第16話 文化のブレイクスルー

「はー……気楽……」


 その週の星の日。私は昼間からクリフトンの町をぶらぶらと散歩していた。

 今週は定休日の水の日に同伴の仕事が入ったから、休みが変則的だ。水の日の翌日の木の日が休みで、土の日がまた同伴。そしてシフトで今日が休み、という具合だ。

 このところはあちこちに引っ張りだこだったし、内勤は内勤で国の重要人物ばかりに指名されるものだから、ろくに街に出れていない。今週の木の日は疲れからか一日中、家でぐったりしていたし。


「最近忙しくて、仕事以外で他のお店とか行けなかったからなー。せっかくだし行ってみようか、他のお店」


 そう言いながら、私が歩くのはクリフトンの町でも特に飲食店の多い、西三番街通りだ。私の勤める「赤獅子亭」がある三番街通りが風俗サービスのある酒場の多い通りだとすれば、西三番街通りはレストランだとか、酒場の中でもお酒の提供を主にしているお店だとかが多い。東京で言えば、歌舞伎町と西新宿みたいな違いだろうか。

 通りの両側に並ぶ様々な店を覗きつつ、私が向かうのは一軒の酒場だ。通りに面した扉の上の、黄色く丸い看板を探す。


「えーと、『満月橋亭』……あ、ここだここだ」


 しばらく歩いていると、通りの北側に見つけた。ちょうど目につく高さに看板がかかっている。扉を開けて、中を覗き込んだ。


「お邪魔しまーす……」

「おや?」


 昼過ぎの時間帯、客の姿はいくらかある様子。昼間っからでもクリフトンの酒飲みは酒を飲んでいる。まぁ、そういう国柄だから気にしない。

 そして顔を覗かせる私を見て、カウンターの向こうでグラスを磨く翼の生えた羽耳族ダウンイヤーズの青年が目を見開く。つい先日に知り合った顔だ。「満月橋亭」店長の「覚醒者」、カミーユ・バイエである。


「ああ、リセ様。こんな時間から珍しい、ようこそお越しくださいました。ささ、こちらへ」

「お邪魔します、カミーユさん」


 彼に挨拶しながら、私はカウンターの空いている席に腰を下ろす。私の前に食器を入れた箱を置きながら、カミーユさんが笑いかける。


「今日は、お仕事の方は?」

「休みなんです。通常シフトで水の日の他にもう一日休みがあるんで、うち」


 そう話しながら、私は箱の中に入れられた布巾を手に取り、手を拭った。

 クリフトンの酒場では、日本のおしぼりのようにカトラリーと一緒に手を拭う布が渡される。この布で、入店時や手が汚れた時に拭くという仕組みだ。

 このシステムを最初に知った時は驚いた。結構、異世界でもちゃんとしているところはしているものである。

 一息つく私を見て、カミーユさんが嬉しそうに頭を下げた。


「それはそれは。是非ごゆっくり、ご堪能下さいませ」

「ありがとうございます……にしても、すごいですね、これ」


 彼に返事を返しながら、私が目を向けるのはカミーユさんの後ろ、カウンターの奥の壁にずらりと並べられた酒の瓶だ。

 ウイスキー、ブランデー、アップルワイン、リキュール、スピリッツなどなど。かなりの種類の蒸留酒が、所狭しと並んでいる。現代日本のオーセンティックとは比べるべくもないが、この世界でこれだけの量の酒を揃えるのは大変だっただろう。

 感嘆の息を漏らす私に、カミーユさんが瓶を一本手に取りながら笑う。


「当店自慢の蒸留酒のラインナップでございます。醸造酒は地下のセラーで保管しておりまして」

「地下にセラーがあるんですか!?」


 手に取られ、目の前に置かれた瓶をまじまじと見ながら私が声を上げる。まさか地下にワインセラーまで備えた酒場だとは。恐れ入った。

 ちなみにこの「満月橋亭」というお店、王都の中でもかなり有名な部類に入る酒場なのだそうだ。外務庁主催のパーティーで料理を任されたこともあるとのこと。

 店長であるカミーユさんも王都では結構名の知られた人物で、先のメレディスさんの屋敷で行われたパーティーでは、各貴族がこぞってこの店に押し寄せ同伴を求めて手紙を置いていったのだとか。そりゃ、財務庁長官クラスでないと射止められないわけだ。

