バーから始まる異世界転生~お貴族様だろうと大商人様だろうとアルハラはお断りです~
八百十三
第0話 バーでのひと悶着
西新宿に位置するショットバー「アナスタシア」は、男女の語らいの場として人気が高い。
今日も私、
男性はスポーティーな若者といった感じで、女性は清楚な会社員っぽい。交わされる言葉に耳を傾けた感じ、今時流行りのマッチングアプリで出会った男女のようだ。初々しい感じはしない。二度目か三度目のデートというところか。
私? 私はそういう話は興味ない。今日も一人でバーのマスターと、提供される酒との語らいだ。
とはいえ、ああいう男女の会話に耳を傾けるのは好きだ。甘酸っぱい気持ちにさせてもらえるから。
よいよい、どんどん恋愛しなさい日本の男女、なんてことを思いながら二杯目のマルガリータを飲んでいると、女性の方が席を立った。
「すみません、お手洗いどちらですか」
「はい、向かって右手の奥になります」
マスターの案内を受けてトイレに立つ女性。カウンターの上には飲みかけのカクテル。コリンズグラスに入っているあたりを見ると、ジントニックか、あるいはハイボールか。ロングアイランド・アイスティーではない、はずだ。
男性はまだ席についている。カクテルグラスを前にバーカウンターの奥に並んだリキュールの瓶を眺めていた。
さ、とグラスを拭うマスターと視線を交わし合う。
こういう時は危険だ。女性がトイレなどで席を離れたすきに、飲んでいた酒に睡眠薬を混ぜ、潰れさせてお持ち帰りする男性は後をたたない。
特定の睡眠薬が水に入ると青くなる、ということが広く知れ渡るようになっても、まだまだそういう事例はあるのだ。
さて、この男はそういう手合いか、それとも普通に善良な酒飲みか……そう考えながら再び視線を右にやった時だ。
「(あー……)」
私は確かに見た。コリンズグラスの底のあたり、酒が青く色付いている。
ビンゴだ。
私は至極自然に見えるように、自分のカクテルグラスを持ち上げるフリをして、隣の女性が飲みかけだったグラスをひじで引っ掛けた。
カシャン、と音を立て、青くなりつつある酒がカウンターにこぼれる。
「あっ……!」
「あらぁ……ごめんなさいね」
私は謝りつつ、わざとらしく首をすぼめた。
よし、我ながら違和感のない良い動きだ。こうすれば、あの女性が酔い潰されて酷い目に遭うことも無いだろう。
涼しい顔で正面を見ると、ちょうどカウンターに倒れたコリンズグラスを片付けようとするマスターと目が合う。
ニヤリと笑い、ウインクするマスター。私も小さく笑みを返した……ら、その時だ。
「おい、ふざけんなよ!」
カウンターの板材を叩く乾いた音。見れば、件の男性が顔を真っ赤にして私をにらみつけていた。
おおかた、計画をおじゃんにされて怒り心頭なのだろう。
気持ちは分からないでもない。とはいえ、ここはバーの中。騒ぎは御法度だ。
「何? 大声出さないでよ」
「とぼけんな! 分かってやっただろう!」
カクテルグラスを置きながらそちらを流し目で見やると、私の手を男性の手が掴んだ。
おっと、存外早くに手が出てきた。言いがかりか、それともこちらの意図を読んだか。いずれにせよ予想以上の展開に少し焦る。すぐさまマスターが男性の肩を掴んだ。
「お客さん」
「口を出すな! 折角のチャンスを不意にしやがって!」
この場を取り仕切るマスターに対しても、舌鋒鋭く男性は返す。本来だったら、ここで店を叩き出されてもおかしくないくらいの所業だ。やれやれ、ものを知らない男ってのはこれだから。
私の手を掴んだままの男性の手を、左手でぴしゃんと叩く。
「安いわね、あんな使い古された手で女性を好きにしようだなんて、恥ずかしいと思わないの?」
「なんだと……!」
挑発的な私の物言いがカンに障ったか、ますます語気を荒げてくる男性。藪をつついて蛇を出してしまった気がしないでもないが、ここで退いたらそれこそ負けだ。
男性の目をまっすぐ見つめ返していると、その男性の肩をぐいと押したマスターが、冷たい視線をあちらさんへと投げかけた。
「お客さん、あまり酷いようなら退店をお願いするかもしれませんよ。扇谷さんも、ほら、抑えて」
男性には厳しく、私には優しく。もうこれだけで、どちらが悪いかなど明白だ。舌を打ちながら男性が私の手を振り払う。衝撃でマルガリータの液面が大きく揺れた。
これもこれで、少々腹が立つ。今日のマルガリータはスノースタイルの塩もいい塩梅で、非常に具合が良い一杯なのに。こんな扱いをされたら、私のちょっとばかりの正義感が燃え上がる。
「私のいる時にそんなことやろうとしたのが運のツキよ、お兄さん? 私の目が黒いうちは、クスリを混ぜるなんて絶対させないわ」
「何を……!」
私の物言いにまたも反応する男性。再びマスターが制止の声を飛ばすより早く。
トイレに立っていた女性が戻ってきた。信じられないものを見るような目で、男性を見ている。
「マコト君、どういうこと……?」
「サチ……! これは、その」
相方の女性の登場に、途端にまごつき出す男性。しかしマコトなんて名前だったのか、名前に見合わないクズっぷりだ。
激高して声を荒げる男性と、カウンターに零れたお酒、その向こうで手を押さえる私。それだけで状況を把握したのだろう。
さっと顔から血の気が引いたサチなる女性が、マコトなる男性の頬を張った。パーンと、いっそ小気味いいくらいの音が響く。
「サイッテー! もう連絡してこないで!」
「おい、待てよ!」
女性は財布から千円札を二枚取り出すと、カウンターに叩きつけるようにしてカバンを掴んで店の扉をくぐっていった。男性が追いすがるも、彼女の足は早い。
店の扉の前で茫然と立ち尽くす男性に、私はつい、本当につい、口を開いてその言葉を投げかけた。
「ほーら、こうなった。良かったわね? 犯罪者にはならないで済んだわよ」
「扇谷さん、その辺に――」
まずいと思ったか、マスターが私を止めようと声を上げる。
が、しかし。マスターが、バイトの
「ふざけんなっ!!」
思い切り振り抜かれる拳。殴られる私の頬。
衝撃を受けてぐらりと傾いだ私の頭が、バーカウンターの奥、ビールサーバーの角に激突する。
「う……っ!?」
頭が割れんばかりの衝撃が私を襲った。
視界が明滅し、どんどんぼやけていく。耳に飛び込む悲鳴と騒ぎ声が、徐々に小さくなっていく。
「キャーッ!!」
「扇谷さん!! 小田君、救急車! 救急車呼んで!! 早く――」
大慌てするマスターの声がどんどんフェードアウトしていって。
そのまま、私の意識は暗転した。
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