第27話 優しくないやつはどこまでも優しくない

「凛ちゃん、健太郎君、今からスマホを回収します。」

 千里さんは朝食を食べた後、そんなことを言ってきた。

「えっと、でも私、スマホがないと連絡が来た時困ります。」

「俺はボッチを極めているから余裕。あ、でも九時になったらサッカーゲームでログインボーナスがもらえるんでそれだけ受け取りたいです。」


 SNSの趣味垢すらないし、本垢も、誰かと絡むこととかないからね。


「二人ともダメです。ホントに早急なことは今やっちゃいなさい。スマホを見ると集中力を取り戻すのに六〇分くらいは時間がかかるとも言われているの。分からないことがあったら私たちが調べたり教えたりするから今は私たちを信じて我慢してくれないかな。」


 天使の笑みを携えて千里さんが言ってくる。


「スマホはいつ返されるんですか?」

「一週間後かな。」


 天使は軽く地獄のようなことを言ってくる。ってか、俺はともかく凛は色々なメッセージが滞っちゃうから無理だろ。


「それで…。それで、けんたろーと同じ大学に入れますか。」


 凛は真剣な表情で千里さんに聞く。


「今の凛ちゃんの成績は見せてもらったけれど、正直言って入れるようになるかは分からない。それでも、凛ちゃんが私たちの言う通りにしてくれるなら少なくとも凛ちゃんの目指す大学でも勝負はできるようにしてあげられる。それは約束する。」

「じゃあ、分かりました。でも、一応いきなり音信不通になると心配してくれる人もいるんでツイッッタと、ラインと、インスタにメッセージとかだけ打たせてくださいね。」

「それはもちろん。」


 一生懸命になろうとする凛を暖かく見守るように千里さんが凛を見つめている。だが、そんなにあの大学に行きたいのだろうか?理由が分からない。解せぬ。

 そこまで凛と親しくないはずの千里さんは分かっていそうなのに一〇年来の付き合いの俺には分からないとは。これがボッチと天使の差ってやつか。


「ああ、因みに言っとくけど千里と私がマンツーマンで別々の部屋で教えていくから。しっかり覚悟しなよ。とりあえず今日は、ボッチ君のことは私がみっちり教えてあげるから覚悟しといとね。」


 ニッコリと笑顔で千鶴さんが鋭い瞳を怪しく光らせる。

 嫌な予感がする。ってか、千里さんがいい。千里さんに教えてもらった方が絶対分かりやすい。


 *


「よし、童貞君にはまずはこれをやってもらってどのくらいの理解をしているのか見てあげよう。」

 開始早々、凛がいなくなった途端にボッチ君から童貞君呼びにクラスダウンした。


「開始早々何で呼び方かえるんですか。」

「ふむ、伝説の童貞ボッチ君の方がいいと。」

「いや、クラスアップしろって言った訳じゃないんですが。」


 ってか、そもそもその呼び名はクラスアップなのだろうか?


「あ、じゃあこれができたら超絶美女の私がご褒美に童貞をもらってあげよう。」

「なんか、サラッととんでもない罰ゲームを追加しないでください。」

「まあいいや。とりあえずはこれやって」


 そう言って渡された問題は高校三年間のすべての基礎を網羅しているような問題が各教科それぞれ二〇問程で収まっているようなものだそうだ。


「時間は一問一五分だよ。とりあえず、今日は物理をやるよ。テストみたいにやってね。」

 千鶴さんは急に空気をかえて真剣な声音で言ってくる。

「はい。」


 滅茶苦茶集中した。


 一四時になってやっと終わった。勉強した後の独特の頭の疲れが心地いい。頑張った自分を肯定したくなる。頑張ったなぁ。

 …いかん、いかん。この程度で満足していたら絶対受からない。休憩に入った後もまだ頑張らないと。


 千鶴さんは俺がやる傍から問題を回収して丁寧にメモをしたり、採点をしてくれたりしていた。


「物理はどのくらい苦手?」

「実は一番苦手です。力学がやっと分かってきたところです。」

「う~ん。なるほどね。じゃあ、午後は全然できていなかった波動から丁寧に教えてくからね。遅いけどご飯を作ってくるから、健太郎君は自分なりに今やった問題の見直しをしていてね。」


 誰、この人?なんか、名前呼びにしてくれているし、問題やっている間はおとなしかったし、ご飯も作ってくれるなんて。もしや千里さんと中身が入れ替わったりしていない?ただの滅茶苦茶いい人になっているんだけど。


 その後も二人で蕎麦を昼ごはんに食べた後(それぞれのペースで勉強しているため凛と千里さんとは別に食べた)、一緒に勉強を教えてくれたりした。スマホで調べることもなく、教科書を見ることもなく、丁寧に根本的な理解をさせてくれた。

 例えば、素元波は考え方の一つと考えると分かりやすく、これを使うと実際的に使いやすいとか、サインとコサインが出てくるからややこしいだけで、サインで統一してやれば意外と簡単だとか色々なことが記憶に定着したし、理解もできた。

