三章 権能覚醒篇

第六十三層目 私立ルーゼンブル学園入学試験


 一月某日。

 その日、多くの中学生が私立ルーゼンブル学園へと足を運んでいた。皆一様にやる気に満ち溢れた表情をしており、中には本を読みながら歩く、所謂『二宮金次郎スタイル』の者も多数いる。

 日本における探索師育成校の最先端を行く私立ルーゼンブル学園は、施設の充実度、高度なカリキュラム、実質的に専用となっているダンジョンなど、探索師を目指すものであれば誰しもが目指す学校だ。


「はぁ~……憂鬱だよぅ……」


 そんな二宮金次郎スタイルの内の一人の少女が、深い溜め息を吐き出す。

 この一年間、私立ルーゼンブル学園の入学試験の為に必死に過去問や一般教養の勉強に励んできた。しかし、それでも最終的な全国模試ではB判定。いけるかいけないかの『微妙』なラインなのだ。

 ルーゼンブルの試験は一般教養五教科と、実技試験がある。例え一般教養で合格ラインでも、実技によっては落ちる事があるのだ。例外として一般教養に重きを置く『魔工学科』もあるが、こちらは偏差値が異様に高い。少女の学力では些か無理があった。


「うぅ……胃が痛くなってきたなぁ……でも、やらなきゃッ! 絶対合格するんだッ!」


 気合いを入れて過去問集に再び目を通し始める少女。だが、それが故に気がつかないでいた。

 目の前の信号が赤になっている事に。


「危ないッ!!」

「へ?」


 聞こえてきた声に顔をあげる。少女の目の前には乗用車が迫ってきていた。

 運転席に座る男性の必死な顔が見えた。急いでブレーキを踏んでいるのだろう。

 だが、時は既に遅く、乗用車のバンパーが少女の膝を撥ね飛ばす。


 かと思われた。


「フッ!!」


 『黒い影』が一瞬の内に少女を抱きかかえ、そのまま空を跳んでいた。


「え、えぇえぇえッ!?」


 少女は目を見開いて驚く。自分を抱えて大跳躍を見せたその人の姿に。

 いまや探索師を目指す人に知らぬ者無し。いや、世間で彼を知らぬ者は無し。

 世界で十一人目の特級探索師、弾虎であった。


「大丈夫かい?」

「は、はいいぃいいッ!」


 少女を抱きかかえたまま、軽やかな着地を見せる弾虎。

 周囲には、既に騒ぎを聞きつけた人が集まっていた。


「うおー! すっげー!」

「弾虎さんだ……かっけぇなぁ」

「見たかあのジャンプッ!」


 ちょっとしたパニックになりかけている人垣に向かって、弾虎は大声を張り上げる。


「皆さん、ここはまだ公道であり、一般の方々の邪魔になるッ! 速やかに道を開けてくれッ! そして、よそ見をせず、交通ルールを守ってくれよッ!!」


 少女をゆっくりと下ろすと弾虎は再び大きくジャンプを見せ、電柱やポールの上を跳ねながら姿を消した。

 皆が歓声を上げる中、少女は一人赤い顔をして弾虎の消えた方向を見つめるのであった。




「ハッハッハッ! なかなかどうして。ヒーローっぷりが板についてきたじゃないか!」


 私立ルーゼンブル学園、学園長室。

 普段は誰も居ないこの部屋にも、一年の内でこの日だけは必ず主が帰ってくる。

 その主こと藤原 源之助は、大笑いをしながら冷茶を飲み干した。


「笑い事じゃないですよ。こんな大事な日に事故がありましたじゃ……早織が可哀想だッ!」

「あー、大方そんな事だろうと思ったよ。だが、学園の責任者として礼を言わせて貰おうか。ありがとう、弾虎」

「いいえ。事故は貰った側も与えた側も、不幸にしかなりませんから……」


 弾虎は少女が目に入った時、考えるより先に身体が動いていた。

 それは、自分の両親が交通事故によってこの世を去った事によるものだ。源之助としてもそれが解るので、なんと声をかけたら良いものかと目線を伏せる。


「でも、よくよく考えればあの少女は事故にあっても怪我しませんよね?」

「ん? 何故だ?」

「え? だって、ルーゼンブルを受けに来る娘でしょ? なら、覚醒で得た能力もそれなりに高いはず。だったら、車の突進くらいじゃ怪我しないでしょう」


 昔の一輝の様な『調理』という最弱の能力でなければ、だいたいの能力を持つ者はその身体能力が飛躍的に上昇している。実際、ダンジョンにいるモンスターの攻撃は、車の衝突以上に強烈なものがほとんどであり、その程度が耐えられなければ探索師などなれないのだ。


