第7話 とんかつの女神

 あれから数日。俺は相棒と共に日々の仕事をこなしていた。


 もしも何か不純な思考になり始めれば相棒が俺のことを諫めてくれる。このことが分かっているだけでとても前向きな気持ちになれた。俺は相棒という名のフォークに物凄く感謝している。


 そして彼女と共に映画を見に行く当日。


「お仕事終わったー!?」

「もうちょっと待ってくれー!」

「手伝おうかー!?」

「大丈夫だー!家で適当に休んでてくれー!」

「分かったー!」


 彼女はどこかに行くようの服を着ていた。今作業をしている場所が遠かった為良くは見えなかったが、それでもいつもの服とは違う雰囲気は感じは分かる。


 俺は作業をする速度を早めて何とか終わらせた。


「よし」


 今日の分は最低限これだけはやっておけばいいだろう。後は明日に回しても問題ない。


 俺は家に戻る。今回はこの時間で終わらせると決めていた為、納屋に着替えなども置いていない。


「ただいまー」

「おかえりー。お風呂入れてあるよー」

「サンキュー」


 いつの間にか風呂を入れるのを彼女の仕事にしてしまったような気がするが許してくれ。


 そんな思いと共に風呂に入りさっぱりする。そして出てきて直ぐに準備していた服に着替える。作業着やパジャマ以外に袖を通すのは久しぶりかもしれない。


 外行き用の服だから少し暑いが、映画館が併設されているショッピングモールに入ればそこまででもないだろう。


 俺は鏡を見て一しきり満足して居間に行く。


 そこにはわざわざ立って待っている彼女がいた。


「お待たせ……」

「うん……」

「「……」」


 お互いが沈黙してしまう。彼女はピンクのワンピースを着ていて、いつもより可愛らしくなっていた。いつもは短く切られている髪もヘアピンで止めてある。他にもいつもつけないようなアクセサリーやらを身につけていた。


「その……似合ってるよ」

「ありがとう……」


 なんだか気まずい。別に相手の悪い所とかを見つけた訳じゃないのに、なぜだろうか。


「それじゃあ行こうか」

「うん」


 2人で外に出る。


 そして戸締りをして、久しぶりに普通の車のハンドルを握る。俺の車普通の乗用車で前は使っていなかったが、田舎では必須と言われて購入したものだ。


 といってもそんなに使うこともないだろうと思っていたので、中古のそれなりのものだったが。汚く見えないようにしておいたし、車内も変な匂いが残っていないように芳香剤とかも置いていた。


 俺は当然運転席に、彼女は助手席に座る。


「意外とこっちも綺麗にしてるんだね」


 彼女は車の中を見回しながらそう言ってくる。


「まぁ、久しぶりに乗ったら埃が舞い散ったとか嫌だからな」

「あはは、どんな車なのよ」

「友達の車だ」

「え? ほんとにあったの?」

「ああ、最近乗ってなくて動くかなーって言ってて、乗ったらっていうか扉を開けたら埃がぶわって」

「ぶわって、何やったらそんなことになるの?」

「何でも車のガラスが少し空いてたらしくて、その隙間から色んな動物が入ってきてたり、ゴミが入ってきてたんじゃないかって想像に終わったな」

「その後どうしたの?」

「そりゃもう。窓ガラスを開けてガソリンスタンドにある洗車機に入って車を洗車したよ」

「それで落ちたの?」

「ある程度はな」

「そこまでやってある程度なんだ」

「運転手は乗ってなきゃいけないから。そいつも汚れてたし丁度よく洗えたから良かったんだよ」

「なんか……、凄い人だね」

「ああ、そいつのエピソードを語り出したらとまらないぞ?」

「聞きたい聞きたい」


 彼女は俺の友人のエピソードに執心のようだ。当時はそんな話に俺も参加していた側なのだが、今考えると中々に面白いというか凄い。他にも脇が爆発しそうになった話とかがいいかな?


 そんなことを話しながら車を運転していると意外と直ぐについた。


「それで実は奴の目的はな。おっと、着いたみたいだ。この話はまた今度にするか」

「ちょっと! そこでやめないで。続きが気になって映画が見れなくなりそう」

「仕方ないな。奴の目的は、囚われたハムスターの姫を救うのが目的だったんだよ」

「何で!? そんな話出てきてなかったじゃない!」

「それはまた今度」


 俺は車から降りて駐車場に降り立つ。やはり休日だけあってかなり混んでいたが、運よく空いている場所を見つけることが出来て良かった。


「続きが気になるよ……」


 彼女はそう言いながらも降りてきてた。


「ここから後1時間は続くからまた今度な」

「そんなに長かったの!? 確かに長いなとは思っていたけど!」


 俺は来るまでの移動中、彼女を楽しませるための話をしていた。それがさっきの話しという訳だ。特に考えていたわけではないけど、思い付きで話している間にかなりの長編になってしまっていた。この後も山あり谷ありの涙と笑いなしには聞けない話だったのだが残念だ。


「それでまずは腹ごなしから済ませるか」

「え? チケット買わないの?」

「もう買ってあるから後は発券するだけだよ」

「凄い! そんなこと出来るの?」

「知らなかったのか? ネットで割と簡単に出来るからおススメだぞ」

「今度やってみるね」

「ああ、それで何がいいかな」

「とんかつ! とんかつがいい!」

「とんかつ? 確かにあったな」


 ここの複合商業施設の中には色々な食事処も当然だがある。その中にとんかつ屋もあったが、それを選択するのは流石農家の子といった所か。動くと腹が減るから仕方ないよな。俺も大好きだし丁度いい。


「よし、それじゃあ行くとするか」

「うん!」


 そうして俺達はとんかつ屋に入る。昼時からは少し遅いからかちょっと混んでいる程度で、普通に座ることが出来た。


 俺達は案内された過度の席に座る。彼女は座るなりメニューを取り上げて、俺も見やすいようにして拡げてくれた。


「どれにする? 悩ましいんだよねー。ここのってどれも美味しいからさ」

「そうなんだ。初めて入ったから知らないんだ」

「そうなの? この名物なのもかなり美味しいんだよ! 他には他には!」

「ほうほう」


 そうれ~彼女のとんかつレクチャーが5分ほど続いた。彼女はかなりとんかつに熱が入っていて、その弁舌はキケロにも負けていないのは明白であったろう。彼女のとんかつへの愛は誰にも負けていなかった。


「ちょっといいか?」

「何? 後30分は説明しないと、とんかつの真髄まで辿り着くことは出来ないよ! 30分で辿り着けるのかも怪しいけど……、人によってはいけないこともあるから集中して聞いてもらわないと!」

「そのだな。そろそろ周りの視線も気になってくるのと、映画の時間もあるから……な?」


 俺がそう言うと彼女はゆっくりと周囲を見回す。


 周囲の人々は扇動するように熱弁する彼女に夢中だった。人によっては彼女に熱い視線を向け、続きを待っている熱狂的な信者も存在する。その姿は現代の、民衆を導くとんかつの女神といったところか。


 当の彼女はその様子に今の状況を振り返り、顔がドンドン赤くなっている。そしてドン! と音がするほど大げさに席に座り俯く。


「もうちょっと早く教えてよ……」


 小声で非難の声を上げる。


「でも楽しそうだったし」

「それでもこんな人の前で大声で喋ってると思わなくって……」

「まぁまぁ、直ぐに忘れてくれるって。それよりもメニュー見て決めようぜ」

「うん……」


 彼女の熱弁は後日SNSに『とんかつの女神降臨』と名前をつけられてかなりの反響があったのだが、それはまた別の話。

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