第六十一層目 『正義』の籠手


「なん、だ……? あれは……」


 弾虎は宙に浮かび上がるヴェールを見て、マスクの中で目を見開く。

 自らの体を浮かばせたり、飛翔する魔術は存在する。飛ぶための原理は様々で、魔術に覚えのある者なら等級が低くても一定のレベルで使う事ができる。実用性は問わずだが。

 しかし、いま目の前で浮かぶ二対の羽根は、そのどれとも違う感覚があった。言葉には出来ないが、頭の中でひたすらに警鐘がなり続けるような、そんな感覚が。


「貴方に恨みはありませんが、悪魔に魂を囚われたのであれば……仕方ありません」

「なッ! 消え……ぐぅうッ!」


 フッとヴェールの姿が横にぶれ、見えなくなった。かと思えば次の瞬間には右側に立っていて、上段蹴りを繰り出してくる。

 一瞬反応が遅れてしまった弾虎は、その蹴りを受け止めた。だが、そのあまりにも重すぎる衝撃に、腕が痺れてしまう。


(嘘だろッ!? ツイントゥースドラゴンの突進でも、こうはならんぞッ!)


 次々と放たれる蹴り。枝木よりも細いのではないかと思う足から繰り出される一撃に、弾虎は避けるので精一杯になってしまった。


「クッ、反撃を……いや、ダメだッ……!」


 いまの自分が人の枠組みから大きく外れている自覚がある一輝は、ヴェールへの反撃に躊躇していた。

 これまでは、あくまでもモンスター相手に力を振るうことしかしてこなかった。ただでさえ一般人からは『人間兵器』などと呼ばれる探索師の、その中でも上位にある者が人に向けてその力を振るっていいものではない。

 そう考えて弾虎……いや、一輝は手が出せないのだ。


「止めてくれッ! 俺は君と戦いたくないッ!」

「それは無理。私には、貴方を殺さなければいけない理由があるから」

「ふっ! 何故だッ! 俺が悪魔から力を得ているからかッ!」

「『天使』と『悪魔』。二つは相容れないもの。だから、私は『天使』の力で貴方を浄化する」

「『天使』、だと? ハァッ!!」


 上段から振り下ろされるヴェールの蹴りを両腕で受け止める弾虎。

 そのままクロスした腕を捻り、ヴェールを投げ飛ばそうとする。が、ヴェールはバク転をして腕から抜け出し、再び地面を蹴って弾虎に肉薄する。


「そこ」


 突進の勢いのままに左腕を突きだすヴェール。

 ガードの上がった弾虎はボディががら空きになっていた。


「ぬぅんッ!!」


 突き刺さるヴェールの腕。腹を貫き、致命の一撃を与えんとする必殺の手刀。

 だが、か細い腕は、弾虎の筋肉の壁によって阻まれたッ!!