 千里さんが言う通り千鶴さんは頭がよく教えるのも上手かった。


 すべての問題の復習が終わって、今日習ったことのテストをする時間になる。


「じゃあ、まずは、この図の波の式を書いて一つずつその意味を教えて。」

「それは、・・・」


 という風に進んでいく。


「よっしゃー終わったー。」

「そう言えばさあ、童貞君は凛ちゃんと小三の時にあんなことがあったんだって?流石童貞君はエッチだね。」


 いきなり千鶴さんはぶっこんできた。


「え、いやあれは凛を助けようと必死になって人工呼吸を見様見真似でやっただけで決して下心があったわけじゃなくて。」


 突然の問いに俺は早口で言葉を重ねる。


「ははは。目が泳いで挙動不審すぎ。きもっ。ってか、そこまで挙動不審だとホントは下心あったんじゃないかって思っちゃうじゃん。」


 くそっ。別人みたいにいい人になっていたから油断してた。やっぱりこの人は悪魔のような人だった。


「あ、因みに凛ちゃんは小三の時に何かあったとは言っていたけれど具体的な内容は言っていなかったよ。でも、やっとわかった。人工呼吸してあげたんだ~。」


 千鶴さんはニヤニヤと形のいい顔を綺麗に歪めて笑っている。


「別に笑いたきゃ笑えばいいでしょ。子どもながらに必死だったけれど実際あの人工呼吸が役にたったかは疑問でしょうし。あの時、凛にはうっすらとは意識があったらしいですし。」


 もうやけっぱちになってみる。凛ばらしてごめん。でも、千鶴さんが巧みなんだよ。すっかり信頼して、しかも疲れ切った時を狙って聞いてくるんだよ。


 これが医学部のやり方か。心理的盲点を突きやがった。


「あはは。必死になっておもしろ。でも、別に馬鹿にしたりはしないよ。」


 笑いながら静かに千鶴さんは言う。


「どうだか。」


「ううん。ほんとに目の前の人を何の知識もないのに救おうと行動できることは凄いことなんだよ。私なんて…」


 からかわれると思っていた俺は拍子抜けした。何も続きを言ってこない千鶴さんをみると、千鶴さんは俺ではなくてどこか遠い場所を見つめるようにしていた。


 *


「さあ、今日もお待ちかねの千里のご飯だよ。今日は私のリクエストで私のおばあちゃんの出身であるロシアの料理。」


 ああ、ロシア人のクオーターだから銀髪なのか。凄く綺麗な銀髪なわけだ。


「ロシア料理なんてあんまり作ったことなかったけど、千鶴に教えてもらいながら作ってみたよ。」


 ロシアの料理は分からないけれどどれも美味しそうなものだった。

 千里さんから説明がなされる。

 ピクルスやゆで卵を使ったポテトサラダにも似たオリビエサラダ。水餃子にも似ていて肉汁が溢れんばかりのペリメーニ、ペースト状のトマトのソースをのせたフランスパン。

 熟成された生ハムや脂ののったサーモン、香ばしいチーズなどを包んだ四角形をかたどるロシア風クレープのブリヌイが並んでいた。

 今日も豪華だった。千里さん凛へ教えながらこんな料理どうやってやったんだろう?


「うわー、千里の手料理でこんなに美味しそうなロシア料理が食べられるとか来たかいがあったわ~。」


 千鶴さんが目を輝かせてその数々の料理を懐かしむように見つめる。


「うん。私も作ったことない料理が作れて嬉しいよ。」


 それをみて千里さんは千鶴さんを温かく母のように見つめる。


「あ、そうだ。小三の時に凛ちゃんと健太郎君に何があったのか健太郎君が教えてくれたよー。」

「え、ホント。」


 千里さんが目を輝かせている。


「もっちろん。端的に言うとエロ少年はやはりエロかったね。」


 おい、千鶴さん。

 そんなこと言ったら、


「け・ん・た・ろ・う、どういうことかな?」


 凛が例の女帝モードで俺を見つめてくる。

 最近、思うのだけれど俺の周りの美少女の皆様、怒ると怖すぎじゃないっすか?

 それとも女性はこういうもんなの?


「でもだな。それは、千鶴さんに脅されてというか心理的な盲点をついた見事な作戦にやられてというか。」


 とりあえず、今は全力で言い訳をして命乞いをする。


「ってことはほんとに言ったんだ。」


 凛は静かに呟く。


「ごめんな。」


「有り得ない。だって、だって、あれは大切な…」

 そう言って何も言わずに凛は押し黙ってしまった。


「ってことはやっぱり人工呼吸もとい、キスをしちゃったんだ。」

 押し黙った凛をみて、千鶴さんは空気を読まずに、面白そうに俺をからかう。


「そ、それは、その。」

「もしかして、舌とか入れられたり吸われたりしたの?」

「んなわけあるか。小学生だぞ。しかも、俺は凛を助けようとしていたんですよ。」

「うん、まあ確かにそれはホントに凄いと思う。」


 揶揄ってきたと思ったら、それっきり千鶴さんはぱったりと黙り込む。

 押し黙ってしまった凛と、突然、黙り込んだ千鶴さんに重苦しい空気が続くのだった。


  

 原因は俺の発言だ。それだけは分かった。関係ない千里さんに申し訳ないし、二人にも謝らなければならないと思った。だけど、コミュ障の俺には原因がわからない。凛の方は恥ずかしいことを言ってしまったからだろうか?しかし、前に紗栄子さんの前でそれを言った時は呆れられたような気がするし、大切な…という言葉の続きが何かも分からない。

 千鶴さんの方はもっと分からない。


 だから、独り、自分の発言と二人の言ったことを繰り返し思い出して、解決の糸口を探そうとする。一回で分からないことは何度でも繰り返して理解する。天使に教えてもらった勉強法で彼女らの心に何とか寄り添おうとする。

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