2. 少女は先手を取る




 侍女が運んできた料理を食べ、備え付けの風呂に入り、大人しく迎えた夜。

 私はベッドの端に腰掛け、目を閉じてその時が来るのをジッと待っていた。



「…………そろそろ、かな」



 時計の針が真上に並んだ深い夜の時間帯。

 私は窓を開け、周りに下に誰もいないことを確認してから庭に飛び降りる。


「……、つぅ……流石に鍛えた体じゃないと厳しいな」


 私は十年前の過去に戻った。


 何の修練も積んでいない十歳のひ弱な体だ。

 慣れ親しんだ体に違いないとはいえ、死ぬ直前のようには動けない。


「三階から飛び降りる程度、全然問題なく行けたんだけどなぁ……」


 以前と同じようには動けないと思った方がいい、か。

 早くこの体にも慣れないと、いざという時に最善の行動を取れないな。


 それでは危険だ。

 私の仕事は常に危険が伴うようなものだったので、少しのズレが大きな隙を生んでしまう。


 同業者との殺し合いになるのも珍しくないから、最優先でどうにかしなければ、復讐どころではない。



「……さて、確かこっちだったと思うけれど…………ああ、あった」


 庭に隠されている通路を開き、私は臆することなくそこへ足を踏み入れる。

 何日も手入れされていないせいか、少しカビ臭い。


「……うげっ、ネズミの死体まであるじゃん。ちゃんと掃除してよね、もう」


 チカチカと怪しげに光るランプに照らされた石造りの廊下。

 その端で目立たず死に絶えていたネズミに近づき、持ち上げる。


「でも、ちょうどいいや。お前を私の下僕一号にしてあげる」


 ゴンドルは私のことを『糸使い』と呼んだ。

 それは私の持つ『技能』が関係している。


 人は六歳の時に神から技能を授かると言われている。


 私の場合はそれが糸を操る『繰糸術』というものだったので、ゴンドルはそう呼んだのだろう。

 私は最初、それを使って編み物をしたり、破れた服を修復したりと、生活する上での便利な技能としか思っていなかった。



 でも、私の『繰糸術』はもっと別のことにも使えた。



「欠陥部位を修復。作り変え完了」


 ネズミの死体に糸を張り巡らせ、内部まで浸透させる。

 やがて全てを糸で作り変えた私は、親指の腹を噛みちぎり、死体に血を滴らせた。


「私の手足となれ──傀儡生成」


 ドクンッ、と小さな鼓動がネズミから聞こえた。


 灰色だったネズミの皮膚は赤く変色し、やがてゆっくりと身体を起き上がらせる。

 地面に降ろしても、ネズミがどこかへ走り去ることはなく、ただ私のことをジッと見つめていた。


 ……とりあえず成功かな。


「私の声が聞こえているなら、手を挙げて」


 ネズミは両手を万歳させ、バランスを崩して後ろに倒れこんだ。

 ……そういうところで可愛い動作をしなくていいよ。


「この先を偵察してきて」


 ネズミは弾けるように動き出した。

 暗闇の中に消えていく小さな下僕一号を見届け、私は目を閉じる。


「……うん。感覚共有も問題なし」


 私は今、ネズミが見ている光景を見ていた。


 傀儡にしたものと感覚を共有できるこの技はとても便利で、色々な場面で助かっていた。

 掃除していないこの隠し通路には苛々したけれど、こうしてちょうどいい死体を見つけられたのだから、掃除をサボっていた『あいつ』には一応感謝しておこう。



 そうこうしている内に、ネズミは一つの扉に辿り着いた。



「その横。小さな穴があるから、そこから入って」


 言われた通りに動いたネズミの視界が、急に明るくなった。

 次に聞こえてきたのは、複数の男女の声だ。



『そういやさ、また新しい子が入って来るんだって?』


『ガッシュがそう言っていたわねぇ。使える子だと良いけれど』


『何にしろ、その子も……可哀想だよな』


『もう屋敷に連れて来られていると聞いたわね。でも、後悔したところで、遅いわ』


『……そうだな。最初は戸惑うかもしれねぇが、俺達がしっかり守ってやらねぇとな』


 聞こえてきた半数は、もう二度と会えないと思っていた。


 ──だから、なのかな。

 彼らの声が、とても懐かしく感じる。


『私も、仲良く……なれるかな』


『その子はまだ十歳だって聞いたぜ。一歳違いのベルとなら、上手くやれるだろうよ』


『うん。楽しみ』


『新しい子って男? それとも女か?』


『女の子らしいわよ。結構離れた場所にある田舎村だって』


『あの腹黒野郎もよくそんなところから見つけてきたな』


『あいつは、そういうのに敏感……その子、可哀想』



 彼らは明日入って来る『新人』の女の子──私の話題をしていた。


 この時にはもうすでに情報が入っていたらしい。

 だから私を歓迎するみんなの視線がどこか温かくて、可哀想な人を見る目をしていたんだ。


「居ないのは、ガッシュさんだけ……かな?」


 皆は一人を除いて、仲良く揃っている。合計、三人だ。


 真夜中だけれど、皆にとってはお昼のような感覚だったのだろう。


 でも、揃っているなら好都合だ。

 予定は少し早いけれど、挨拶でもしておこう。




「こんばんは~」


 鉄の扉を開き、中に入る……と同時に首にナイフを押し付けられた。

 刺激しない程度にゆっくりと両手を挙げ、無害を主張する。


「言っておくけれど、私は怪しい者じゃないよ?」


「……何もんだ、お前」


 敵意を剥き出しにして、私を脅すのはバッカスという男だ。


「相手に名前を訪ねる時は、まず自分から。いつも言われているでしょう?」


 ──プッ、と笑う声が聞こえた。


 バッカスは口元をヒクヒクと動かし、動揺を悟らせないように表情をキツくさせる。

 でも、一瞬だけ敵意が揺らいだのを、私は見逃さなかった。


「ど、度胸はあるようだな。……だが、どうしてここがわかった? お前が来た通路は誰も使っていなかったはずだ。庭に隠されていた通路が見つかるわけがねぇ」


「あ、そうそう! 誰も使っていないのは別として、ちゃんと掃除はしようよ。……確か、この期間はバッカスが当番だったよね? ネズミの死骸が放置されていたけど、まさかサボってるの?」


 その言葉にいち早く反応したのは、アメリアという女性だった。


「はぁ!? ちょっとバッカス! あんたちゃんと掃除したって言っていたわよね!」


「ち、ちげぇよ! ちゃんと掃除したつもりだっただけ──あだぁ!?」


 言い訳を始めたバッカスの頭を、アメリアがぶん殴った。

 思った以上にごつい音が響き、私の拘束は解けた。


「それは掃除していないのと一緒! こんな小さな子に指摘されて恥ずかしくないの?」


「うるせぇな! むしろなんでこんなチビに指摘されなきゃなんねぇんだ!」


「……え? ダメなことを指摘するのに、チビも大人も関係ある?」


「正論がいてぇ! ほんと、何なんだこのチビ!」


 バッカスは指差し、複数人の視線が私に注がれる。

 何なんだと聞かれたら、答えてあげるのが世の情けってやつだ。



 私は胸に手を当て、名乗る。



「ノア・レイリア。明日ここに所属する予定だから、先輩達よろしくね!」


『はぁあああああああああああ!?』


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