「ッ! 抜けない……!」

「俺の腹筋は八つに分かれた魂ッ! 易々と貫けるものではないッ!!」


 腹筋に力を込め、ヴェールの動きを止める弾虎。素早さで言えばヴェールが勝っているが、パワーに関しては弾虎の方に軍配が上がった。


「さぁ、捕まえたぞ……話を聞かせて貰うッ!」

「無駄……」

「え?」

「──『纏え、正義の籠手Olusivel Eisyulem』」


 ヴェールの背に広がる羽根が光の帯となって右腕に巻きつき、白銀の籠手へと変化する。籠手は肘までを覆うものであり、どこか機械めいた機構も見られた。


「祈りを、貴方に……」

「ちょ、ぐわぁああぁぁぁッッ!?」


 ヒュッ、と音が聞こえた時には、既に弾虎の体は壁に突き刺さっていた。

 音をも超える程の一撃。

 ただ殴られただけなのに、必殺技と言っても過言では無い拳。


「ぐぅ、げふっ」


 肋が数本折れて内臓に突き刺さり、マスクの中で大量の血を吐き出す。

 マスクの下半分を解放して口許を拭い、弾虎は立ち上がる。


「死んでるぞ、こんなの……俺じゃなきゃ」

「驚き。まだ動ける」

「ヴェールさんッ! そろそろ決着をつけてくださいッ! 時間がありませんッ!」

「わかった」


 ヴェールは無表情のままに弾虎を見据え、籠手によって一回り大きくなった右腕を、弓を引き絞る様に後ろに下げる。

 そして、歌う様に『祝詞』を唱えた。


「── Wanzzaワンツァ tielティァ olオゥリ yahイュー gannzzグァッツァ


 白い光が籠手に集い、手首にあるリングが形を変える。そして、光を吸い込みながら回転を始めると、右腕全体が金色に輝きだした。


「……さようなら」


 撃ち抜かれる黄金の光。

 『天照』の起動も間に合わず、弾虎は咄嗟に両腕をクロスにしてガードを固める。


 光の帯は弾虎を飲み込み、そのままグランド・シザースの殻を突き破って夜空へと駆ける。

 一閃の流れ星。

 光は地球の重力を脱し、そのまま成層圏を突き抜けて消えていった。



 ◇◇◇◇◇◇



『キイイィイイイイイィィィィィッッ!!!』


 突如、自身の体を蝕み始めた『蚊』の攻撃に苛立っていたグランド・シザースは、さらにいきなり腹の中から飛び出した破壊の光と痛みに叫び声をあげる。

 このままでは死んでしまう。

 生まれて初めて味わう『死』の予感に、グランド・シザースはパニックになった。


 ──逃げなければ。


 焦るグランド・シザースが、脚を湾の外へと向けようと思った、その時。


 突然、体に力が入らなくなった。


『……?』


 何が起こったのか、理解が追い付かない。

 ただわかるのは、自分の体がもう動かないであろうという『確かな予感』だけであった。

 そして、10分後。折り畳まれる様にグランド・シザースの脚は次々と力を失い、その身を大阪湾の沖へと沈めた。



 ◇◇◇◇◇◇


 

「……どうして?」


 首を傾げるヴェール。

 突き出した右腕は横からグルに掴まれ、その狙いを外されていた。


「残念ながら、彼を殺すのは中止です」

「何故? 彼は、デビル」

「えぇ、その通りです。だが、表向きは人間だ。そして、それは私たち『天使』も同じこと。上からの指示です。彼を殺してはならないという」


 グルが視線を向けると、僅かに光がかすったのか、左半身が無惨な姿になった弾虎の姿があった。

 ボディスーツは辛うじて残っているが、左腕や脇腹はケロイド状に焼け爛れている。


「ぐ、あ……」


 流石の弾虎も、この一撃には耐えられなかった。傷は『自己再生』が治してはいるが、許容量を超えるダメージに膝をついて動くことが出来ない。


「生きてますか、弾虎さん。貴方に死なれると私が怒られてしまいます」

「な、ぜ……?」

「貴方もヴェールさんの様な事を聞くんですねぇ。いいじゃないですか、その命が助かったんですから。藤原会長に感謝なさい」


 ヴェールによる黄金の光はダメージのみではなく、何か副次的な効果をもって弾虎の体力を奪っているらしく、体に力が入らなくなっていた。


「とりあえず、私たちの事は他言無用でお願いしますよ。あぁ、そう言えば……これをどうにかしないといけないんでしたね」


 グルはグランド・シザースの中枢部分へと歩いていくと、無造作に腕を振るう。すると、中枢はあっさりとグランド・シザースとの繋がりを断ち切られ、徐々に鼓動を失っていった。


「これは怪我をさせてしまった御詫びです。グランド・シザースの中枢……俗に、『肝』と呼ばれる部分ですね。本来は一部を削って使うそうですが。あぁ、少しだけ分けてくださいね。これの研究もしたいので」


 蹲る弾虎の前にグランド・シザースの肝を無造作に投げ、グルは人の良さそうな笑みを浮かべる。その手には肝の一部分らしきものが握られている。


「さて、帰りましょうか。ヴェールさん」

「わかった」


 ヴェールが瞼を閉じると、籠手が光の粒子となって消える。

 そして、相変わらずの無表情のままに弾虎へと近寄ると、呟くように言葉を吐きかけた。


「死んでいれば、救われたのに」


 その様子を見ていたグルは肩を竦めてやれやれと溜め息を吐き出す。


「もう良いでしょう。帰りますよ。『ゲート』」


 グルが左腕を振るうと、何も無かった場所に紫色の大きな穴が発生した。

 そして、ヴェールを先にその穴へと通してから、自身も潜っていく。

 二人が潜り終えると、穴は勝手に閉じて失くなった。


 後に残された弾虎は、悔しさに奥歯を噛み締める。


 見逃された。


 たかが少女と見くびった代償は、手痛い敗北で払わさせられた。

 だが、それは当然の結果だと言わざるを得ない。相手は世界中に多くの信者を持つ聖光せいこう教会の、さらに選りすぐりの中から七人だけが許される、『天使』の名を持つ超越者なのだから。


 弾虎がその事を知るのは、グランド・シザースの死骸から脱出した後であった。

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