 そんな、ものすごい人物が私にいたずらっぽく笑いかけている。


「ご興味がございますか?」

「そりゃー……無いと言ったらウソになりますけど……」


 彼の言葉に視線を逸らしながら、私は目の前に置かれたウイスキーの瓶に手を伸ばした。

 やっぱり、見間違いじゃない。「アーマンド」で五本の指に入る蒸留酒と名高い、サリス公国産の「スノーソー」だ。それもエントリーモデルの10年熟成物じゃない、ワンランク上の16年熟成物だ。こんなの、一瓶買おうと思ったらリーゼの月給、二割はすっ飛ぶ。私が覚醒してからは同伴の仕事が増えて、お給料が増えたから分からないけど。

 こんな酒を普通に置いている店だ。絶対地下のセラーは、宝の山であることだろう。カミーユさんも苦笑を禁じえない様子。


「ですよね」

「さすがに、立ち入りは……ダメですよね……」


 私がおずおずと言葉を投げると、彼は小さく頭を下げた。そりゃそうだ、いくら同業者であるからといって、自分の店の最深部に踏み込ませてくれるほどのお人好しはこの世にいない。


「申し訳ありません。ですが、『こういう酒が飲みたい』というご要望には、きっと十二分に応えられるかと思います」


 そんなことを嘯きながら、カミーユさんは私にウインクしてみせた。こういう所作も、「覚醒者」らしいところだなと思う。「スノーソー」のボトルをうやうやしく手渡しながら、私もにんまりと笑った。


「期待しちゃいますよ?」

「どうぞどうぞ」


 そう言われたら私も酒飲みとして、興味を抱かずにはいられない。

 そこからはカミーユさんにおすすめを聞いたり、飲みたいワインの傾向を伝えて選んでもらったりしながら、色んなワインに手を出していった。勿論、それぞれで結構な量を飲んで、である。

 アリンガム領産の高級ワインである「ペニンシュラ」、同じくアリンガム領産、王国三大ワイナリーにも数えられる「カーナル社」の醸す「ラ・カーナル」、チェシャー領産、生産量の少ないワインとして有名な「ブルームーン」。どれもうちの店ではなかなか手の出せない高級ワインだ。ありがとう、私を指名してくださるお貴族様方。皆様のおかげでいい酒が飲めています。


「はー……最高」


 「ブルームーン」の二杯目を飲んで、私がほうと息を吐く。ちょうど他のお客さんの応対を終えたカミーユさんに、私は声をかけた。


「カミーユさんって『覚醒者』だと聞いてますけど、こっちに来られたのはどのくらい前なんですか?」


 私の問いかけに、彼の調理の手が止まる。この店の看板メニュー、じゃがいものガレットをひょいっと持ち上げフライパンから宙に舞わせ、ひっくり返しながらカミーユさんが笑った。


