☆7‐6 佐藤side

 同回生である刀堂黄佐から、佐藤架雅璃かがりへ電話があったのは、日付が変わって三十分を数えないほどの頃だった。

 佐藤は、


(あれ、今日の飲み会、ばっくれたらまずかったのかな?)


 などと思いつつ、やりかけのゲームを置いて、スマートフォンを取る。


「はい、架雅璃」

『あ、もしもし佐藤? 刀堂だけど』

「うん、どうしたの、黄佐ちゃん」

『えっと……その、今からってちょっと時間ある?』

「あるけど……珍しいね黄佐ちゃん。君の方から僕を誘ってくるなんてさ――」


 黄佐の声は真剣みを帯びていたが、それを察した上で佐藤は言った。


「――そんなに人肌恋しくなっちゃった?」

『人っ……そんなわけないだろ!』


 黄佐は聞き飽きたはずの佐藤の冗談を華麗に流せず、電話口の向こうで溜め息をついた。


『ああもう、変なこと口走んなよ……こっちは緊急事態なんだ。三十人超えの急患さんたちが、大挙してうちにいるんだよ。俺一人じゃ到底間に合わないから、少し手伝ってほしいんだけど』

「うんうん、分かった」


 真剣な相手で遊んだ罪悪感も少しだけ手伝って、佐藤は即答した。


「いいよ、手伝う」

『こんな夜遅くに、ごめんな』

「気にしないでよ黄佐ちゃん。僕と君の仲じゃないか」

『どんな仲だよ! ……とにかく、よろしく頼む』

「はーい、すぐ行くね」


 佐藤は、自分の冗談にいつまでも初々しくツッコミを入れてくれる黄佐が大好きなのだ。だから、通話を終えるなり即座に上着を羽織って、いつも大学へ持っていく大きな鞄を掴むと、玄関へ突進するように駆け出したのだった。原付きの鍵を引っ掴んで、部屋の鍵すら閉めずに――どうせ侵入する輩も、取られて困る物もないのだから、構わない――外階段を駆け下りる。荒々しい足音に驚いたのか、どこかの部屋の誰かが寝ぼけ半分の怒鳴り声を上げた。

 赤いヘルメットを適当に被り、愛用の原付きに鍵を差し込む。アクセルをかける瞬間は、まるで命を吹き込んでいるかのようで好きだ。


(魔術師が使う人形みたいで、可愛いよね。それか、真っ赤なお鼻のトナカイさん、かな。ヘッドライトがいい感じにそれっぽい……)


 ヘッドライトのハイビームがアパート前の小道を奥まで照らして、佐藤は硬直した。それから一瞬の後に、状況を認識すると――女の子が倒れてる! ――慌てて原付きを飛び下りた。

 道に倒れ込んだ女の子が一人。その傍で両膝を付いておろおろしている子――深く被ったフードの所為でよく見えないが、おそらく男の子――が一人。佐藤は少年の前にしゃがみ込み、出来るだけ優しく声を掛けた。


「大丈夫? どうしたの?」


 フードがびくりと大きく震えて、奥に隠された目が恐る恐るこちらを窺ったようだった。

 佐藤は柔らかく微笑んでみせた。こんな暗い道で、突然見知らぬ人に声を掛けられたら、誰だって怯えるものだ。佐藤はわざと彼から視線を外し、少女の方を見た。


「この子は、病気か何かかな?」


 フードが小さく、しかし確かに縦に振れた。

 女の子はおそらく小学生くらい。男の子は、中学生くらいかな。どうしてこんな時間に二人だけで出歩いているのだろうか。何か事情があると見えて、佐藤は聞いた。


「救急車って、呼んだ方が良い?」


 最後まで言い切らない内に、フードは勢いよく横に振れた。


(救急車はアウト。そっか、訳アリか……)


 確信を得ると、「ちょっと失礼」と誰にともなく断って、少女の手を取った。

 脈はあるけど弱い。意識はない。発熱。口元に泡の残滓。少し痙攣も残っている。


(……てんかん? や、そうとは限らないか)


「ね、この子ってさ、普段から何かお薬を飲んでたりする?」


 フードは俯いて沈黙した。何か考えているようにも、答えを渋っているようにも見える。しばらく黙って待っていると、やがて少年は何か思い付いたように顎を跳ね上げて、少女が肩から掛けていたポーチに手を突っ込んだ。――引っ張り出されてきたのは、スティックシュガーである。すがりつくようにそれを差し出されて、佐藤ははたと膝を打った。


「まさか、低血糖症っ?」


 だとしたら、この状態はかなりまずいのではないだろうか。意識が混濁するのは相当な重症である証。こんな小さな子がこんな状態では、一歩間違えば死んでしまう。

 佐藤はスティックシュガーを奪うように受け取ると、封を切って、少女の唇の隙間に擦り込むようにしながら流し入れた。これで多少マシにはなるだろうが、如何せん応急過ぎる応急処置だ。


「……ね、救急車ってさ、呼んだら絶対にダメ?」


 フードは寸の間躊躇って、しかしはっきりと頷いた。ダメ元で聞いてみただけとはいえ、佐藤は溜め息を堪え切れず、大きく息を吐いてから頭を掻いた。フードが申し訳なさそうに下を向く。しっかと指を組み合わせた彼の仕草は、神に祈る時のそれとよく似ていた。指を固く組むジェスチャーは、大きなストレスを表しているという。そういえば、彼はここまで一言たりとも発していない。この子も何か問題を抱えているのだろう。


「……じゃあさ、こうしよう」


 と、提案する体を装って、その実佐藤は命令を下した。


「今から、僕の知り合いの優秀なお医者さん見習いのところへ行く。そこで、この子の症状が改善したら、そのままそこに留まって治療する。反対に、少しでも悪化したら、すぐに救急車を呼ぶ。いいね?」


 小さな無言の首肯が、佐藤の命令を受諾した。


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