☆7‐4 朱将side


 引き抜いた手を返す刀で振り落とすと、片倉は沈黙した。気絶はしていないようだが、鼻血を垂れ流すままにし、放心状態に陥っている。ともすれば、ピアスごと舌を引っこ抜かれた、と思い込んでいるかもしれない。さすがの朱将も、能力が切れた一般人を相手にそこまでのことはしない――必要だったらやっていたが。

 朱将は立ち上がると、心底嫌そうに涎まみれになった手をズボンで擦った。

 氷漬けから解放された拓彌が、引き気味に朱将に近寄ってきた。


「お疲れ、朱将ー……。相っ変わらず、お前って容赦ねぇよな」

「当然だろ。敵ぶちのめすのに容赦なんかしてどうすんだよ」

「そりゃそうだけどよ」


 怖ぇ怖ぇ、と拓彌は肩をすくめた。


「こっちの撤退は完了した。んで、さっき良平から連絡があった。サツがこっち向かって来てるってよ」

「……んじゃ、拓彌、コイツ連れて、先に俺ん家行っとけ」

「足がねぇよ」

「俺んの使っていい」

「お前はどうやって帰ってくんだよ」

「澤城のじじいに送ってもらう。急げ、サツはともかく、サツにくっ付いてる能力者どもに捕まったら厄介だぞ」


 拓彌は少し黙って、やがて頷いた。


「分かった。気ぃ付けろよ」

「おう」


 倒れたままの片倉に蹴りを入れつつ無理やりバイクに乗せた拓彌が、片手を上げたのを最後に夜の向こうへ消える。

 朱将はそこで初めて大きく息を吐いた。緊張から弛緩へ。真っ白になって溶けていく息を見上げながら、全身から力を抜く。すると、右手と後頭部がじわじわと痛んできた。続いて、朱将は丹田を意識して息を吸った。弛緩から緊張へ。俺にはもう一ラウンド残っている。

 おそらく一分も経っていない。赤いランプを煌々と光らせた車が数台、立て続けに入ってきて、朱将を取り囲んだ。朱将は、パトカーから真っ先に降りてきた長身の男を見据えて言った。


「よお、山瀬。重役出勤ご苦労」


 山瀬は朱将を睨んだ。


「……マッド=グレムリンの連中をどこへやった?」

「さぁ、知らねぇな」


 朱将は白々しく肩をすくめた。


「そんなことよりお前、俺の弟に余計なこと吹き込んでくれたみてぇじゃねぇか」

「余計なこと? 君が自分から言い出せなくて困っていたのを、助けてやっただけだろう」

「ふんっ、よく言うぜ」

「……どうやった」

「何を」

「能力者たちを、どうやって倒した」

「……ははっ」


 朱将は一笑して、山瀬の目の前にまで迫った。真正面から睨み上げる。いつかと同じ構図だったが、力関係はまったくの正反対。


「お前は確か言ったな――能力者は能力者にしか倒せない、って」

「……」

「ふざけんのも大概にしろ。一般人をあんましなめんな」


 血塗れの拳の底で、山瀬の胸のど真ん中を押す。本当は顔面をぶん殴りたかったが、さすがに公務執行妨害を取られそうだったし、そこまでするまでもなく勝敗は決している。睨み、凄み、腹からどすをきかせた声で、低く低く刺すように告げる。


「てめぇらは能力手に入れて、神か化け物にでもなったつもりか? 思い上がんな。てめぇらは人間だよ、間違いなくな」


 一方的に言い切って、朱将は山瀬の脇を抜けた。

 山瀬は白いワイシャツにべっとりと付けられた血の染みを見下ろして、染み抜きのことを考えながら溜め息をつくと、顔だけを朱将の方に向けた。


「……それは、弟くんに言うべき言葉じゃないのか」

「ちっ」


 舌打ちひとつで朱将はぴたりと立ち止って、半身で振り返り親指を下に向けた。


「俺はお前のそういうところが大っ嫌いだ」

「光栄だね」

「うるせぇ」

「私も、君のことは嫌いだよ。まったく思い通りになってくれないからな。苛々する」

「人を思い通りにしようとか、何様のつもりだ。イライラしてんのはこっちの方だ」

「弟くんは君とは違うね。青尉くんの方が、ずっと扱いやすい」


 と、山瀬はわざと挑発して言った。

 朱将は寸の間黙った。


「……だろうな」


 山瀬は少なからず驚いた。


「……意外だな。てっきり激昂するとばかり思っていたのだけれど。ことごとく上手くいってくれないね、君は」

「青尉は優しいんだ。てめぇみたいな悪人をぶちのめすのにも、躊躇うくらいにな」

「……優しさは甘さだ。それはやがて、彼自身を殺すぞ」

「そうならねぇように俺らがいるんだろうが」


 吐き捨てるように即答する。


「黙って見てろ、デカブツ。そんなに“心配”してくれなくても、青尉は上手くやっていく」


 と、朱将は背を向けた。第二ラウンドも無事終了だ。沈黙に殉ずる山瀬を置き去りに、包囲網のような能力者たちの群れを抜けて――


「――あ、そうだ、山瀬」

「……なんだ」

「お前最近、俺に監視かなんか付けたりしてねぇよな?」

「えっ?」


 山瀬は咄嗟に素っ頓狂な声を上げてしまった。それからすぐに平静を取り戻して


「――付けるわけがないだろう、犯罪者でもない一般人相手に。……どうしてそんなことを?」

「別に。ただ、三日前くらいから誰かに見られてるみてぇな感覚があったから」


 山瀬は鼻で笑った。


「ストーカーか何かじゃないか? 大方、女に恨みでも買ったのだろう」

「恨み買えるほど女と付き合いねぇよ。それに、そんなんだったらすぐに特定できるっての」


 ったく……――などと言いながら、今度こそ去っていく朱将の背中を見つつ、山瀬は冷や汗が流れるのを感じていた。


(彼は本当に能力者じゃないんだよな? なぜ分かった? ただの勘だと言うには鋭すぎるだろう……!)


 刀堂兄弟は何かがおかしい。山瀬は確信した。一番上は一般人とは思えない強さ。一番下は最強の能力者。真ん中の彼とはほとんど接したことがないが、彼も同じ調子だとするならば――本格的に、敵とするか味方とするか考えなくてはならないな、と思った。

 山瀬の心中などどうでもいい朱将は、素早く澤城を見つけ出した。


「あ、いた。澤城さん、ウチまで送ってってくれ」

「あぁ? 朱将てめぇ、パトカーをタクシーと勘違いしてんじゃねぇだろうな」

「してねぇよ。してたら金払わなきゃなんねぇだろ」

「余計に性質たち悪ぃじゃねぇかてめぇコラッ! あぁこら勝手に乗り込むなよオイ! ったく……」


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