紅桔梗 -べにききょう--

 翌日の日曜日、朝早くに寝室をノックされる音で目が覚めた。


「失礼いたします」


 返事もしてないのに、勝手にドアが開けられて、入って来たのは知らない若い女の子だった。


「この家の家事全般と、奥様のお世話をさせていただきます、若葉と申します」


 そう言っては、慇懃に腰を深く折って挨拶をされる。


 奥様って誰だ?

 もしかして私のこと?

 まさかこれからずっと、「奥様」とかって呼ばれるわけ?


 ベッドから降りた私を一瞥した彼女は、


「お召し替えを」


 そう言ってクローゼットを勝手に開け始めた。









「待って

 そういうのはいいから」


「そういうの…、とは?」


「自分のことは自分でするから」


「失礼ですが、この部屋にある段ボールはいつ片付けられるんですか?」


 事務的な口調の彼女は、仕事熱心なのかもしれないけど、

 勝手にドアを開けたりだとか、この言いぶりだとか、なかなか失礼だと思うんだけど?


「…今日、やりますけど」


「お手伝いします

 その前に、朝食ができておりますので、お召し上がりいただきながら、今後のことについて話をさせていただきたいと思います」


 なんか…、かなり仕切られちゃってる感じなんだけど。

 この家にいる限り私は、彼女に仕切られながら生活するってこと?

 そんなの、我慢ならない。










 リビングの並びにあるダイニングには、朝食にしてはかなり大量の料理が並んでいた。


「量、多くない?」


「奥様は何がお好みなのかわからないので、幾つか作ってみました」


 …幾つかじゃないじゃん、大量じゃん。


「私の業務内容は、毎朝6時半から夕方5時まで、この部屋で家事全般を取り仕切ることです

 途中、玄関脇の使用人部屋で休憩は取らせていただきます」


 いやいやいやいや…。

 毎日って何!?


「家事全般というのは…」


「朝食作りから始まり、洗濯・掃除・買物・夕食作りです

 その他、公共料金の払込や、奥様から指示されたことなどを承ります」


「申し訳ないですけど…、掃除だけでいいかな、家事は

 あとは自分で出来そうなので」


 そう告げたら、あからさまに驚いた顔をするのは何で?

 だって、私的には抵抗があるわけで。

 誰かに部屋に立ち入られたり、洗濯をしてもらったり、部屋にあるものを勝手に触られるのも嫌だ。





「家政婦さんとか、もったいないっていうか…」


「若葉と呼んでください」


「若葉さん?」


「呼び捨てでけっこうです」


「それは名字?」


「いえ、下の名前です

 うちは一族で堂本家に代々お仕えしているので、全員下の名前で呼んでいただいております」


「呼び捨てで?」


「もちろんです」


 なんか私…、えらい所に嫁いじゃった?

 代々で堂本家にお仕えとか、そんなの漫画でしか読んだことなかっんたんだけど。








 それじゃあ彼女は、全てを知ってるのかな。


「若葉さんはどこまで知ってるの?

 私達の結婚のこと」


 そう聞いた途端に、彼女はふっと表情を緩める。

 気のせいか、鼻で笑われたような気がした。


「全て存じておりますが」


「別居婚の偽装結婚ってことも?」


「偽装結婚とまでは思ってはおりませんが、仮面夫婦のような感覚で捉えております」


「…それは、堂本家の方々もみんな知ってるってこと?」


「いえ、皆さん何もご存知ございません

 お二人が仲良く、この部屋に住んでらっしゃると思っておられます

 今、楓様が住んでいらっしゃる部屋も、仕事部屋という名目でリノベーションいたしましたので」


 そういうことか…。

 なんとなく状況が理解できてきたかも。









 そんな話をしている時、ダイニングに予告なしに彼が現れた。


「楓様」


 彼女は飼い主に懐く小型犬みたいに、私といる時とはまるで表情を変えて彼に近寄っていく。


 彼は私の方をチラリと見ると、


「食べてていいよ

 若葉に用があって来たから」


 そう言って、すぐに視線を彼女に戻した。


 その隣で優越感に浸った表情で私を一瞥した彼女を見て、私は全てを悟った。

 なるほど、彼女は私の旦那様に気があるってこと?

 さっきから私にツンケンしてくるのはそういうことなんだ。


「俺の部屋は入らなくていいから」


「困ります

 奥様にもこの部屋の家事は掃除だけでいいって言われましたし、私の仕事がなくなります」


 何?その可愛らしい話し方!

 私と話す時は低音で事務的に話すくせに、1オクターブは上がってんじゃない?










「楓様、朝食は済まされましたか?」


 そんな彼女の問いかけに、彼は無言で首を横に振る。


「奥様と一緒にいかがですか?」


 何それ。

 彼が断わるのをわかってるくせに、わざわざそんなことを聞くとか。


「…いい

 向こうで適当に食うから」


 そう言って部屋へ帰っていく彼を見送っては、勝ち誇ったように微笑んでいる彼女を見て、

 結婚一日目にして、私はこの結婚の破綻を知った。

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