12月21日【てっぺんの女の子】
ついに、星に手が届きました。
それは思っていたより小さくて、ゆうちゃんの手のひらと同じくらいの大きさです。そして思ったより明るくなくて、ろうそくに灯ったひとすじの炎のように、ささやかな光を放っています。
ゆうちゃんが、そっと触れてみると、天頂の星は、ぶるりと身震いをしました。そして、クラゲのようにふわふわ泳いだかと思うと、シャボン玉のように弾けて消えてしまいました。
「ここまで来たんだね」
てっぺんで待っていた小さな女の子が、ゆうちゃんに言いました。
女の子が背負っている赤いランドセルは、色あせて、埃をかぶっています。履いているスニーカーも、砂にまみれてくたびれています。
「来なくても良かったのに。来ないほうが、良かったのに」
女の子は、口をへの字に曲げたまま、ゆうちゃんを睨みつけました。
『だーれ?』
ミトラは女の子を警戒して、ゆうちゃんの髪の毛に隠れてしまいました。ゆうちゃんはこの女の子を、よく知っているような気がします。
夜の公園で、ゆうちゃんたちが来るより前に、ブランコに乗っていたのは、この子でしょう。
ゆうちゃんたちが落ちたマンホールの蓋を、閉めてしまったのは、この子でしょう。
気動車の、あの恐ろしい3両目にゆうちゃんを引っ張り込んだのは、この子でしょう。
この女の子はいつも、ゆうちゃんの行く先々にいたのです。
『ねえ、だあれ? ゆうちゃんの知ってる人?』
ミトラの質問に、ゆうちゃんが黙っていると、女の子が尖った声で「そうだよ」と言いました。
「よく知ってる。嫌になるくらい知ってる。私、ゆうちゃんのこと、大っ嫌い」
『あっ、いじわる!』
ミトラが叫びました。
『じゃあ、ぼくだって、知らない子のこと、嫌いだもん』
「じゃあ、私だって、ミトラのこと嫌いだもん」
『あっ、とってもいじわる!』
ふたりが喧嘩を始めてしまったので、ゆうちゃんはどうしようかとあたりを見回しました。てっぺんには、星のほかには何もありません。けれど、星ならばたくさんあります。
夢の世界をここまで歩いてきて、ゆうちゃんは、こういう時にどうすれば良いのか、すっかりコツを掴んでいました。
ほら、あの星とあの星を繋げたら、テーブルみたいな形に見える。
ゆうちゃんがそう思ったら、星と星の間に金色の鎖が繋がって、金色のテーブルが現れました。真っ白なテーブルクロスには、金糸の刺繍が施されています。
ゆうちゃんは、星を繋げて、人数分の椅子も作りました。やっぱり金色の、ほっそりとした可憐な椅子です。
女の子とミトラは、目をぱちくりさせて、ゆうちゃんとテーブルとを交互に見ました。あんまり驚いて、喧嘩のことは頭から飛んでいってしまったようです。
ゆうちゃんは、しめしめと思って、ふたりに「何か食べようか」と言いました。
金の椅子に座って、ゆうちゃんは星空を見上げました。
「あの星とあの星を繋いだら、ケーキの星座に見えるね」
ゆうちゃんが言うと、星々はケーキになって降りてきました。雪のように白いクリームの上に、金の砂糖がかかっています。
『わあー、良いな、良いな! ぼくはねえ、あの星座がジュースに見えるなあ!』
ミトラが言うと、星のジュースが降りてきます。しゅわしゅわ、金色の泡が立っているので、炭酸ジュースなのでしょう。
女の子はムスッとしたまま座っていましたが、やがて空を見上げて、「私も、ケーキ」とだけ言いました。星は黙って輝くばかり。女の子のところには降りてきません。
女の子は不機嫌に、「ケーキ、ケーキ! ケーキの星座!」と足をばたばたさせました。星はうんともすんとも言いませんし、ちっともちょっとも動きません。
『お星様たち、どうして降りてきてくれないのかな?』
