第7話 私、は……


 ふと気がつくと。私は身体を揺すられていました。目を開けてみると、あのエルフの女の子――オトハさんが心配そうに私を見つめています。


「……大丈夫、です」


 そう言って、私はゆっくりと身体を起しました。周りを見ると、先ほどジルさんとリィさんとお話していた部屋のままです。


 あの二人はいないみたい……と思ったら、部屋の隅で仰向けに、まるで潰れたカエルのような体勢のまま気を失っているリィさんの姿がありました。頭には大きなたんこぶができています。


「~~っ!」


 起き上がった私に、オトハさんが抱き着いてきました。本日二回目ですね。


「大丈夫、です。何が、あったんですか?」


 ひし、とこちらを抱きしめてくるオトハさんをあやしつつ、私は事情を聞きたいと言いました。


 すると、オトハさんははっとしたように私から離れて、キョロキョロと辺りを見回しています。


(……しまった)


 それを見た私もはっと思い出しました。そうだ、オトハさんは喋れないんでした。それなのに事情を聞きたいって、それは無理なお話ですよね。


「……すみません」


「っ!」


 謝罪を口にした私でしたが、オトハさんはそれに耳を貸していない様子で、机の上にあったものをひっつかんできました。


 それは、メモ用紙とペンでした。


 一心不乱に何かを書きなぐり、書き終えた瞬間にメモ用紙を破いて、私に見せてきます。そうか、筆談という方法がありましたか。


『あの人はわたしが気絶させました。ここにいたら酷い目に遭います。逃げましょう』


 私はその文字を見て思ったのは、まあ、そうでしょう、というものでした。


 オークを殺したり、オトハさんという解放されていない奴隷を見つけてしまったりと、問題を起こしたのは私です。


 ジルさんからしたら、面倒ごとを増やしやがって、というところでしょうか。自業自得、というやつですね。結局は、私が悪いんです。


「そうですか……いえ、逃げませんよ。仕方、ありませんから……」


「っ!?」


 一体何をされるのだろうと、諦め半分でそう口にした私に対して、オトハさんは目を見開きました。


 首を必死に横に振った後、またメモに書きなぐります。


『あの人たちは記憶処理をするって言ってました。おそらく、幻影魔法を幾重にもかけられて無理やり頭を壊されます。酷いと、自分がなんなのかも解らなくなってしまいます』


「そう、ですか……精神系の魔法は、キツいですもんね……」


 幻覚を見せられる魔法は何度か使われたことがあるのですが、短時間で済むとはいえ、あれは下手な肉体的苦痛よりも辛いものです。嫌な思い出が蘇り、私は首を振りました。


「……でも、私がやったことですからね。悪いのは私です。リィさんを気絶させたのも、後でちゃんと謝りましょう。少し痛い目に遭うかもしれませんが、やったことはちゃんと謝らないと……」


『逃げましょう』


 私の言葉を遮って、オトハさんはそう書かれたメモを見せつつ、強い目で訴えてきました。


 少しびっくりしましたが、私はそれに首を振ります。


「それはダメです。私が悪いことをしたんですから。やはり、三名も殺したうえに勝手にオトハさんを連れてきて……」


『違うっ!』


 話の途中に突き付けられたメモには、大きな文字でそう書かれていました。


『最初はわたしのことだと思ってました。何だかんだ言って、結局わたしは奴隷だから。マサトが何を言ったところで、どうせ、どこかに連れていかれるんだと思っていました』


 彼女が書くメモを、私は順に読んでいきます。


『でも違った。あの人たちはわたしのことなんて気にもとめていなかった! もっと大事なことがあったから、わたしは無視された!

