第二十八層目 怒りの日


げんさん、いまの聞こえたかい?」

「あぁ。あれが聞こえないなら、直ぐに病院に行った方がええわ」

「呑気な事言ってる場合じゃないぞ! 直ぐに逃げよう!」


 旧世田谷区サブ・ダンジョン、四階層。

 この日も、いつもの如くエイリアンフィッシュを釣っていた正宗達は、突如としてダンジョンを震わせる声に驚き、直ぐに撤退を決めた。

 探索師たるもの、誰よりも危険に対する嗅覚に優れなければならない。これは別に鼻が良い悪いの話ではなく、音、におい、肌で感じる空気。時には虫の知らせの様な第六感に頼ることもある。

 生きてこそ探索が出来る。なので、命を最優先に行動するのは、至極当たり前のことだ。


 二十年以上ダンジョンに潜り続けてきた正宗達だからこそ、まだ見ぬ声の主を一目見ようだとか、なんなら狩って名をあげよう等という、無謀な行動はとらない。


「忘れ物はないかッ!?」

「確認、ヨシッ!」

「全員揃ってるか?」

「人数確認、ヨシッ!」

「撤収ッ!!」


 点呼を済ませた正宗達は、そのまま出来るだけ足音を殺しつつ、いつも自分達が通っている出口へと向かう。

 だが、その直前に立っていた圧倒な存在感に、全員が一言も発する事ができなかった。




 ◇◇◇◇◇◇



 それがこの世に生まれ落ち、母からの愛情以外に他者へと向けた感情は、『怒り』であった。

 母と二人で静かに暮らす生活は、なに不自由のない、本当に幸せな時間だった。

 時々、襲いかかって来る怖い生き物も、母は全て凪ぎ払い助けてくれる。自慢の母だった。


 しかし、ある日の事。

 幸せの木漏れ日は儚くも、斜陽の影の中に消えていった。


 突然自分達の家に押し入ってくる小さき者達。

 母は自分を部屋の奥へと押し入れると、入り口を岩で塞いでしまった。

 それから聞こえてくる激しい音の数々。

 何度かそれらは聞こえなくなり、またしばらくすると同じ様に聞こえてきた。


 そして、その音が五度鳴り響いた時。


 母の最後の叫びがダンジョンに木霊した。


 見えずとも、それが意味することはわかった。

 最後に母が叫んだ言葉は、『あなただけはお生きなさい』。

 母は、死んだのだ。


 直ぐにでも母の亡骸へと駆けつけたかった。

 しかし、まだ生まれて直ぐの体では、大岩を退かすことが叶わず、外へ出られない日々が続く。

 なんとか岩の隙間から紛れ込んでくる小さな生き物と、天井から染み出してくる水滴を糧に生き延びる毎日。


 だが、そんな生活が上手くいくわけもなく、遂にそれは力なく地面へと伏せた。


 腹一杯に食べたい。

 愛する母親の温もりを得たい。


 その渇望に、『ダンジョン』が応えた。


「なんであるか、この小さきドラゴンは?」

「さぁな。しかし、俺たち二柱ふたりを呼び寄せるとは、こいつの欲望は紛れもなく本物だ」

「欲望なんて言い方はやめるであるよ、サターニア。願いと言って欲しいのであーる」

「馬鹿を言え、ベルゼブブ。ダンジョンは紛れもなく《欲望の化身》だ。願いなどという屁みてぇに軽いものと一緒にしないでくれ」


 目の前でなにかを言い争う、青の小さき者と赤の小さき者。

 だが、ソレにとってそれが言い合いをすることなどどうでも良かった。


 ただ、目の前に立つ者を食したい。

 ただ、母の敵と同じ姿をした小さき者を駆逐したい。


 その衝動に塗りつぶされた心は、もはや爪の先程も動かすこともできなかった肉体の限界を凌駕する。


「おッ! いいじゃない、いいじゃないッ! やはり生き物ってのは、これくらい生に執着をしねえとな!」


