第19話 出席要請
パーシヴァルさんが慌ただしく帰ってから二日間は、特筆する事もなく仕事が終わった。そして三日目、件の日から二日後の夜12時。この日も特に問題なく仕事が終わり。
「よし、今日の営業おしまい。皆、お疲れ様」
「「お疲れ様でしたー」」
タニアさんがポンと手を打ち鳴らして、着席していた女中たちが揃って立ち上がった。この後は店の掃除と片付けだ。
が、各々が座っていたテーブルの上の食器に手を付ける前、タニアさんが声を上げる。
「ああ、それと片付けの前に、いいかしら」
普段は言わないその言葉に、全員の動きが止まった。視線がカウンターに集中する中、タニアさんがにこやかに笑いながら言う。
「今日はとても大事な話があるの。片付けが終わったら、皆バックヤードに集まってちょうだい」
「「はーい」」
返事を返して、各々が片付け作業を開始した。しかし当然、普段は起こらない事態にひそひそ話が始まる。女性ばかりの職場だもの、こういうことは起こるだろう。
「なんなのかしら」
「また新人さんが入ってくるとか?」
あちらこちらでひそひそ、ひそひそ。それと一緒に食器を片付ける音。
私も私で、隣のテーブルを担当していたデビーさんが声をかけてきた。
「リセ、何か知ってる?」
「あー……」
彼女の言葉に、視線を逸らしながら返事を返す私だ。正直、私には察しがついていた。タニアさんが「大事な話」と前置きするくらいの話だ。きっと、
「確証は持てないけど、たぶん、
「あれって?」
ぼんやりと答えを返すと、デビーさんがこてんと首を傾げる。いまいちピンと来ていないらしい。そこでようやく彼女の方に視線を向けながら話し始める私だ。
「あの、一昨日の……って、あー、デビーさん一昨日休みだったっけ確か」
「そうね、私は非番だったわ。何かあったの?」
説明をしようと思ったが、そうだ、デビーさんは一昨日この店の中にいなかった。それじゃあ私やタニアさん、パーシヴァルさんのやり取りも知らないだろう。
とはいえ、それをここで説明するのもはばかられる。加えてそんなに説明できることが無い。なので。
「まあ、あったっちゃー、あったかな……」
なんかすごく薄ぼんやりとした答えを言うに留まる。結果的に何も伝えられていなくて、ますますデビーさんが首を傾げた。
「んん?」
「ほら、二人とも、早く掃除しないと遅れちゃいますよ」
と、片付けそっちのけでお話に興じている私とデビーさんに、ベッキーさんが声をかけてくる。いけない、すっかり手が止まっていた。
「はーい」
「ま、後でタニアさんが説明してくれるでしょ」
急いで片づけを再開しながら、私は苦笑しつつ言葉を零した。
片付けやら掃除やら、店での作業が終わり、バックヤードにて。
今日に店に出ていた人のみならず、非番だった人までもが全員揃う中、二人の人物がバックヤードに入ってきた。
一人はタニアさん、もう一人は彼女と同年代の、ライオンのたてがみみたいな髪の毛をした
その男性が、にこやかに手を挙げながら私達へと声をかけた。
「やあ少女諸君、毎日の業務お疲れさまだ」
「えっ」
「えっ……?」
その行動に、少なくない数の女中が戸惑いの声を上げた。私の隣でもベッキーさんやエステルさんが驚きに目を見張っている。キャメロンさんに至っては顎が外れたかのように口を開いていた。
そんなにか。そんなにこの男性の登場は衝撃的なのか。
「ベッキーさん、誰あれ。皆驚いているけど」
「あの人、店長さんです……ロビンさん……」
隣のベッキーさんに問いかけると、声を震わせながら彼女は答える。
ロビンさん。聞いたことがあるぞ、確かメレディスさんのお屋敷でのパーティーでパーシヴァルさんが話していた人だったっけ。
果たして、私達の前に立ったタニアさんが、ロビンさんの肩に手を置きながら話を切り出す。
「多分知らない人も多いだろうから説明するわね。ロビン・ラーキンズ。この『赤獅子亭』の店長で、私の旦那」
あっさりした口調で話すタニアさん。その言葉を聞いてますます、女中の間に動揺が広がっていく。
そりゃそうだ、私だって先日のパーティーで話を聞くまで、タニアさんが女中長と店長を兼任していて、その立場上女中長を肩書きにしているだけ、と思っていたのだから。
私と同様、彼を知らなかった女中はそこそこいるらしく、あちこちで驚きの声が漏れ聞こえている。
「うそ……」
「初めて見た……」
彼女らの反応に小さく首を傾げて、私はもう一度ベッキーさんに問いかけた。
「普段店にいないとは聞いていたけど……そんなにいないの?」
「そんなにいないんですよ。市内のあちこちにお店を持ってる人だから……一番街通りの『
「はー」
回答を聞いてなるほど、得心が行った。それだけあちこちの店のオーナーになっていて、いいところに店を構えているのなら、そりゃここの店にはそんなに顔を出さないわけだ。妻であるタニアさんを代理の店長に据えているのも、顔を出しに来ない理由の一つだろう。
