第8話 仮病


「おいおい、そんなに大げさに話すなって悟」

「本当だよ!おい、頭の後ろさわんな!」


 慎之介はへらへらと笑いながら、怪我をしている包帯の巻かれた悟の後頭部にちょっかいを出していた。


「ったく、本当に迷惑ね。大事な従業員が使えなくなったらどうしてやろうかしら」

 恵はため息交じりに答えた。


 悟はあのあと、少しばかりゲームセンターで気絶していた。

 気絶といってもほんの数分の出来事であったが、その様子を見ていた従業員が気絶した悟をバックヤードに連れていき、すぐさま手当をしてくれた。


 悟は頭の痛みが引かないということを従業員は聞くと、病院へ連絡を入れてくれたおかげで、夜間救急で後頭部のMRIを取ってもらうことができた。

 診断は軽い打撲だといわれ、悟は医者から今回はたまたま当たり所が良かったから大丈夫だったけど、頭蓋骨折をしてもおかしくないから次から気をつけなさいと念を押された。


 心配した母が車で迎えに来てくれ、悟はなんとか0時前には帰宅することが出来たが、その後も後頭部の青あざが痛み、安眠することはかなわなかった。

 おかげで、午前中の授業は欠席。昼からの登校となり、お昼ご飯を恵と慎之介と一緒に取っていた。


「その後どうなったんだ?」

「いや……わからないんだ」

「メッセージ送ればいいじゃん」

「既読になるけど、返ってこないんだ。学校にも来てないみたいだし」


 詩は学校に来ていなかった。

 昼休みになると同時に悟は教室に入って荷物を置いたが、隣の席には誰も座っていなかった。担任に聞いては見たが、詩は病欠で休みとのことだった。


 その後も、淡々といつものように学校の日々は過ぎていき、気づけば下校の時間となった。考えないようにと、詩と梓のことを記憶の端に押し込めたが、授業中もそれが気がかりで、集中をすることは出来ず、後頭部がズキリと痛むたびに悟はため息をついていた。


 頭を重くしながら家に到着し、その玄関にノブをかけると家の中から笑い声が聞こえた。

 車庫に車があることから母が帰ってきていることは確認できたが、それにしても家の中で笑い声がするとは少し不思議だなと思いながら、その扉を開けた。


「ただいま」

 悟の声は電気の点いていない薄暗い通路に煙のように漂い、閉まり切っていない明かりの漏れる扉の隙間に吸い込まれていった。

 最初は電話かとおもったが、玄関に見覚えのない水色のローヒールが端に寄せてあるのに気づき、人が来ているだなんて珍しいこともあるんだなと暢気に構えていた。


 玄関のガチャリと閉まる音が響き、リビングから「悟ー? 帰ったのー?」という母の声が聞こえた。

 悟は靴を脱ぐとそのままリビングへと向かい、明かりの漏れる扉を開けた。


「悟ー、帰ったなら返事ぐらいしなさいよね」

 テーブルに座る母が呆れたような声を出すが、そんな声は悟の耳を素通りしていく。

 それもそのはず、その母の声の後に「お邪魔してます」と可愛らしい声が聞こえ、悟の視線の先には私服姿の詩が座っていたのだ。


「有栖川……さん?」

 悟は戸惑いながら母に隣の席に座りなさいと手招きされる。

 何事だと思いながらも詩と対面する形で彼は着席した。


「遠野さん……昨日は申し訳ございませんでした」

 目が合った詩は座りながら頭を深く下げた。


「いやいや、頭上げて! そんな大した怪我じゃないから大丈夫だよ!」

「それでも怪我をさせてしまったのは事実です……」


 頭をゆっくりと上げた詩は涙ぐんでいた。

 きっと病欠というのは嘘だったんだろうと悟はこの時分かった。


「まぁねぇ……。怪我したっていうのは事実だし、今回は大事に至らなかったからよかったけど親としては子供を守る義務があるからね」


 悟の母はゆっくりと口を開いた。

 朝方、悟の母は彼が怪我をして午前中の授業を欠席せざる得ないことを担任に伝えた際、帰宅時に一緒にいた詩がなんらか事情を知っているんじゃないかということで連絡先を教えてもらっていた。


 そして詩の自宅に連絡を入れると、詩が電話に出て事情を話したという経緯なのだという。

 悟が帰ってくる少し前に母は帰宅したらしいが、玄関前に詩が菓子折りを持って立っていたのだと聞かされた。


「悟、確かに女の子とのいざこざを秘密にしたいのはわかるけど、今回は少し違うわ。誰かを守ったわけでも何でもないのよ。あなたは一方的にやられた。妹の"梓"さんがやったのは聞いたけど、それがたまたまだとしても本来であれば梓さんが来るべきなの。詩ちゃんは関係ないのに頭を下げてるんだから、悟も見習いなさいよ」


 悟の母はいつもになく真剣であった。

 確かに悟は病院で母に転んだだけだと嘘をついていたが、母はそんな嘘を見抜いていたようで、すぐさまそれが詩と関係していることを知った。それが暴漢から守るためだとかなら母も黙っていたかもしれないが、不慮の事故であったとしてもただ一方的にやられたのであれば、それは違うと暗に彼に伝えていた。

 それに親が電話をしてしまったせいで、詩は関係ないのに罪悪感を背負ってしまっている現実を突きつけられた。


「まぁ、今回は軽い怪我だったし、大事にもしたくないからこれで話は終わり! じゃあもらった菓子折り頂いていい?」

 詩が「どうぞ、ぜひ頂いてください」というのと同時に、「やったー」と母は子供のように喜び、3人分のカフェオレを入れ、菓子折りの焼き菓子を器に移した。

 3人でカフェオレをすすり、焼き菓子を食べ始める。


「有栖川さん」

「どうしました?」

「あの後……どうなったの?」

「梓は……あのあと私を撒いてどこかに行ってしまいました」

 詩はカフェオレをすすり、そしてため息をついた。


「なんであんなにお互い中悪いの?」

 本来であれば他人の家庭環境に口出しをするものではないが、こうなってしまった以上、悟にはそれを知る権利はあった。


 たとえそれが、複雑な柵に纏われた事情であったとしても。

 少しの間をおいて、ゆっくりと詩は梓と自分自身の過去について口を開いた。

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