランド・シザースの持つ数十mという分厚い甲殻さえも貫く、まさに必殺の一撃である。

 しかし、その『必ず殺す技』を、文字通り黒き虎は喰らってしまった。


「どうなっているんですかね。神気は魔力を持つ者であれば、効果が無いなどという事は考え辛いのですが」


 ここに来てヴェールに初めて本当の意味での焦りが生まれる。

 神気とは祈りの力であり、謂わば信仰の強さが生み出す『奇跡』の力だ。教会に伝わる伝承では、ある者は毒息を吐く竜に困った村人の信仰を糧に邪竜退治をしたり、またある者はどれほどの怪力を持つ者であっても動かすことの出来ない『山』の様な存在へと変わった。

 ダンジョンが現界によって異能は生まれたとされるのは、いまでは通説であり常識だ。しかし、この世には古来より、説明をしようとしても出来ない力が存在する。

 それこそが『奇跡』であり、人々の願いの力なのだ。


 しかし、その力が通用しないという事は、ほんの僅かばかりの......そう、隙間風が入る程度の疑心を、信仰への翳りを生んでしまう。

 神の意志を代行する者『天使』には、揺るぎのない信仰心が必要だ。だが、誰よりもその力を絶対と信じるが故に、退けられた時の衝撃の大きさも誰よりも大きい。


「食べられてしまうというのであれば、直接打ち込むだけです」


 限界まで低くした姿勢から、両足に力を込めて跳ねるヴェール。地面を、壁を、瓦礫を。縦横無尽に跳ねまわり、黒き虎を翻弄するように動き回る。

 それに対し、黒き虎は動けない。否、


 動かない。


「ッ!?」


 ヴェールは己の背筋を撫ぜる『それ』に覚えがあった。

 『天使』へと至る修行の時代。肉体的、精神的に極限まで追い詰められた状態から始まる修行。ひたすらに、ありとあらゆる苦痛を味わわされ、それでも尚終わる事のない筆舌しがたい日々。

 その中で何度も顔を覗かせた『死』の気配。


 ヴェールが光を避けられたのは本当に偶然だった。

 あまりにも......そう、あまりにも濃厚過ぎた死の気配に体が勝手に選んだのだ。腰を抜かしてしまう事を。だが、それが九死に一生を得る事となる。

 視界を覆う極光。気がついた時には、ヴェールの頬にはじんじんと疼く熱と痛みが襲う。

 ゆっくりと触ってみれば、自分の頬の皮膚が焼け爛れていた。


「そんな、なんで......」


 放たれた光の正体。それは、誰よりも自分たち『天使』がよく知っている。 

 過酷な修行を生き抜いた上で、主より与えられる奇跡の力『聖遺物』。適合した者だけが行使することのできる、代行者としての力。

 『黄金の軌跡レゲンダ・サンクトルム』。奇跡を体現した聖人、聖女の伝説を綴った書を由来とするこの力は、『天使』となった者の奇跡と軌跡を祝福する為のもの。

 だが、それを何故黒き虎が行使することが出来るのか。主の御力による、奇跡を。


 ヴェールはいくつかの可能性を考えた。先ほど自分が放った閃光を喰らった虎が、その力をそのまま吐き出しただけではないのか。それとも、あの光は自分たちの使うそれとはまた別のモノではないのかと。