「もう、25年前・・・・になりますかね。元の世界は、恐らくリセ様と同じだと思われます」

「25年!?」


 その言葉に、私は一瞬吹き出しそうになった。25年前って、そんな昔か。私が小学生にもなっていない頃だぞ。おそるおそる、私は質問を重ねる。


「……失礼ですけど、今のお年は」

「26になります。なのでほとんど、赤ん坊に生まれ変わったようなものでございますね」


 そう話しながら、苦笑を零すカミーユさんだ。死んで、目が覚めたら1歳の赤ん坊になっている。文字通りの異世界転生だ。きっと自分の事情を説明するのも大変だっただろう。

 曰く、地球のフランス、リヨン出身。そちらで命を落とした時、彼は52歳だったという。道理で、若い割に雰囲気が老成しているというか、熟成しているわけだ。


「元の世界ではシェフの職に就いておりました。その筋では結構名も知られていたのですが、まさかこのような形で、その時に培った技術を生かすことになろうとは」


 そう話しながらカミーユさんは、じゃがいもを細く千切りにして下味をつけている。ガレットは元々フランス料理だ。フランス出身とのことだし、料理の下地もそこなのだろう。


「お名前的に……専門は、フレンチでした?」

「その通りでございます。主にパリで活動しておりました」


 問いかければ、やはりそうで。曰くパリの星付きレストランで、スーシェフ副料理長を務めていたこともあるそうだ。

 私は嘆息した。これは間違いない、本物の、年季の入った料理人だ。色んな貴族から引っ張りだこになる理由も分かる。


「はー。本物のフレンチのシェフですか。それは、調理技術がずば抜けているわけだ」

「日本にいらした方にお褒めいただけるとは光栄です」


 感心しながらワイングラスに口をつける私へと、カミーユさんが会釈する。そう言われると、なんかちょっとむず痒い。

 ガレットを焼きながら、カミーユさんが嬉しそうに話を続ける。


「私もフランスで身に付けた調理技術をこちらで遺憾なく発揮して、ラム王国の料理に革命を起こした自負はありますが、リセ様ほどの大きな動きは出来ていませんので、羨ましい限りです」

「あ、やっぱり起きたんですね、何らかの革命的なこと」


 その言葉に、舌なめずりをしながら私も笑う。「覚醒者」は得てして、この世界では知り得ない、出来得ない知識や経験を武器にこの世界で立ち回る。それがきっかけになって国に、世界に「革命的」とも言える変革が起こることも、珍しくはないのだとか。

 カミーユさんが焼き上げたガレットに包丁を入れ、それを盛り付けた皿を私の前に出しながら笑った。


「私が『覚醒』するまでは、ジャガイモと言ったらマッシュするかベイクドするか、しかなかったそうですからね。茹でたものをマッシュせずに素揚げするとか、細長くカットしてまとめてベイクドするとか、私が開発したことになっている調理法はいくつかございますよ」

「はー、やっぱそういうブレイクスルーってあるんだなぁ」


 ガレットにフォークを入れながら、感心し通しに言葉を漏らす私だ。そして切り分けたガレットを口に運ぶ。うむ、塩気が効いて美味しい。ワインも進む。

 それで空になった私のグラス。「ブルームーン」をそこに注ぎながら、カミーユさんは目を伏せた。


「そうですね、リセ様にもそうした役割は、大いに期待されていることと思いますよ。文化的な側面では、特に」

「ふーん……文化的な側面ねぇ」


 その物言いに、何やら含みを感じて。私もすっと目を細めて言った。


「やっぱりそれって、この世界でのお酒の場での問題が、問題だと思われていながらも横行していた、みたいなやつです?」


 私の言葉を聞いたカミーユさんが、残念そうに頷いた。やはり、私に期待されているのはそういう問題であるらしい。


「そうですね。先日のベンフィールド伯爵様主催のパーティーにおけることなど、氷山の一角に過ぎません。王都の酒場は統制も取れておりますが、辺境地域ではまだまだ酒席での横暴な振る舞いは横行しておりますし、それより何より王宮が問題です」

「王宮?」


 と、そこで出てきた意外な言葉。私が目を見張っていると、カミーユさんがカウンターから身を乗り出してきた。私に向かって、ささやくように言う。


「……あまり大きな声では申せませんが、国王陛下と皇太子殿下が、お二人揃って大層な酒乱・・でいらっしゃるのです」

「はーん……」


 それを聞いた私は、小さく舌を舐めずる。どの世界でも、トップに立つ人間が酒にだらしないのはよくあることだ。

 だらしないだけならまだしも、それで問題を起こすのはよろしくない。国王だけでない、次期国王候補までそんな体たらくでは。

 注がれたワインに口をつけつつ、私は鋭い視線をカミーユさんに向ける。


「こないだ、ケラハー王国の国王夫妻をお招きしたパーティーがあって、成功したって聞きましたけど、その際にも何かあったりとか?」

「いいえ、その時には・・・・・何も。パーティー中は王妃様や皇太子妃様がきっちり手綱を握っておりますのでね。問題はお二方の目が届かないタイミングです」


 私の問いかけに、カミーユさんがゆるゆると頭を振った。あのパーティーは成功したと聞いてはいる。パーティーの最中は、実際に問題はなかった、そうだ。

 つまり、パーティーが終わった後。そういうタイミングで何かが起こっていた、ということだ。カミーユさんが、肩を落としながら言うことには。


「……どうも、人妻趣味に目覚め・・・・・・・・られたようでして・・・・・・・・、ご年配の女性や夫のいる女性を狙って、こう、いろいろと」

「……は?」

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