しかし、一番街通りにも店を構えるほどの人物だとは。道理で店には名だたるお貴族様がやってくるし、店にはいい酒が入ってくるし、ロビンさんも身綺麗にしているわけだ。
そして、ロビンさんが眼鏡を直して咳払いをする。
「えー、オホン。少女諸君。今朝がた、私の家に王宮から手紙が届いた。差出人は外務庁長官、デイミアン・マキーヴニー侯爵だ」
話を切り出すや、彼のジャケットの内側から手紙が出てくる。金箔で何やら印が捺されていた。話を聞くに、マジモンの本物らしい。女中たちのざわざわがより大きくなる。
「外務庁長官?」
「そんな人が一体なんで……」
あちらこちらから何故、どうしての声が聞こえ、バックヤード全体がざわつき始める。そのざわざわを抑えるように両手を広げながら、ロビンさんがもう一度口を開いた。
「静粛に諸君。手紙の内容はつまりこうだ」
そこまでで一度言葉を区切り、手紙を広げながらロビンさんは、こう言った。
「『来たる1の月35日、外務庁主催でワーグマン皇国のラフェエル5世陛下、コンスタンス皇后陛下を国賓としてお招きしての祝宴を開催いたします。ついては、貴店について調理・接客担当を委託したく存じます』――」
「「えぇぇぇぇ!?」」
途端に、先程までのざわつきとは比べ物にならない、絶叫のような声が女中達から上がった。
そりゃそうだろう。国賓を招いてのパーティーに。うちの店が。うちの店の女中が。スタッフとして参加してほしいという手紙が届いたのだから。
しかも1月って今月だ。今日が14日だからおよそ三週間後。
「はー……やっぱりそうなったかー……」
大騒ぎになる女中の只中で、私はただ一人、深くため息をつきながら額を抑えて呻いていた。
確かに私は、こうなったらいいのにな、と言う話をしたことがある。まさか実現するだなんて。それもこんなにすぐに。別の意味で叫びたい気分だ。
ロビンさんがもう一度、女中達を落ち着かせるため声を上げた。
「落ち着いてほしい諸君。要請はあったが、まだ本決まりではない。明日、マキーヴニー侯爵以下外務庁の面々が視察にいらっしゃる。そこで我々の料理、接客が他国の要人をもてなすのに相応しいかどうか、見極められるとのことだ」
彼の言葉に、ざわつきは落ち着くものの完全には落ち着かなかった。と言うか別の意味で、女中達がざわざわし始める。
要するに抜き打ちテストだ。それが明日、あるという。しかも外務庁の人間が総出で……これは緊張しない方がおかしいだろう。
戸惑いの色が濃い女中達に、ロビンさんが満面の笑顔を見せながら声を張り上げる。
「いいかい、少女諸君。これはまたとないチャンスだ。皇帝陛下のおもてなしを成功させることが出来れば、私達はもっと高いレベルに到ることが出来る。三番街通りの店にこのような依頼が来ることは異例だ。全員、全身全霊を持って成功させるよう頑張ってくれたまえ!」
「「はいっ!!」」
激励の言葉に、女中達が一斉に声を張り上げた。
彼の言う通りだ。こんな機会、きっとまたと無いだろう。そのチャンスをふいにするわけにはいかない。
意思統一が図れたところで、ロビンさんの話を隣で聞いていたタニアさんが口を開いた。
「明日は店内貸し切りのため、一般のお客様は来店なされない。同伴の予定がある子と、体調がすぐれない子以外は、極力店に立って仕事をしてちょうだい」
「「はいっ!」」
「以上。解散!」
返事を返す女中達に、ロビンさんがキリリと表情を引き締めながら声を上げる。
解散の声に合わせて、バックヤードから女中用宿舎に戻っていく女中達。私もそれに続こうとしたのだが。
「ああ、リセ、ちょっと」
「はい?」
タニアさんに呼び止められ、私は足を止めた。手招きする彼女の方に向かうと、その手に一通の封書が握られているのが見えた。彼女はそれを、私に差し出してくる。
「これ、マキーヴニー侯爵から、貴女へ。『
「はい……?」
戸惑いがちに受け取り、封蝋が捺されずに折りたたまれただけの手紙を開いた。恐らくは、ロビンさんに届いた手紙に同封されていたのだろう。内容にざっと目を通す。
――国王陛下と王子殿下の
外務庁の面々も
つきましては、祝宴の際に思う存分お二方を
ラム王国外務庁長官 デイミアン・マキーヴニー ――
「はー……」
「侯爵は、貴女に結構な期待を寄せていらっしゃるみたい。コンラッド伯爵から進言があったのでしょうね」
ため息をつく私に、タニアさんが苦笑を向けてくる。内容を見るに、確かにパーシヴァルさんからお話があったのは間違いないだろう。
きっと、私の話を聞いて、タニアさんと日程調整をして、
ロビンさんがにこにこと笑みを見せながら、私の肩を叩いた。
「期待されているのはいいことだぞ、少女。頑張ってくれたまえ」
「は……はい……」
表情を強張らせながら、生返事を返す私。
これは責任重大だ。場をあつらえてもらったことに感謝をしながら、心の中で冷や汗を垂らすのだった。
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