12月24日【星仰ぐ喜び】



 目を開けると、見覚えのある場所に帰ってきていました。


 波の音が聞こえます。真っ暗の中に、ミルク色に光るクラゲがぷかぷか、浮かんでいます。クラゲはゆうちゃんの膝にぶつかって、驚いたようにぴょんと跳ねて、漂う方向を変えました。ゆうちゃんは、波の打ち寄せる浜辺に、ぽつんと立っているのです。

 宇宙のクジラは、どこに行ってしまったのでしょう。ゆうちゃんたちを送り届けたあとで、海に潜ってしまったのかも知れません。

 歌はもう、聞こえなくなっていました。



 ゆうちゃんとミトラは、たくさんお喋りをしながら、浜辺を歩きました。来たときよりも、ずいぶんと潮が引いていて、貝殻やら海藻やら、色んなものが浜に打ち上げられています。

 貝殻のいくつかは、白っぽく光ったかと思うと、思い出したように空へ昇っていきました。あの貝殻も、元いた場所に帰ったのかしら。それとも、今、旅に出たのかしら。どちらにせよ、その旅が幸福なものであるように、ゆうちゃんは祈りました。


『変なお散歩だったね。地面の下に海があって、海に潜ったらホントは空で、宇宙に行ったら浜辺に出たね。変なの、変なの』

「ね、変なの」

『宇宙も海も、地面も空も、全部おんなじなのかな』

「そうかもね」

 お喋りしながら歩いていますと、やがて砂浜は途切れ、アスファルトの道路になります。この先は、いつかのクスノキ並木。

 ゆうちゃんとミトラに気付いたのでしょう。夜空にあった赤色巨星たちが、さあっと空から降りてきて、並木の両側に整列しました。

『わあ、覚えててくれたの。嬉しいなあ、ありがとう!』

 ミトラは大喜び。ナトリューム灯のポールに、ひとつひとつ、ハイタッチをしていきました。


 光の中を、ゆうちゃんは歩きます。橙色に照らし出された並木道。ミトラがはしゃぐ声と、枝葉のこすれるかすかな音と、遠くに、波の音。その中に、ゆうちゃんは、確かな鼓動を聞きました。

 規則的に肋骨を叩き、全身に酸素を送り届ける命の音。ゆうちゃんの音。血潮は巡り、呼吸は繰り返され、とめどない音楽が循環しています。

 ゆうちゃんは、ゆうちゃん自身の歌を、そっと口ずさんでみました。

『すてきな歌だね』

 と、ミトラが言いました。



 大きなクスノキの根っこをたくさん跨いだあと、ようやく目的のものが見えて、『あっ』とミトラが走り出しました。

『ゆうちゃん、ゆうちゃん。鳥居が見えてきたよ。ぼくたち、あそこで出会ったよねえ』

 石の鳥居が、ゆうちゃんとミトラを迎えます。夢の旅は、ここから始まったのです。もうずいぶんと昔のことのように思えました。


 ミトラは走って、鳥居のたもとまで行ってしまいましたが、ゆうちゃんは一歩一歩を大切に踏みしめます。少しずつ、けれど確実に、ゆうちゃんは鳥居に近付いていきます。

 そして鳥居をくぐる一歩手前で、ゆうちゃんは立ち止まりました。


 立ち止まって、鳥居を見上げました。堂々たる石の鳥居は、ゆうちゃんを歓迎しませんし、拒絶もしません。ただ石の冷たさと重さとをもって、悠然と、ここに立っています。

『ゆうちゃん、もう、さよなら?』

 ゆうちゃんの背後で、ミトラが言いました。

「……うん。もう、さよなら」

『そっか。じゃあ、さよなら』

 ゆうちゃんは、大きく深呼吸をします。クスノキの濃い森の香りが、体いっぱいに広がります。

 そして空を見上げたら、クスノキの枝ごしに、満点の星空が輝いていました。

『星が、とっても綺麗だね』

 ゆうちゃんの後ろで、ミトラも、星を見上げているようです。

『さよなら、ゆうちゃん。元気でね』

 ミトラの声に後押しされて、ゆうちゃんはゆっくりと、最後の一歩を踏み出しました。





 そして、ゆうちゃんは、目を覚ましました。真夜中だから、真っ暗。


 目が慣れてくると、段々と部屋の輪郭が見えるようになってきます。その天井に見覚えはありませんが、ここがどこなのか、なぜここにいるのか。ゆうちゃんは、ちゃんと分かっています。

 手を伸ばして紐を探り当て、ナースコールのボタンを押しました。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る