胡粉色 -ごふんいろ-

 彼の話を聞いているうちに、血の気がさーっと引いていく。


「ほっとこうかと思ったけど、あんまり泣いてるから」


 泣いてるから?

 まさか慰めようとしてくれてたわけ?


「一体、何が不満で泣いてるのかが知りたくて聞いてたんだけど、

 けっこうしゃべるから、面白くて」


 面白いとか言いながら、全然真顔なんですけど。

 それより私、そんなにしゃべってた?


「私…、他に何言ってた?」


「あとは「私には偽装結婚は無理だ」とか「家に帰りたい」みたいな?」


 …最悪だ。

 それ、最近の私がずっと思ってたことだもん。


「それから俺の悪口も」


 …ああ、それも言ってるな、絶対。

 いつも心の中で彼を罵倒してたから。

 要するに私は、日頃心の中にしまい続けてた不満を全てぶちまけてたってことか。







「そんなにこの結婚にダメージ受けてた?

 顔合わせの時も結納の時も、覚悟決めましたって顔してたくせに」


「そんな顔してたかな…」


「してた

 会社を救うためなら何でもします、みたいな顔」


 確かにあの頃は、私が結婚することで会社が助かるなら喜んで!って思ってたよ。

 でも、実際の結婚生活は虚無で孤独で、想像以上に私はダメージを受けていたみたいだ。










 ベッド脇の時計を見れば、時刻はもう朝の6時を回っていた。


「もしかして、寝てないの?」


「寝てない

 千紘がずっと泣きながら文句を言ってるのを、仕事しながら聞いてたから」


 …今、名前で呼んだ?

 たぶん、本人も気付いてないんだと思う。

 さっきから眠そうにあくびを噛み殺してるから、相当眠いんじゃない?

 眠いからつい、油断しちゃったんでしょ。


「部屋に戻って寝る」


 そのまま彼は部屋を出て行くから、私も後をついて部屋を出た。

 てっきり玄関から出て行くんだとばかり思ってたのに、彼が向かったのは何故かキッチンで。

 そして何故かキッチンの奥の、物置だと思ってた扉に鍵を差し込んだ。


「何?そのドア」


「このドアは俺の部屋と繋がってる

 鍵は俺しか持ってないから」


 何?その不公平なドアは!?

 そっちからは自由に出入りできるけど、私は出入りできないってこと?


「もしかして、勝手に入ってきたりしないよね?」


「いちいちノックしなきゃいけないわけ?

 俺の家なのに」


 そうだけど…、なんか違わない?

 別居を申し出てきたのはそっちなのに、この部屋のことを「俺の家」とか言うとか。






「このドアはこの家に急な来客があった時に、廊下に出なくてもこの家に入れる用に作ったものだから

 だから今日も竹宮くんが送ってきた時、このドアを使って玄関から迎え入れた」


「この家に来客が来たのって、わかるの?

 自分の部屋にいて」


「廊下で騒いでたし、それにインターホンはうちの部屋にも連動させてるから」


 …用意周到すぎでしょ?

 そんな会話をしているうちに、もう彼女が出勤してきてしまった。


 隠し扉の前にいる私達に気付いて、あからさまに驚いている彼女に、


「若葉、日曜日は出勤しなくていいから」


 彼は事務的にそう告げて、扉の向こうに帰って行った。


 だけど、カチャリとを向こうから鍵をかける音が、なんだか物悲しく感じてしまったのは何故だろう。








「奥様、もしかして昨夜はお渡りがありました?」


 彼女は何故か、目を輝かせて詰め寄ってくる。


「…何?お渡りって」


「楓様が奥様のしとねに訪れたか、という意味です」


 褥に訪れ…、寝室に来たかっていう意味だと思うんだけど、きっとそれは別の意味を持ってるはずで。

 私が答える前に、彼女は開けっ放しの寝室を覗いては黄色い悲鳴を上げる。


「椅子に楓様の上着が掛けてあるってことは、お渡りがあったんですね!」


 私も一緒に覗き込めば、さっきまで彼がいたライティングデスクの椅子の背もたれに彼の上着が掛けられていた。

 また、紛らわしい忘れ物を…。

 もしかして、これも計算?

 それよりさっきから、彼女が異常に興奮しているのが気になるんだけど。

 何で私達が一夜を共にしたってことに、こんなに興奮してるわけ?










 とりあえずシャワーを浴びてリビングに戻ってきたら、何故かダイニングには朝食が用意されていた。

 私に席に着くように勧めると、向かいの席に座り込んだ彼女は、興味津々に私に質問を浴びせてくる。


「どうでした?昨日の夜は」


「…使用人がそんなこと聞く?」


「だって、あの楓様が奥様の寝室に通うなんて、想像つかないじゃないですか」


「じゃあ私も質問。

 若葉さんは、楓さんのことが好きなんじゃないの?」


 そう切り返したら、彼女はいきなり弾けるように笑い出した。


「まさか!

 楓様はお兄様的存在で、恋愛感情は一切ありません

 私は使用人ですのに」


「でも若葉さんって、私のこと嫌いだよね?」


 彼女は一瞬驚いた顔をしたものの、意外にあっさりと答えてくれた。


「私は使用人ですから

 お仕えする人に好き嫌いの感情は持ち合わせてございません」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る