 それに、マサトがオークを殺したこともどうでもいいみたいだった! 気にしてるところが全然違ってた!』


 オトハさんのメモを見て、私は衝撃を受けました。てっきり私はジルさんが怒っているのは、私がオークを殺したりオトハさんを連れてきたりと勝手なことをしたからだと考えていました。


 でもそれが違うと、オトハさんは言います。なら、一体。


「どういう、ことなんですか……?」


『あの人たちが一番気にしてたのは、マサトが魔法を使ったっていう話だった!』


「っ!?」


 は、はい? 一体、どういうことでしょうか。私が魔法を使ったという話は確かにしましたが、それが一体何だって言うんでしょうか。


 確かにまさか自分が魔法を使えるなんて思ってもみませんでしたが……。


『わからないけど、あの人たちはわたし達の知らないことを危険視して、それを隠すために強引な手段を取ろうとしてる。このままだと本当に何をされるか解らない』


 そこまで書いたメモを見せた後、オトハさんは先ほど見せてきたメモを再度、私に突き付けました。


『逃げましょう』


 その言葉を見た時、私の頭の中では色んな事柄がグルグルと回っていました。私が魔法を使えることが問題? しかも、オークを殺したことや、オトハさんのことがどうでもいいほどのこと?


 一体全体、何が何だか、ちんぷんかんぷんです。


『お願いです、一緒に逃げましょう。逃げてください。このままだとおそらく取り返しがつかなくなる。わたしは、わたしを助けてくれたあなたが……心配なんです』


「っ!?」


 そう書かれたメモを、オトハさんは手渡してきました。それを見た私は、酷くびっくりします。


 何故なら、この世界に来て、私の事を心配してくれる人がいるなんて、思ってもみなかったから。


(私を……心配して……?)


 この世界に来てからというもの、私は酷い目に遭ってばかりでした。


 こうしなきゃいけない、ああしなきゃいけないという向こうの都合ばかりで振り回され、私はただ言われたままにこうするだけ、という有様でした。


 周りがそうしろという人ばかりだから、言われるがままにすることが普通のこと。


 それはつまり、私個人がどうとかよりも、もっと大切なことがあるから。酷い言い方をしてしまえば、私自身がどうなろうと、周りからしたら知ったこっちゃないから。


 そういう空気を感じていたから、私は諦めていました。どうせ、私を心配してくれる方や、私の事を考えてくれる人なんていないと思っていたから。


 しかし今、目の前に、私の事を心配してくれる人がいます。真っ直ぐに私を見つめ、思ってくれている人がいます。


 元の世界の家族も含めて、こんなに真っ直ぐに、私の事を見てくれる人がいたでしょうか。いや、こんな人なんていなかったかもしれません。


「…………」


 それ以上、オトハさんは私にメモを見せてきませんでした。


 ただ、見上げる形でじーっと、私の目を見てきます。決めるのは私だと言わんばかりに。


(…………どう、しましょうか)


 正直、あまり時間もないのかもしれません。気絶しているリィさんが起きてくるかもしれませんし、ジルさんがいつ戻ってくるか解りません。


 リィさんが起きるだけならまだ何とかなるかもしれませんが、ジルさんが戻ってくれば抵抗することすらできないでしょう。


 それに、何と言いますか、この後でジルさんに出会ってしまったら、もう全てが終わってしまう気がしています。


 何かを決めるなら、何かをするなら、もう今しかない。そんな感じが、拭えないでいます。


(……しかし……)


 今までの私は、周りの都合に合わせられない自分が悪いのだと思い、何も決めないで、言われるがままにしてきました。


 しかし今、私の所為ではなく、何か違う都合で、私の今後を決められようとしています。


 今までみたいに流れに身を任せていいのだろうか。それで何かが変わるのだろうか。そう考えましたが、その答えはすぐに内側から湧き上がってきました。


 きっと、何も変わらないのでしょう。ひどい目に遭うのでしょう。このまま行けば、何も知らないままに、ただ苦しい思いをするだけなのでしょう、と。


 それを私は、本当に良しとするでしょうか。私の本心は、納得しているのでしょうか。


 目の前には、私の事を本気で心配してくれるオトハさんがいます。このままじゃダメだ、一緒に逃げようと言ってくれています。


 今一度、私は自分に問いかけてみます。本当は、どうしたいのか。


 これまでのように、両親やジルさんのような誰かの都合で流れに身を任せるだけではなく、一体どうしたら、自分自身で一番納得できる形になるのか。


 時間がなくても、もう一度、真剣に考えてみます。


 私は、私は……。


「私、は……」

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