と、ミトラは不思議そうに宇宙を見上げます。
『寝ちゃったのかな?』
しかめっつらの女の子の目に、涙の膜が張りました。それはどんどん厚くなり、女の子の下まつげに重くのしかかります。
そしてついに、女の子は泣き出してしまいました。宇宙の果てまで届きそうな、大きな泣き声。いいえ、泣き声というよりも、叫び声のよう。
ゆうちゃんが、星のケーキを「どうぞ」と女の子の前に差し出しましたが、女の子はお皿を掴んで、ケーキごと放り投げてしまいました。
ケーキは星空に投げ出されて、流星になって消えていきます。
『あっ、悪い子!』
ミトラは怒りましたが、ゆうちゃんは、ただただ悲しくなるばかり。女の子は癇癪を起こして、暴れて、叫んで、泣くばかり。
「どうして? みんなが持ってるものを、どうして私は持っていないの? なんで、私にはくれないの?」
たまらなくなって、ゆうちゃんは女の子を抱きしめました。
女の子は、しばらくゆうちゃんの腕の中でじたばたしていましたが、やがてしゃっくり上げて、おとなしくなりました。
「私だって、綺麗な世界、優しい世界、欲しかったの。みんなずるいよ。悔しいよう、悲しいよう、寂しいよう……」
女の子は、ゆうちゃんにしがみついて、たくさん泣きました。ミトラは、女の子のことが嫌いでしたが、女の子がとても悲しそうに泣いているので、ミトラも悲しくなってしまいました。
『知らない子。さっきは、嫌いって言って、ごめんね』
ミトラが謝ると、女の子は無言で頷いたあと、たっぷりの沈黙のあとで「私も、ごめんね」と言いました。
女の子が泣き止んでから、ゆうちゃんはもう一度、星空にケーキをお願いしました。星のケーキは、ゆうちゃんが望めばいくらでも、金の光をまとって降りてきてくれます。
柔らかくて、甘くて、美味しいケーキ。だけど女の子は、それを食べようとしません。
『意地っ張りだなあ。こんなに美味しいのに』
ミトラがケーキを頬張りながら言いますと、女の子はぷいっとそっぽを向いて、「いらないもん」と言いました。
「でも、その代わりに、欲しい物があるんだ」
女の子は、甘えるようにゆうちゃんを見上げます。ゆうちゃんは、この子が、自分の欲しい物をしっかり分かっていることが嬉しくて、上機嫌で「なに?」と訊きました。
「あのね、ゆうちゃんが持ってる、桃のお水」
あっ、そうです。ゆうちゃんは思い出しました。何日前だったでしょうか、自動販売機で桃のお水を買って、半分残しておいたのです。
ゆうちゃんが思い出すと、嘘みたいに、ゆうちゃんの手の中にペットボトルが現れました。まるで、たった今飲み残したかのように、ジュースはまだ冷たいまんま。もちろん、ちっとも傷んでいません。
「飲みかけだよ? 良いの?」
「うん、良いの。だって、全部飲んだら、お腹たぷたぷになっちゃうから」
女の子はキャップを開けて、半分残った桃のお水を、ゆっくり味わって飲みました。
「美味しい?」
と、ゆうちゃんが尋ねると、「うん」と、女の子は言いました。
『良かったね』
と、ミトラが言いますと、また「うん」と、女の子は言いました。そして、ちょっとだけ、笑いました。
ぼわあ、ぼわあ。
お茶会が終わったころ、船の汽笛のような、低い音が響きました。上を見ると、夜空の一部を切り取って、大きなクジラが姿を現しました。濃紺の体に、銀河が煌めく宇宙のクジラです。
ゆうちゃんは、綺麗にからっぽになったお皿を前に、「ごちそうさまでした」と手を合わせました。
選択の時が来たのです。ここから先は一方通行。夜が、明けようとしています。
今夜の夢は、ここでおしまい。
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