 いや、そんな事はありえない。ありえてはいけない。黄金の光は、主の奇跡を示す唯一無二のモノだ。

 そんな風に頭を振るヴェールは、眼前の光景に小さな悲鳴を上げる。


 黒き虎の口内に集まる黄金色の光。

 第二波。

 放たれる。明るく、激しく。


 しかし、光はヴェールまで届かなかった。


「すまんのう、ちと遅れてしもうた......わッ!!」


 ヴェールへと放たれた光が、目の前で二つに分かれて飛んでいく。


「君たちばかりに任せていては、探索師の名折れだからな」


 降り立つ三つの影。そこでようやくヴェールは、その内の一人が黒き虎の放った黄金色の光を切り裂いた事に気づく。


「それにしても......このスーツは無いんじゃないかしら。一応貴方達よりは若いけど......それでもこんなモノ着て人前に出られる歳じゃないわよ?」


 それぞれが真新しいボディスーツを纏っており、そのどれもが何処か弾虎の着るモノと同じ雰囲気があった。

 それもそのはず。弾虎のボディスーツを開発した名工ボブが仕立てた、最新鋭の探索師用ボディスーツなのだから。


 先ほど背丈ほどの大太刀で光を切り裂いた、緑色のボディスーツの人物がヴェールの手を掴んで無理やり立たせる。その拍子によろけたヴェールは、オレンジ色のボディスーツを身に纏う女性らしき人物に支えられた。


「教会の者よ。おぬし等は早く逃げる用意をしておきなさい」

「......なにを言っているんですか? 私は試練から逃げるような事はしません」

「おぬし等の大将の指示じゃよ。なぁに、ワシらとて、あんな化け物を相手に大立ち回りできる程若くはないわい。直ぐにケツまいて逃げるよって。ほっほっほ」

「ちょっと、瑞郭さん。女性を前にケツは無いんじゃない? ケツは」

「やかましいのう。おぬしはそんなタマでもなかろうて。男漁りが趣味のくせに」

「無駄話はその辺で。いまは、彼を止める事が最優先です」


 そう言って先頭に立つ、光沢の低い銀色のボディスーツを纏う偉丈夫。

 そのはち切れんばかりの筋肉が躍動する。


「君と戦うのは久しぶりだな......だが、能力だけが全てではないことを、君に教えてやろう」

「グルルル......ガアァアアァアァッ!!」


 次から次へと現れる乱入者に、黒き虎の怒りは最高潮に達していた。

 早く、その新鮮な獲物を食わせろ。

 その手に持つ『玩具』は、大変旨かった。

 もっと、もっとだ。


 邪魔をする者は何人たりとも排除する。

 牙を剝きだして飛び掛かって来る黒き虎に、偉丈夫は笑う。


「さぁ、一輝君。レッスン開始だッ!!」



 ◇◇◇◇◇◇



 ダンジョンがこの世に現界するより以前から、世界では超常の中にあるモノは人々の中で語り継がれてきた。

 例えば、『天使』達の使う奇跡の力。

 例えば、『悪魔』の呟く囁き声。

 例えば、『神話』の中で暴れ狂う生物。


 そう、いまの世界では、ただそういった超常が身近になってしまった事で、それ以前の事がフィクションの様に扱われるようになってしまった。

 だが、確かに存在していたのだ。


 見る者を石に変える蛇髪の姉妹も、迷宮を彷徨う巨大な牛人も、山を投げ飛ばす巨人も。



 『蛇』は長き眠りから目を覚ます。自分が何者なのか。どうしてこの様な温かい場所で眠っているのかは判らない。だが、一つだけ思い出すことはできる。


 自分は、あの男に殺されたのだと。


 柔肌の女子供を肴に呑む酒は、最高に美味であった。その日も確か、一人の娘を食しに行く約束をしていた。だのに、突然現れたその男は、酒を楽しむ自分の首を全部刈り取り、最後には大切な尾まで割り裂いてしまった。

 だが、その程度で死にはしない。再び首の回復を待って、男を頭から丸のみしてやろうと考えていた。

 なのに! 男はあろうことか、この体を赤い沼に放り投げたのだ。

 酒に酔い、心地よい暖かさに思わず眠ってしまった。だが、そのお陰で八本の首も元通りだ。

 そうだ、思い出した。まだあの男は近くにいるのだろうか。食う約束をした娘は居るだろうか。そう考えだすと、居てもたってもいられない。

 『蛇』はその巨体をくねらせて、赤き沼の底より這い出る。



 この日、長い時間眠っていた山が動き出すこととなる。

 不死なるモノを封じた事から、転じて富士山と呼ばれる日本最大の火山。

 その頂上から、八つの首が顔を覗かせた。

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