「いや、その可能性はあるが……記念受験という線もあってな」

「え? あっ、そうか……失念してました」

「うむ……私としてはどのような能力を持っていても、受験してもらう分には一向に構わんのだがな。ともすれば、君の様な実は有能だった、なんて者を取りこぼさないためにもな」

「……ソウデスネ」


 後天的に能力を得た一輝としてはとても心苦しい。

 ここ二ヶ月ほどの付き合いだが、どうやら源之助の能力をもってしても悪魔の『権能』は見えないらしい。なので、どうやって一輝が能力を得ているのかは、源之助も知らないのでいた。


「む、そろそろ時間か。静君もこちらへ来ているな。そろそろ『シークレットモード』を切るから、マスクをしなさい」

「了解」


 一輝はテーブルに置いていたマスクをつける。ボブによって改修を受けた、『弾虎マスクact.3』。先日の大阪カニ騒動で課題となった通信障害にも強くなった、新マスクだ。若干意匠も変わっている。


「では、若人達のヒーローの登場、だな」

「茶化さないでください。俺も若人ですよ」

「それもそうだったなッ! っと、来たな。入りなさい」

「失礼致しまっ……」


 源之助を迎えに来た秘書の女性は、部屋の中に居た意外すぎる人物に驚き、はっと息を飲む。


「……もしかして、今日俺が来るのは」

「サプライズだ。だから窓から入らせただろう?」

「妙な事言い出したと思ったら……すみません、秘書さん。お邪魔しています」

「え!? あ、いや、こちらこそ申し訳ございませんッ! 失礼致しましたッ!」


 客人を前に呆けるという失態に気がついた静は頭をさげる。その際に胸に抱えていた書類の束を落としてしまい、慌てて拾おうとして今度はスッ転んでしまった。

 まだ二十代前半であるうら若き乙女の名誉は、パンツスーツだったことで守られた。不幸中の幸いというものだ。


「あぅ……すみません……」

「はっはっはっ! どうだ、弾虎。これがドジッ娘という奴だぞ。彼女の名は猿渡さるわたり しずか。日本ダンジョン協会本部職員で、私の秘書の一人だ」

「ご紹介どうも……じゃなくて、呑気な挨拶してないで助けてあげましょうよ。それと……」


 こんな人で源之助の秘書が勤まるのか。マスクの中から暗にそう問いかける弾虎だったが、源之助はいつもの口ひげを上げるだけの笑みで答える。


「あ、ああ、ありがとうございます……すみません……」

「いや、怪我がなくて良かった」

「ふふ、それでは行くとするかな」


 書類をすべて拾いあげた事を確認した源之助は、スーツの襟を正して部屋を出る。その後を弾虎、静の順になって廊下を歩いていく。


(そういえば、中央棟の一階以外ってあんまり来たことなかったな……なんだか、普通な感じだ)


 一階に事務室や職員室があるので、中央棟自体には来たことは何度かある。だが、その上の階層は足を踏み入れた事はなかった。

 そんな風にキョロキョロと辺りを見回す弾虎に、静は声をかける。


「珍しいですか?」

「え? あ、いや……あまりこう言う場所に来たことがなくて」

「ふふ、そうですか。でも何だか意外ですね」

「ん? 何がですか?」

「だって、弾虎さんってメディアに出てる時って何だか強そうッ!というか、少し言葉が強いというか。なんだか印象と違って柔らかい人なんだなって」

「えっ!? そ、そうかな!?」


 静の言葉に動揺が隠せない弾虎。先程から静が見せるドジだったり、何処か気の抜けるような姿に思わず素が出てしまっていたのだ。

 その様子を前で見ていた源之助は、思わず吹き出しそうになりながら振り返る。


「こらこら、静君。あまり弾虎を苛めんでやってくれ。時に演じ分けをせねばならんのは、君にもわかるだろう?」

「あ、も、申し訳ございませんッ! 出すぎた発言を……」

「い、いやいや、大丈夫だッ! ……でも、出来れば内緒にしていて欲しい。いいね?」

「はいッ!」


 元気一杯に答える静。


 おかしい。明らかにいつもの調子を崩されている。

 これはどうした事かと視線で問いかける弾虎に、源之助はニヤリと笑う。


「静君は人の底を引き出す魅力があるのだよ。本人は無意識だがね」

「……そら恐ろしい話で」


 小声でやりとりする二人に首を傾げる静。

 だが、先程もでしゃばって失敗したことを思いだし、後ろで一人姿勢を正して待機する。その姿が何処か子犬の様にも見えて、弾虎は毒気は抜かれる思いだった。


 こうして波乱から始まった私立ルーゼンブル学園の入試試験。

 弾虎にとっても、いつもとはまた違った激動の一日が幕を開ける。


 

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