第十八層目 潰えぬ闘志
「ッはぁ……ッはぁ……」
地面に仰向けになって寝転がる一輝は、肺に溜まっていた空気をなんとか吐き出す。
ジェイによる地面への叩きつけは、寸前でジェイが拳をそらしたのでダメージこそ無かったが、その圧倒的な『力』の前に一輝は濃厚な死を感じていた。
「どうだい? 一度死んでみた感想は?」
「はぁ、はぁ……俺が、甘かったです」
一輝の返答にニヤリと笑うジェイ。
普通であれば、まだ17歳の子供が死の気配に当てられれば、言葉を返すことすら難しい。
いくらダンジョンに潜り、常に死と隣り合わせとは言え、そこはやはり子供。実際には死というものを何処か自分とは違うところで起きているものだと無意識に考えてしまうものだ。
しかし、本当に死を覚悟している者にとって、死とは隣人よりも近しい存在だ。それ故に、死の恐怖を初めて味わった時、人は口すら動けなくなってしまう。だが、一輝は返事を返してみせたのだ。
(この歳で既に実際の死を味わっている、か。確か、最底辺と呼ばれている少年が居ると聞いたのが約半年前。そこからこれ程までに成長できたのは、それ相応の経験を積んだからということか)
ジェイが知るよしもないのだが、それは紛れもなくベルゼブブとの出会いが原因だ。
一輝があの時出会ったベルゼブブの眼光。
まるで自分という存在が、その辺で蠢く芋虫ほどにも価値のない、まさに虫けらという言葉こそ相応しい視線を向けられ、あの時から何処か感覚が麻痺をしてしまっていた。
勿論、いまでもダンジョンは恐ろしい物と思ってはいるし、だからこそ準備を怠ることはない。
しかし、あの時の出会いによって様々なものを打ち砕かれた一輝は、良い意味で言えば胆力が付いた。悪い意味で言えば、恐怖の感覚が壊れてしまっていたのだ。
「さて、勝負あったな」
満足げな笑みを浮かべ、一輝に背を向けるジェイ。
真っ正面から突っ込んでくる馬鹿正直さはあるものの、実力差がある相手への対応としては悪くない。それに、その作戦が成り立つほどの俊敏さと、この歳であれば十分すぎる筋力。そして何より自分の腕を咄嗟に犠牲にしてでも勝ちにいこうとする胆力がある。
自分が担当する生徒たちならどうしたであろうか。そんな事を考えながら、ジェイは上着を羽織る。しかし。
「どこ、行こうとしてるんですか……ッ!!」
「……なに?」
振り返れば、外れた方の肩もそのままに、立ち上がって構える一輝の姿があった。
「俺は、まだ死んじゃいませんよ。勝負は、これからです」
静かに燃える瞳。
その炎は決して激しく燃える紅い炎ではない。
静かに、真っ直ぐに、己の命すらも燃やして糧とする、蒼い炎であった。
「一輝くん! もうやめるんだ! ジェイも、これ以上はいけない!」
一輝の様子に気がついた正宗が止めに入ろうとする。
だが、ジェイはそれを手で制した。
「どけ、正宗。いまここで戦わなければ、一輝君にとって悔いが残るだろう」
「でも、やりすぎだ!」
「……退いてください、正宗さん」
「一輝くん!!」
一輝とジェイの顔を交互に見る正宗。
これ以上は大事になってしまう。それがわかっているので、止めないわけにはいかない。
しかし、一方で仮にも自分も男であり、探索師の端くれであるので、一輝の抱いている悔しさも理解が出来る。
どうするべきかと悩む正宗の肩に手が置かれる。
「正宗。やらせてやろうぜぇ」
「木戸さん……」
「なぁに、生きていりゃあ茂さんが治してくれる。俺たちは一輝を応援してやろうじゃねぇの」
「…………わかった」
もう一度だけ一輝とジェイを見る正宗。
ジェイは心得たと小さく頷き、一輝はもうジェイしか視界には入っておらず、正宗の視線にも気がつかなかった。
「さぁ、来るが良い! 君の実力のすべてを見せてくれ!」
ジェイがもう一度腕を広げてそう叫ぶ。
それを皮切りに、一輝が体を沈めて雄叫びをあげる。
「うおぉぉぉおおぉぉおっッッ!!!」
「むっ」
一輝の取った行動は、先ほどと同じ瞬発力頼みの接近戦だった。
だが、それは一度破れた戦法であり、選択肢としては非常につまらないものだ。
(がっかりさせてくれるなよ、一輝君!)
