青海剣客伝

藤光

第1話「道場へいこう」

 師走。年の瀬も押し迫り、色々と慌ただしくなってきた城下に、竹刀を打ち合わせる乾いた音の響く板葺きの建物がある。藩の剣術指南役、いつき兵庫の営む剣術道場である。


 青海あおみ藩十二万石の剣術指南役は二家ある。新陰流、柳井大膳やないたいぜんは家禄三百石、人当たりの良い笑顔と上士らしい恰幅を備えた大膳の道場には藩主一門と上級武士の門弟が多い。もう一家、峻厳な風貌が人を寄せ付けない新当流、斎兵庫の道場は、対照的に下級武士や町人が門弟に多い。その家禄、二十石。


 いま空っ風の吹きつける寒空の下、斎道場の外から格子のはまった掃き出し越しに稽古けいこの様子を伺う男がいる。年の頃は三十前後、薄汚れた小袖に丈の短い粗末なはかま、腰の刀でようやく武士と知れるが、いずれ少禄の下級武士と見える風体であった。


 鉛色にびいろの雲が低く垂れ込め、雪でも降ってきそうな空模様である。風は身を切るように冷たい。そんな中、男は道場の壁際にしゃがみ込んで小ゆるぎもせず中で行われている稽古を見つめている。恐ろしく熱心である。ただ、武士の居ずまいとしては甚だ見苦しい。


 道場の内では稽古着に面、籠手こて、胴で身を固めた若い武士たちが盛んに竹刀を打ち合わせている。男は掃き出しの格子に額を付けんばかりに近づいて稽古の様子に見入っていた。


 裂帛れっぱくの気合と共に振り下ろされる竹刀の動き、次々と磨き上げられた床を踏み鳴らす足運び、右へ左へと相手の打ち込みをかわす身のこなし。道場で繰り広げられる諸相を何一つ見過ごすまいとするかのような視線だった。


 ――じゃり。


 何者かが砂利を踏む音に、男がふと視線をその方向に走らせると稽古着姿の若い武士が二人、男の背後に立ちふさがるように立っていた。一人は腕組みをした背の高い男で、もう一人は戸惑い気味の表情を浮かべたずんぐりと小柄な男である。


「何してるんです、板野さん」


 背の高い方の男が居丈高に声をかけた。


「おお、篠崎」


 道場の内を窺っていた男――板野喜十郎は、そう応じると決まり悪そうにほつれた小鬢こびんで付けながら立ち上がった。


「稽古の様子をな――見ていたのだ」

「覗き見ですか。無様ぶざまですね」

「祐馬」


 喜十郎に向かって辛辣な言葉を投げつけた背の高い若者を咎めるように、小柄な若者が肘をつかんだ。


「なんだ、圭介。お前はなにか、掃き出しから覗き見するのが武士らしい行いだとでもいうのか」

「そうは言わんが――。あまりにも板野さんに失礼だろ」


 背の高い男、篠崎祐馬は、馬廻組うままわりぐみ三百石、篠崎貴久の末弟で十七歳、祐馬をたしなめた小柄な男は、馬廻組組頭、大村治左衛門の長子、大村圭介である。圭介は十八歳。


「失礼だと? 稽古を見たいなら、見たいと。道場を訪えばよいではないか。それを間者のようにこそこそと――実に見苦しい振る舞いだ」

「そうはいってもな――。板野さんは道場の先輩だぞ」


 ふたりは斎道場では珍しい上士の子弟であり、下士である御徒組おかちぐみに属する喜十郎に対する物言いには遠慮がない。しかも――。


「しかし、不行状のため、家禄を召し上げられ、道場への出入りも禁じられた先輩だ」

「……」


 喜十郎は、足元に視線を落としたままなにも言えないでいる。板野家が家禄の半分を召し上げられ、喜十郎が斎道場への出入りもままならないのは本当のことだ。篠崎と大村のやりとりを居場所がないという様子で聞いているしかない。


「板野さん。道場へ行こう。こんなところで覗くように稽古を盗み見ていたところで、身につきはしませんよ、さあ」


 篠崎に追い払うようにして立たされると、喜十郎はおぼつかない足取りで道場へ向かうのだった。

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