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 宅配サービスの食事を広げながら、いただきますと掌を合わせる。ヘッドセットの向こうでエイトが『男前は何の飯食ってるんや?』と茶化してくる。

 ご飯の時だって電子で繋がっている。彼の咀嚼音ですら、俺には刺激的。

『なぁ、サク……』

「なに?」

 何かを食べながらだと、ガサガサとした雑音が邪魔だ。彼の声だけあれば、きっと俺は生きていける。

『お前フリーターなんやろ? 仕事とか探したりせんの? それか、これで食ってこうとか思ってる?』

 愛しい声が、痛いところをついてきた。

『休職中のオレが言うのもなんやけど、将来考えたら職には就いといた方がええやん?』

 何かを諭すような彼の言葉。わかっているけど、彼の声にそんなことは言って欲しくなかった。

 エイトは俺と同い年で、一応就職はしている。今は訳あって休職中らしいが、その理由は話してくれない。彼から言わせたら、ゲーム実況は趣味なんだろう。

「今は……考えたくない」

 絞り出した言葉はそれだけ。だけどそんなんじゃエイトは納得しない。

『今はって、それやったらいつ考えるんや!?』

 急な怒鳴り声に、俺ではなくヘッドセットがビリビリと痺れる。やっぱり安物は良くない。

『オレはな、実況で食ってくなら食ってくで、真剣にやれ言ってんねん! 売れてる動画の研究して、しっかりファン増やす努力しろ言ってんねん! オレらの登録者数いつまでもどっこいどっこいやないか! オレは趣味でしかまだやってないんやぞ!?』

「……研究?」

『あぁ、そうや。みんな何も努力せんと売れてるんちゃうぞ? 金貰うってことは仕事なんや。正社員で八時間労働して金貰うんと同じかそれ以上の労力かけな、正社員以上の金貰えるわけないやろ』

「……うん」

 わかってはいたけど正論だった。多分俺一人だったら……この結論には辿り着かないように、心に自動的にブレーキをかけていたに違いない。

「俺……頑張りたい」

 頑張って、エイトに怒られないようになりたい。自分の将来というよりは、その気持ちの方が大きかった。

『ええ子やな』

 急に甘い声が聞こえて、それだけで俺の心は強く強く絡め取られてしまう。この声に褒めて貰いたくて、この声のために頑張りたい。









『今日の配信良かったんちゃうか? やっぱ形から入るもんやな』

 上機嫌なエイトの声に、俺は上擦った返事を返すことしか出来なかった。

 あれから二人、電子の上で繋がりながら、研究に研究を重ねた。

『やっぱ顔出しって強いなぁ』

「……うん」

 研究の結果、今の俺達に出来るのは、機材の新調と顔出しという結論に達した。そうと決まれば二人揃って(さすがに一緒には買いに行けないが)電気屋に走り、ゲーム中の自分の表情を撮影するためのカメラを購入してきたのだ。

 そして俺は同時に、より質の良いヘッドセットも購入した。高性能なノイズキャンセリング機能つき。もっと声を、クリアに、何にも邪魔されずに聞きたいから。

『可愛いサクも見れたし、観覧数もいつもより多かったし、ええことばっかやな』

 あらゆるノイズを遮断された(ような気がする)無に、エイトの声が甘く響く。俺の耳<ここ>は、彼のためのもの。他の誰にも侵されない、彼専用の穴。

 鼓膜からの刺激でとろけてしまいそうになりながら、先程アーカイブに残された彼の配信分を保存する。

 今日の配信はほとんど大盛況と言って良かった。

 いつものように二人でコラボライブと称して配信を開始したが、顔出しというフレーズが効いたのか、観覧数はいつもの倍以上まで膨れ上がった。二人合わせて百人も登録者のいない弱小配信者なので、倍といっても数はしれているが、努力や工夫が数字に表れる達成感は心地よかった。

 また、嬉しいことに二人の見た目に対するコメントも多く、俺は可愛い可愛いと視聴者だけでなくエイトからも連呼されていた。

 俺は配信中、モニターに映った自分の表情は見ないように努めていた。絶対に顔が赤かったから。

 自分の見た目が褒められているから、というだけではない。

 別画面で開いていたエイトの配信。画面のなかの彼の姿に、胸が高鳴る。

 健康的な色黒の肌に、笑顔が映える男前だ。色男と言うフレーズがよく似合う。

『ん? コメント……カメラ近いって? 倒れへんように固定してもたからもう動かん! 堪忍や』

 ライブ前に通話で聞いた限りだと、ゲーム中に足などを家具にぶつけることが多いエイトは、カメラをしっかりとテープでぐるぐる巻きにして固定してしまったようだ。

 確かにコメントに流れているように、画面の大部分が彼であり、ソファらしき背もたれと壁しかあとは見えない。

 でも彼のルックスなら、顔面のアップでも充分耐えられるだろう。斜めからの角度で映る彼の顔が、画面の中でもキラキラと輝いているようだ。

『……サク?』

 ずっと俺が生返事なもんだから、きっと心配してくれたのだろう。視界を占領していた彼の顔から、慣れ親しんだ彼の声に意識が移る。

――うん、どちらも、好き。

「ごめんごめん。エイトがあんまりカッコいいから、見とれてた」

 嘘。ほんとは、ずっと――最初から、聞き惚れてる。

『嘘』

 低く通る彼の声。いやらしく鼓膜をねぶる。

『好きなん、オレの顔だけじゃないやろ?』

 彼の熱のこもった吐息が、小さく小さく無を震わせる。

『新しいヘッドセットのこと、配信中に嬉しそうに自慢して。そんなにオレに聞いて欲しかったん? サクってやらしー』

 喉の奥でククっと笑う彼の声。そんな声も出るの? 反則。

『なんでそんな、高価なもん買ったん?』

「……エイトの……」

『オレしか聞いてないんやから、ちゃんと言ってみ?』

 今は音声チャットしか繋いでいないから、きっと醜態はバレないから……

「エイトの声だけ聞いてたかったから」

『ほんま可愛ぇな。その声、生で聞かせてや』

 俺達はいつも電子の上で繋がってる。声も、吐息も、ほんの些細な外界の騒音も、生々しい生活音も……全部、たったひとつの感覚器官でしか繋がれていない。

 聴覚だけに依存したこの関係は、俺の汚いところを覆い隠す。愛しい人に見られたくない、狂おしいまでの欲望の姿。彼の声を聞きながら、俺は……

『声だけじゃもう……我慢できんやろ?』

 今まで聞いたこともない、エイトの声。俺だけに向いている。俺への言葉。俺のために声帯から溢れ落ちた、愛しき音色。

「うん……会いたい」

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