向かってくる一輝を迎撃すべく、ジェイは半身になって構える。
そして、あと少しで間合いに入りそうになる、その時。
ジェイの耳にキーンっという甲高い音が響きわたる。
「なっ!?」
突然の耳なりに驚くジェイ。しかし、その程度で崩れるほど油断もしていない。
恐らく一輝が何かをしてきたのだろうと直ぐに思考を切り替える。
「甘いッ!」
向かってくる一輝の頬に、拳を付き出すジェイ。
だが、その拳が当たりそうになる瞬間、突然一輝の体がフッと残像を残してぶれた。
「ッ!?」
振り抜いた拳は空を切り、自分の体にナニかがまとわりつく様な気配を感じる。
ジェイは直ぐ様拳を引いて、体を捻って裏拳を放つ。
「そこッ! ぬっ!?」
すると今度は顔面に向かって水が降り注ぐ。決してダメージになるような勢いの水ではないが、それでも突然目に飛び込んでくる水は、反射的に一瞬だけ視界を閉じてしまう。
そして、勝負とはその一瞬がターニングポイントなのだ。
「ああぁぁあああぁぁあッッ!!!!」
渾身の回し蹴り。
しっかりと地面を踏みしめ、体の捻りから全体重を込めた一輝の右回し蹴りがジェイの脇腹を捉えた。
「ぬぅぅん!」
しかし、ウェイト差とは無情である。
いくら能力によってステータスが変化し、体の小さい
ましてや、格闘技における打撃とは、様々な要因こそあれど結局の所はエネルギー同士のぶつかり合い。
スピード×ウェイトが重要なのだ。
全霊の力で撃ち抜いた一輝の蹴りは、ジェイの厚い筋肉の壁によって阻まれた。
だが、それでもジェイにとっては驚きと称賛に値する一撃であった。
「素晴らしいぞ、一輝君! 君が、我が校で高みを目指すことを、楽しみにしているぞッ!!」
ジェイの体がフッと消える。
そして、次の瞬間。
一輝のこめかみに激しい衝撃が走り、視界は暗転した。
◇◇◇◇◇◇
「ん……んん…………ッ!? んあぁ!?」
ガバッと飛び起きる一輝。
周囲で心配そうに覗き込んでいた正宗達は、突然飛び上がった一輝に目を丸くする。
「だ、大丈夫か、一輝くん」
「え、あ、正宗、さん? ここは……?」
「覚えてるかい? 君は少し前にジェイと戦ったんだけど……」
「え? あ、あぁ……そういえば」
目が覚め、いつもの自室では無かったことに困惑する一輝だったが、正宗の言葉に自分のおかれた状況を察する。
「俺、負けたんですね……」
完敗。まさに完敗であった。
自身の得た能力を全て使ってもなお、そもそもの地力で敗北していた。これぞまさしく完敗である。
「まぁ悔しいだろうが、仕方ねえさ。一級探索師ともなると、同じ人間なのか疑いたくなるしなぁ」
「そうですか……ジェイさんは、一級探索師だったんですね」
「あぁ。特級にもなれると言われていたけどな。色々あってならなかったんだが。まぁそんな事はいいさ。ジェイから預かりものだよ」
そう言って正宗は封筒となにやら小さなバッジを一輝に渡す。
「これは?」
「おめでとう、一輝くん。ジェイが合格だって言ってたよ」
一輝が渡された小さなバッジ。
それこそが、私立ルーゼンブル学園の生徒を証明する校章であった。
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