 ドラゴンの子が繰り出した爪を、たった一本の指で止めてしまうサターニア。小さいとは言えドラゴンはドラゴン。サイズは大型ダンプと人間の子供程の差がある。

 ドラゴンの爪を受け止め、耳まで避けた凶悪な笑みを浮かべるサターニアを見て、ベルゼブブはやれやれとため息をつく。


「遊ぶのもいいけど、私たちはそこまで暇でもないのであーる。早く尖兵にして、戦いに備えるのであーる」

「わかってるっつうの。まぁ、こいつなら結構いい線言ってくれるだろうぜ。おい! ドラゴンのガキ!」


 幼きドラゴンは、渾身の一撃をあっさりと止められ、目を白黒にさせていた。

 どうすれば自分より遥かに小さな存在が、必殺の爪を止めたのかは皆目検討もつかない。

 だが、たった一撃を交わしてわかることがあった。


 自分では、どう頑張ってもこの小さき者を越えることなどできないと。


「糞悪魔が急かすから、簡単にお前に力を渡す。それをどうするかはてめぇ次第だ」

「悪魔はお前もであーる。まったく、色々と雑であるなサターニアは。私からも『権能』を渡すのであーる。これでお前ももっと強くなれるのであーる」


 二人の手から発せられた光が、自分の体へと吸い込まれていく。

 その光景を眺めていると、次の瞬間には二人は消えていってしまってた。

 あとに残されたドラゴンの子は、精一杯の咆哮を点に向けて放つ。


『ギャオオオォオオォオオオオオォォォォォォッッッ!!』


 それは最後まで自分を案じた母への葬送行進曲か。

 それとも、母を殺した者へ聞かせる為の鎮魂歌レクイエムか。


 沸き上がる破壊と渇望が全身を作り変えていき、幼きドラゴンはまさに生まれ変わったのだ。


 ダンジョンの主として。


「あぁ……とても心地の良い叫びだ。まさに、『怒り』! これこそが、生きるすべての者を突き動かすエネルギー!!」

「……ちがうのであーる。生きるものは何かを食べなければ、生きていくことができないのであーる。すべてを食らう事こそが、生物としての本懐であーる!!」


 幼きドラゴンの遥か上空で言い争いをする二柱。

 そんな事など露知らず、ドラゴンは目に入るモノすべてを食らい尽くしていく。


 食って。

 殺して。

 また食って。

 また殺して。


 怒りと食欲の交響曲は止まることを知らない。

 そう、自分の獲物を横取りされたあの日まで。


 いつもの様にダンジョンを我が物顔で渡り歩いていたドラゴンは、道中で命を断ち切った獲物を点在させていた。

 自分の縄張りを主張する本能によるものだが、気がついた時にはその内のひとつが消えていた。

 ドラゴンとしても、別にそれがないと食べるものに困るわけではない。

 しかし、己のモノを掠め取られた『怒り』の炎が、その行為を許すことができなかった。


 お前も、奪うのかと。


 そうして臭い等を追い続け、ようやく見つけたダンジョンで、その盗人の両腕を噛み千切ってやった。

 胸がスッとする思いだった。

 あとはまたゆっくりと食べよう。


 そう思ったドラゴンは、自分のお気に入りの場所にその無惨な姿の盗人を放り投げ、新たな食料を探し求めた。


 だが、どうだ。


 帰ってきてみれば、自分の集めた食料どころか、お気に入りの玩具まで失くなっていた。


 あまりの出来事に、気が狂いそうだった。

 叫んでは暴れ、暴れては叫んで。


 殺す。

 次に見つけたら、その場で殺す。


 まさに見敵必殺の願い。

 その誓いを胸に、ドラゴンは大罪人を追う。


 そして見つけた。

 大罪人の匂いを漂わせる、小さき者達の集団を。

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